病院【初めまして】
聴覚、視力共に問題無し。身体能力に特に問題無し。身長はジンが166センチ、カイは165センチと平均よりはやや小柄。体重は何とか普通体重と言ったところ。この世界で生きていたならむしろこれで済んで上出来だ。
「…血液検査、異常無し」
「特に病気や体の内部に異常はありませんね」
「本当に健康体だ」
「血液型がコンノさんと一致してるんです。可能であれば献血してもらっても?」
「一致してたのはどっち?」
「カイ君です」
「…止しておこう。また倒れるかもしれない」
「それもそうですね…」
こんな健康なカルテを見たのはいつぶりだろうか。健康診断の結果を伝えるためにジンとカイが眠る診察室へと戻るとベッドで眠るカイの傍らに座るジンと目が合う。
「まだ起きないのか?」
「まだ起きない」
「健康状態の確認終わったよ。それとジンもカイも採血のテープ取っていいから」
「分かった」
素直にテープを腕から外して指定したゴミ箱に捨ててくれる。カイの腕にも貼りっぱなしのそれをジンが剥がすとその皮膚を引っ張られる痛みで気付いたのか、目蓋が震えてカイが目を覚ます。まだぼんやりしているのか天井を見つめて瞬きをゆっくり繰り返していた。
「カイ」
「…ジン」
「こんにちは。気分はどう?」
「何かぼーっとする…」
「無理して起き上がらなくていいから。大丈夫そうならゆっくり起き上がりなさい」
「分かった…」
カイが起きたのを確認してジンがベッドの側の椅子からベッドの縁に座りカイの様子を見ている。
「迷走神経反射だって」
「何それ…?」
「血や針を見て恐怖やストレスで失神する事らしい」
合ってる?とこちらに伺うジンに頷く。
「俺が採血されるところ見て気分悪くなった?」
「ジンから血が取られてるの見て…次に僕がこれやるのかと思ったら何かふら~って…」
「見えないところでやれば良かったな。何か食べるか?」
「んー……て言うか僕の採血は?」
「寝てる間に終わらせたよ」
ウメノも部屋にやって来て健康診断の結果の説明を始めた。特に問題無しと言われてそれを当然と言う顔で受け止めている。結果を紙に記入しておりウメノが一つ一つ説明していくのをカイはベッドに寝たまま頷いて聞いておりジンはこの単語は何か、この数値は何を表すのかとウメノを質問責めにしていた。
「結果は問題無しだしそれじゃあここに住んでるみんなに挨拶してもらいましょうか」
「あなたは?」
「え?」
「あなたからまだ名前を聞いていない」
「あぁ、失礼しました。私はウメノ。ツノダウメノよ」
「よろしくウメノ」
「よろしく~」
私が何度か呼んだので知っているとは思っていたが拘りでもあるのか彼等は自分の名前を名乗らせる。カイがゆっくり起き上がり顔色も大丈夫そうだと確認したら改めてここに住まう三人の患者にも挨拶するために彼等の部屋に向かう。院内はあちこちヒビが入り窓も割れてガムテープや布で補修をしている。大きな瓦礫やガラス破片は片付けたもののまた何か災害や攻撃があれば今度こそ潰れるだろう。そんな院内を首を振りながら見る二人にウメノが喋りかける。
「今いた部屋はあんな風に健康状態診る部屋なのか?」
「診察室ね。健康状態を診たり具合が悪い人の診察をするの」
「他の部屋は機能していないのか?」
「電力の節約でな。一番綺麗なあの診察室に使える道具を持ってきて使ってる。他の診察室は何も無い」
「へえ…そうなのか」
「何か、病院って…あんまりいい匂いしないね」
「消毒液の匂いかな?これはこびりついて取れなくてね」
「んー…それと何かあんまり好きじゃない匂いもする」
「あんまり好きじゃない匂い?」
ウメノにそれはどんな匂いか尋ねられるとカイは黙って首を振った。そんなカイの様子を横目で見ていたジンは無言のままだった。
「…入院患者ってどんな人達だ」
「女性が二人、男性が一人。三人の内二人は私達よりも年上でね。男性は政治に関わっていた方で女性は学校の先生をしていたんだ」
「政治と先生?」
「あと一人は?」
「あと一人はね…あ、ここだよ。この部屋」
診察室からそこまで離れていない一階の大部屋。ここに三人の患者が住んでいる。
「待っててね。彼等にあなた達の説明をしてくるから」
「分かった。よろしく頼む」
「はいはい」
大部屋の扉を開けてウメノが部屋に体を滑り込ませると中から複数の声が漏れて聞こえる。何年も無かった来客だ。好意的に出迎えられたらいいんだが。
「ヒデタカ」
「…何?」
「ここがこうなってからヒデタカとウメノはずっとここにいたのか?」
「そうだな。こうなった日も勤務しててな」
「ならここにはたくさん人が来ただろう?」
「来たよ。溢れるぐらいに」
「二人でその溢れる人を治療したのか?」
「医者はもっといたよ。看護師もいた」
「それで溢れた人全員治療出来たのか?」
「出来なかったよ。だからトリアージをした」
「トリアージ?」
「…助かる見込みがある、無いを診て助けられそうに無い患者は診ない。助かる見込みのある人だけを助けた」
よく覚えている。病院に次々に運び込まれて来る患者の数に怒号と悲鳴、泣き叫ぶ声に囲まれながら何とか助けてくれと冷たくなった家族や恋人、友達を抱き締める人に心を鬼にして助からないので治療は不可能と無情に叩きつけたのは地獄だ。
「そんな事があったのか?」
「…何も知らないんだな君達は」
「知らないよ。初めてそんな事があるのも知った」
「見ない方が、知らない方が幸せかもな」
「…馬鹿にしてるのか?」
「、いや…そういう事じゃない」
つい口から滑り出た言葉が恐らく平和に生きて来たであろう彼等に皮肉めいた言葉を言ってしまった。それを敏感に感じ取ったのか、切れ長の目を細めて不機嫌そうな表情でこちらを見たジンに気付いて自己嫌悪する。
「止めなって、ジン睨むと怖いんだから」
「無知なのは承知なんだよ。だから教えてくれって言ってるんだ」
「ヒデタカ、ジン睨むと怖いでしょ?」
「…そうだな迫力がある」
「お世話になるんだから仲良くしてよ」
「……睨んでごめん」
「いや…こちらこそ…すまない」
「…何かこの短時間で喧嘩した?」
扉を開けて覗き込んできたウメノが先程と違う雰囲気を感じ取り探るように聞いてくる。ジンとカイ、三人で首を振り何も無かったと誤魔化すと首を傾げたウメノだがすぐに切り替えてくれた。
「…お待たせ。あなた達の事説明したからみんなに顔を見せてくれる。私が先に入るから後に続いてくれる?」
「分かった」
「分かったー」
そう言って扉を開けて部屋に再び入るウメノに続いてジンとカイが部屋へと向かう。
「皆さん。この子達がお客様ですよ」
ウメノに続いて入った部屋には確かに三人の人間がいた。広く明るい部屋は壁の一部と天井がガラス張りで自然の光が入り込んでいる。その中に並べられたベッドに一人づつ寝ており話にあった通りに一人は自分達よりも一回りも二回りと年上であろう男性と女性。男性はほぼ白髪であり眼鏡を掛けている。女性はウメノよりも短い黒髪でこちらもところどころに白髪が混じっている。本を読んでいたのか分厚い何か聞いた事の無い言葉が題名の本を広げていた。
そしてもう一人は女性。
若い、自分達と同じぐらいの女性だ。
「自己紹介をしてちょうだい?」
ウメノに背中を叩かれて一歩前に出る。三人の視線がこちらに集まり驚いていると本を読んでいた女性が声を上げる。
「…若いね!しかもイケメンだ」
「…イケ…?」
「格好いいって事よ。ほら名前を言って」
「…俺はジン」
「僕はカイ…」
「話した通りに色々聞きたい事や学びたい事があるみたいだからお願いしますね」
「勿論!新しい人なんて何年振りだろうね」
本の女性がそう言って手を合わせて喜んでいた。
「本当に若いな、いくつだ?」
白髪の男性が尋ねて来る。本の女性と比べてこちらを警戒するような目で見ている。
「ジンが十九歳でカイが十七歳だっけ?」
「十九歳と十七歳…十七歳って…カナエちゃんと同じじゃない?」
「え?」
本の女性が指を差した方向にいた若い女性。ベッドに寝ていた彼女は起き上がりこちらに向かって頭を下げる。
「初めまして、カナエです」
背中の半分まである黒髪を縛る事無くそのままにして頭を下げた時にぱらぱらと髪が落ちていく。
若い女性、世界がこうなった後で初めて会った同年代だった。興味を引かれて彼女、カナエの元に歩み寄り挨拶をする。
「よろしく。カナエ」
「えと…ジン、さん?」
「ジンでいい。年が近い子に会ったの十七年振りだ」
「十七年振り?」
「そう。十七年振り…カイ、カイと同い年だって」
「…初めまして…」
「初めまして」
自分の一歩後ろにいたカイを呼んでカナエと向き合い挨拶する。カイは生まれて初めての自分以外の同年代だ。
「それで、あなたは?名前は?」
「あぁあたしね。私はコンノ。コンノエリカ」
「エリカ」
「やだ呼び捨て?」
「名前で呼ぶのは駄目なのか?」
「普通は敬語を使ってさん付けだろう?」
エリカと話していると横から男性の声が飛んでくる。ベッドに寝ていた白髪の男性だ。こちらを上から下まで見ていて何だか視線が不愉快にも思えた。
「コンノさんって呼びな」
「名前があるのに名字で呼ぶのか?」
「親しくもないのにいきなり下の名前で呼び捨てなんて失礼だろうが」
「?失礼なのか?」
「いいよ別にハイザキさん」
「エリカ、失礼だったか?」
「構わないよ。若い男の子に名前で呼ばれて逆にドキドキしちゃった」
「それは良いのか?」
「良いことよ~」
手を振りながら笑って答えるエリカはどうやらこちらに好意的らしい。ハイザキと呼ばれた白髪の男性は納得いかない表情をして黙っていた。
「ハイザキ、さん?」
その視線に答えるようにカイがハイザキをさん付けて呼んだ。その言葉に何か納得したのか頷いている。
「ハイザキ」
「あ、ジン」
「ハイザキ。下の名前を教えてくれ」
「…先生、随分礼儀がなっていない奴が来ましたね」
「ハイザキさん。この子達きっと特殊な環境で育ってるから…」
「礼儀がなっていない奴って言うのは俺の事か?ジンってさっき名乗ったと思うが…?」
こちらが話しかけているのにウメノに顔を向けて話している。名前をきちんと下の方も呼びたいのに何故か教えてくれない。それにこちらも名乗ったはずなのに何故か名前で呼ばれない。
「ハイザキさんの下の名前はジュンだよ」
「そうなのか?」
「カナエちゃん。勝手に教えないでくれるか?」
「いいじゃないですか。折角来てくれたんですし」
会話を側で聞いていたカナエがハイザキの下の名前を教えてくれた。これできちんと名前を呼べる。
「それじゃあ君達のフルネームは何だよ」
勝手に名前を教えられたハイザキが何とも機嫌悪そうに指を差して尋ねて来る。フルネーム、つまり名字を含めた名前だろう。
「名字は知らない」
「は?何でだ?」
「両親がつけた名前があるなら呼ぶのに十分だからって俺もカイも自分達の名字を知らない」
「…変わった家庭だな」
「変わってるのか?」
「変わってるよ…しかし」
「何?ジュン」
「…何でもない」
気になる言い方をされて何を思ったのか喋って貰おうと思ったがウメノが部屋の真ん中に椅子を置いてここに座るように促す。言われるままに座るとガラス張りの天井から降り注ぐ光が自分達に集まっているようで眩しかった。ウメノとヒデタカがベッドに寝ていた三人を起こしてタイヤ付きの椅子に座らせるとベッドに寝ていた三人はすぐ側の距離に来た。
「改めてこんにちは」
「こんにちは」
カナエが隣に来て挨拶をする。ジュンは不機嫌そうに目線を逸らしている。エリカは笑ってこちらを見つめていた。するとウメノが手を叩いて注目を集めたと思うとこちらに向いて笑顔で話す。
「ジン、カイ。今日からそれじゃよろしくね。とりあえず…三日間だっけ?」
「一応その予定。ヒデタカにも言った通りに何かあれば三日待たずに出て行くし。可能であれば延ばす事も考えてる」
「えぇ、皆にも伝えているからそのつもりで…だけどその間少し洗濯や食事の準備を手伝ってもらっても?」
「え?」
「え?お手伝い?」
「何もせずに置くわけにもいかないから…仕事をしてほしいの」
「男手があると助かるんだ」
ヒデタカがそう言って説明する。
ここに滞在する間、医療知識や求める情報は可能な限り教えるがその代わりに普段二人で行っている三人の患者の生活の手助けをしてもらいたい。何かを求めるなら対価を払う。それが今回こう言う事だと言う。
「仕事をしろと?」
「そんなの初めて」
「やってくれる?二人とも」
「教えてくれるなら…」
「ありがとう!寝る場所はこの部屋の隣の部屋が使えるから自由に使ってね!」
「分かった…それじゃあよろしく頼む」
「よろしくお願いしまーす」
それじゃあ荷物を置いて来てくれと言われ言われた通りに隣の部屋へと向かう。物が乱雑しているが確かに部屋にある三つのベッドは綺麗に残っている。腰を下ろすと軋む音がしたが特には気にならない。リュックを置いて中の物を整理するがここに滞在するなら車の中にある物もいくつか持って来た方がいいかもしれない。
「カイ、着替えと食糧いくつか取りに車に…」
「ジン」
「ん?」
「初めて同い年の子見た」
「カナエな。俺もだよ」
「女の子だね」
「そうだな」
「…女の子って何が好きなの?」
「…カイ?」
あぁ成る程友達になれるかもしれないから仲良くなりたいのか。
二人を紹介してから久しぶり過ぎる客人に説明した時は驚きながらも無害そうな彼等を受け入れてくれたらしい。
「カナエちゃん。どうだった?」
「どうだった?って」
「カナエちゃんと同い年の男の子なんて初めてじゃない?仲良くなれると良いね」
「仲良くなんて…でもカイ君?目が大きくて何だか小動物みたいですね」
「確かに可愛らしい顔立ちだねー」
この病院で唯一の十代のお嬢さんだったカナエちゃんに二人も同年代の子がやって来て驚かせてしまったかと思ったが彼女は素直に受け入れてくれた。可能であれば仲良くなって楽しく過ごして欲しいと思っているがこればかりは過ごしてみないと分からない。
「ツノダ先生。ノグチ先生」
「何ですか?ハイザキさん」
ハイザキさんはまだ警戒しているらしい。そもそも若い男性が来たと言う時点で入れるべきじゃないと反対していた。女性ならまだしも成人男性だと何か攻撃をすれば抵抗も出来ずに殺されると言っていた。敵意は無いと言ってもなかなか初対面の人間を信用しろと言うのは無理な願いではある。私もノグチ先生も正直彼等に敵意は無いと賭けて招いたのだ。
文句があるなら甘んじて受け入れよう。
「…ジンって子なんだが」
「えぇ彼が何か?」
「両親の名前って聞き出せるか?」
「両親?何故です?」
「あの顔…知ってるような気がしてな」
「知り合い…ですか?知り合いの息子さんとか?」
「それが分からない。もし分かったら教えてくれ」
「はぁ…?分かりました」
特に招いた事に対しての意見ではなくジン君への不思議な疑問だった。
首を傾げながらも荷物を片付けて身軽になった彼等は早速何をすればいいのか尋ねて来る。
(何だか)
言われた通りの事を素直に従う子だなと二人を見つめて思う。
本当に悪意にも触れた事が無いようなあり得ない純粋な人間にも見えた。




