水族館【5終】
イルカショーが始まった。大きな拍手が響き渡り誰かも彼が期待に目を輝かせている。イルカが二匹、そしてそのパートナーであろう人が二人。まるで通じ合っているかのように目を合わせて彼等は水槽の中でイルカと泳ぎ、人の合図に合わせて高く高く飛ぶ。
「すごい!!」
「すごいな…」
「本当に見れるなんて…」
間近で見るそれは立体映像で彼等に触れる事は無く何度と上がる飛沫は体をすり抜けてこれは現実ではないと知らせるが、それでもこの目の前にある唯一無二のパフォーマンスにひたすら目を奪われる。
「本当にすごい…こんな事が出来るんだ」
カイはパフォーマンスから目を離す事無くそう呟く。
「こんな風になるまで…どれだけ練習したんだろうな」
「言葉も通じないでしょ?それなのにあんな風にまるで…分かってるみたいに」
「種別に壁が無いみたいだな」
人と動物なのに。
それなのにまるでそんな事など些細な事だと言わんばかりにパフォーマンスは続く。自分達はその目の前の立体映像にひたすら釘付けになる。ミナモもそうなのか口を少し開いたままに見つめていた。
「みんな笑ってるね」
「本当だな」
目の前の水槽を見つめてばかりで後ろを見ていなかったが振り向くと椅子に座り眺める人達も自分達と同じように歓声を上げて拍手をし、あれは記録機器だろうが…こちらに向けて映像に収めているように見える。一番前に座る人は飛沫がかかったのか濡れた髪や服のままに笑っている。よく見れば防水の上着を着てしっかり対策している人もいた。
『本日はご来場いただき誠にありがとうございます…皆様の思い出になる事を嬉しく思います。どうぞ最後まで楽しんで下さい!』
再び響き渡る声、イルカとパフォーマンスをしている人達の声ではない。彼等は声を遠くに届けるような物を着けていない。声の出所を探し周囲を見ると椅子に座る人から見えない死角になる位置に一人の男性がいた。年齢は恐らくミナモと同じぐらいだろうか。少しつり目でこの水族館の名前が入ったTシャツを着ている。
空中に浮かぶ映像を見ながら何かしゃべる毎に息を吐き周囲を見つめてほんの少し笑いながら彼の声が大きく響く。ふと、その男性の胸元に名前らしきバッチがあり、目を凝らして見るとそこには“ナミヤ”の文字があった。
「…ナミヤ…あなたがそうか」
イルカショーはイルカの生態を説明しており少し落ち着いている。突然の立体映像で驚いているのか水槽の隅にいるムギを呼んで立体映像のナミヤを指差す。
「ムギ、あの人のおかげでムギは生まれたんだぞ」
そう言うと言葉が通じたのか分からないがムギはナミヤの方向を見てそのまま視線を離さなかった。
「ジン!次が始まるよ!」
「ん、ムギ。良かったな会うことが出来て」
甲羅を撫でてそう告げると再び始まるイルカショーへと視線を戻す。初めはイルカが対になり泳いだり人の合図で高く飛んだりボールを打ち返したりと言うのが中心だったが、今度は人とイルカが息を合わせている。鼻先に足をつけてイルカに押されるように泳いでいる。
『皆様どうぞ…目を逸らさずにご覧ください。私達人間と動物、いかに種族が違おうとも一つの舞台を完成させる仲間であると変わりはないのです』
「仲間…」
目を一瞬も逸らさずに見つめていたミナモが口を開く。
『私達は共生しています。言葉は違います。住む場所も違います。時に…彼等を傷付けてしまう事もあります』
「それでも私達は…」
『それでも私達は海と切り離されて生きる事は想像出来ません。傷付けた過去を忘れずに間違いを繰り返さないように共に』
「水族館という存在はそのためにあります」
『水族館という存在はそのためにあります』
ミナモと立体映像のナミヤの言葉が重なる。
口に手を当てて目を見開いたミナモは走り出して一目散に多くの立体映像の人達が座る席へと駆けていく。
「ミナモ!?」
「え?どうしたの?」
「分からない…ムギ!ムギも行こう!」
「う、うん!ごめんねムギ!失礼!」
立体映像のナミヤを見ていたムギはカイに抱き上げられて箱に入れられる。二人でムギと共にミナモの後を追う。あちらこちらを見て小さく「違う」「もっと遠く」「ここじゃなくて」と呟きながら必死に何かを探していた。様子がおかしいミナモをカイとムギと共に心配しながら見つめていると、ある方向を見て再び駆け出し止まる。
「……?」
「ミナモ…?」
ミナモが見つめているのは女の子を挟んで座る男女だ。男性は優しげな顔つきで女性は女の子の肩に手を置いて時折女の子の表情を見つめて笑っている。
「……あ」
女の子の顔を見て気付いた。
今ここにいるミナモとこの立体映像の女の子が似ているのだ。
“子どもの時の話よ”
イルカショーが始まる時間だと両親に手を引かれて来た子どもの頃のミナモだ。
「あ…あぁ…」
ミナモの目から溢れるように涙が流れた。
溢れた涙を両手で止めるようにして顔を覆いそれでも止まらない涙はミナモの手の隙間からすり抜けていき落ちていく。
「おかあさん…おとうさ…」
涙混じりの声で立体映像に残るミナモの両親は微笑んでいる。それを見てミナモは耐えられないように声を上げてその場に崩れて泣いた。
「…ミナモ」
「この人達が…」
女の子のミナモが繰り広げられるパフォーマンスに手を叩いて楽しんでいる。両親に買って貰ったのか膝にはペンギンのぬいぐるみを置いていた。ミナモの両親もそのパフォーマンスを見る度に声を上げている。そして女の子のミナモの喜ぶ表情を何度と見ていた。
お母さん、お父さんと途切れ途切れに何度も呼びながら泣くミナモの肩に手を置く。泣いている時に一人ではないと思い出させるために両親やカイがしてくれた事だ。
カイも同じように手を置いて泣き続けるミナモの側にいる。
「……」
ムギも側にいた。
箱の中からミナモの事を見つめている。ミナモの涙はムギには大きく雨のように彼女の頭を濡らすだろう。
「…ミナモ」
「…うん」
「こんな優しそうな両親なんだ」
「うん、すごく…」
「楽しかった?」
泣いて赤くなった顔のミナモに声をかける。少しづつその時の思い出を話してくれる。ペンギンのぬいぐるみは両親にねだってねだって買って貰った。席は遠く、目の前で見たかったため少し不満だった。それでも始まるとただただ夢中になり記憶に大きく刻まれた。
「…でも、今になって分かった事があるの…」
「何?」
「両親は…お母さんとお父さんは私の事を何度も見ていたのね…」
楽しむ娘の姿を両親は記憶に刻んでいた。
「良かった…本当に見れて良かった…」
大きな歓声が上がる。見るとそこにはイルカに押し上げられて高く飛ぶイルカのパートナーの一人がいた。イルカと共に水槽に飛び込んで行き割れんばかりの拍手と共にイルカショーは終わりを迎えた。
段々と映像が途切れていき椅子に座っていた人達の映像が消えて行く。
「終わっちゃうんだね…」
カイが寂しそうにそう呟く。
「そうね…」
子どものミナモも、ミナモの両親も消えていく。
「それでも…」
イルカとそのパートナーも頭を下げると消えていく。音も段々と小さくなり先程まであんなに歓声が拍手があった空間が無くなっていく。
「それでもここにあった記憶はある」
土は埋まった骨が未来に掘り出されて再び見つかるように、この水族館にこの空間に刻まれていた記憶はここに確かに残っている気がする。
「記憶…」
「ミナモが…カイも俺も…忘れない限りはきっと…無くなる事はないんだろうな」
「ムギも覚えてくれるよね」
勿論と言わんばかりにムギは首を動かした。
「ここに、私がいた…」
「うん。ミナモのパパとママもいた」
「大丈夫。覚えてる」
「ジンはね、覚えるのが得意なんだ」
「…そっか…」
「ん?」
「誰かの記憶に残るって、嬉しいのね」
「嬉しい?」
「一人じゃないって思えるの、すごく心強い」
「分かるかもしれない」
「僕も同じだね」
「…ここにいた人達、私も出来る限り覚えておこうと思う。これから先…ここで私と同じ日にイルカショーを見ていた人達をずっと…勿論お父さんとお母さんも」
「…すごく良いと思う」
「そうすれば…少しでも長くここにいた人達が生きていた事を長く長く残せる事が出来ると思う。誰からも忘れてしまわれるよりは…ずっと良いと思うの」
「うん。ミナモなら出来るよ」
「私だけじゃないわ。ねぇムギ、あなたも協力してよ?」
そう言われたムギはまるで人と同じように戸惑い視線をさ迷わせるように首を振った。
その姿を三人で見つめて声を上げて笑った。
その日、水族館のカフェでカイは見なかったナミヤの日記を開いた。ムギも一緒にその日記を声に出して読むと、段々と崩壊していくこの水族館の様子に表情を少し歪めながらカイは聞いていた。
世界がこうなってしまった後は辛い思い出や記憶も確かにここにある。ただそれだけを覚えてここはなんて悲しい場所なのかとだけ思わないようにミナモが覚えている記憶も共に振り返っていく。
「楽しいだけじゃ駄目なの?」
「ナミヤが言ってたろ?」
「何を…?」
「カイ…イルカショーだけじゃなくて声も聞きなさいね…」
「傷付けた過去を忘れずに間違いを繰り返さないように…こう言ってたんだよ」
「あの時の言葉がね…すごく子どもの私には強烈だったかも」
辛い事なら忘れてしまえ、楽しい事だけでいいと子どもの頃は思っていた。それだけでいけない。忘れるな、繰り返さないように覚えていなきゃいけないのだと大人になった今、再びナミヤにまた言われた。
「その辛い思い出も楽しい記憶と全部この水族館の残した記憶なの。もしかしたらこれからジンとカイみたいにここを訪れる人がいるかもしれない」
「そしたらまた、ここでの事を話してくれる?」
「辛い思い出も楽しい思い出も全部話すわ。いつになるか分からないけど…何十年何百…ここがいつか崩れて無くなった後かもしれない、それでもまたここに水族館が建設される可能性もゼロじゃない」
その時ここであった事が未来にも語られるように、辛い思い出が繰り返されないように楽しい思い出は繰り返されるように努めていく。
「…ずっと思ってたの…」
「何を思ってた?」
カフェのテーブルで頬杖をつきながらムギを撫でてミナモは話し出す。
「何で私は生き延びたんだろうって」
世界がこうなり両親も亡くなり一人になりとにかく逃げるために思い出を追ってここに来た。ムギと二人きりの水族館の生活は長く、何度とどうして両親と共にいることは出来なかったのかと思う日々だったらしい。
「残りの人生はおまけだと思ったのよ。どうしてどうしてって思いながら無理やり明るく過ごしていた事もあったけど…」
死ぬ勇気も無い。
それでも明るく前向きに生きる気も無い。
そんな人生の頃に突然現れたのが自分達らしい。銃が見えた事から撃ってくれたら死ねるかと一瞬思ったがそうするとムギはどうなるとすぐに頭に過りその銃をどこかにやれと伝えた。
「…ムギがいるからおまけでも生きて来たと思ったけど…今はもっと強烈に生きたいって思ってる」
これからの人生にやる事が増えたとミナモは笑う。
「ムギと長く生きてこの水族館の記憶を残す。ナミヤさんがそうしたように私も残して覚えていてくれる人が一人でも多くあるように努める」
「うん。ミナモ、この水族館の事お願い」
「俺達も覚えてる。パーカーの亀のイラスト見る度にムギとミナモの事を思い出すよ」
「えぇありがとう」
それからカフェで今度は他愛も無い話をしながら過ごしていた。その日の夜はミナモとムギと共にあの大きな水槽の前で再び図鑑を見ながらミナモの思い出も交えて久しぶりに本当に久しぶりに夜更かしをして最後は眠気で支離滅裂な会話になりながらソファーで眠った。
翌日はいつもよりずっと遅くに目が覚めてカフェでゆっくり食べながら身支度をした。カイが何度とムギに構うため思っていた以上に時間がかかりようやく出発する事になった。
「忘れ物は無い?」
「無いと思う。燃料もネックレスもありがとう」
「大したことじゃないわ」
「ムギもバイバイ。元気でね」
「……ねぇ」
「ん?」
「本当に私が貰って良いの?あの再生機」
「何回も言った。良いんだよ」
「ミナモにきっと必要だもんね」
あの映像機器をここに置いて行く事にした。初めはミナモは断ったが両親との思い出が刻まれたそれを見れるのだ。それにこれからあの日のイルカショーを見ていた人達の事を覚え行くためにミナモにこそ必要なのだと思いカイとそう結論を出して置いて行く事を決めた。
「…私が泣くほどだったから?」
「そんなわけない。ミナモに必要なんだよ」
「僕達はこれからまた手に入るかもしれないしね」
「……ありがとう」
「こっちこそ…会えて良かった」
「僕も会えて良かった」
ミナモに手を差し出して最後に握手をする。両親以外の体温に久しぶりに触れて離れる前に少し力を込めて離す。カイは両手で包むように握手をして別れを惜しんだ。
「それと…次はどこに行くの?」
「壊れてない建物を見つけたら行くよ。イルカショーをやった場所からそれっぽいのが見えたからそこに向かって見る」
「分かった。気をつけてね」
「ありがとう。……元気で」
「…元気でね」
「ジン、ムギにも挨拶して」
「そうだな。ムギ元気でな」
そう言うとムギは目を閉じて頷く。別れの意味を理解しているのだろうか。
車に乗り込み扉を閉める。窓を開けて別れを最後の最後のまで惜しんでいるとミナモが口を開く。
「ねえ、私言ってみたい事があるの」
「何?言ってみて」
「子どもの頃に憧れたの、だから最後にごっこ遊びでも言ってみたい」
「うん」
カイと共に言葉を待つ。
ミナモは笑顔で手を振りこう言った。
またのご来場をお待ちしております。




