水族館【3】
従業員専用の入り口はいくつもあるらしい。この水族館で暮らす生物達を守るためにある装置や餌、清潔であるための掃除用具が保管されている。自分達が歩いていた場所と違いどうなっているか分からない装置がいくつもあった。
「今更だけど…電気も水道もあるんだな」
「電気は自家発電らしいの、ここの水族館は自然の力で電気を作って動かしてるですんって」
「水は?こんな大量に常にあるのか?」
「人が生活するための水道はまだ出るの、水槽の水はずっと同じ水を機械が洗浄してる。飲めないけど泳ぐのは平気よ」
「へぇ…」
自家発電、車に積んでいる立体映像を移す機械も確か太陽の力で動くはずだ。それと同じ原理だろうか。
「ねぇ、ムギ。窮屈じゃない?」
あまりこういう会話に興味が無いカイはミナモが連れて来たムギに話しかけている。水の入った箱に入れられたムギはミナモが押す台車によって外の水槽に移動している最中だ。
聞くと普段気分転換にこの移動方法で水族館の中を散歩しているらしい。
ムギはこちらを見たと思えばミナモを見て、そのどちらでもない方向を見たりたまに手足を動かしている。
「何か言ってる?」
「さあ?でも私以外の人間がいるから少し興奮してるんじゃない?」
「ムギってかわいいね。目がまん丸」
「そう、かわいいでしょ?」
ムギを褒められたミナモは自分の事のように声を弾ませた。何の機械か分からない通路を抜けるとあの重い扉と同じように光が漏れている扉がありミナモがそこを開けると、あの椅子に囲まれた水槽が目の前にある。近くで見ると一層大きい。まだ明るい昼間の光を受けて眩しい程に光っていた。
「こんな大きな…前に大きなお風呂に入ったけどそれ以上だ」
「ミナモ、足つけていい?」
「どうぞ。落ちないようにしてね」
「俺もいい?」
「落ちても平気なように荷物は置きなさいね」
「はーい」
言われた通りに荷物を置いて靴を脱ぎ靴下も脱ぎ水槽の縁に座り素足になりゆっくり足をつける。冷たい水が爪先に触れて体温が一気に冷える。
「冷た…!」
「温かい…わけではないないからね。今は」
ミナモがそう言いながらムギを水槽へとゆっくり入れる。台車によって運ばれていたムギは水に入った途端こちらが地面を歩くように泳ぎ、水槽の水を揺らがせる。
「…すごいな、泳いでる」
「気持ち良さそうだね」
水槽の水につけた爪先を動かしながら水を揺らすカイに反応してムギがゆっくり寄ってくる。自分はまだ慣れていないのでつけていた爪先を水槽の縁に置いてムギの動きを見つめる。カイは寄って来たムギに好きにさせているようでその動きを見つめながら笑っていた。
「ミナモ、ムギに触っても?」
「甲羅の部分を優しく触ってね。落ちないように気をつけてね」
「分かった。ムギ、触るよ」
ゆっくり手を伸ばしてムギの背中、甲羅の部分に触れると初めての感触にカイは表情を輝かせている。
「…どう?」
「固い…!」
「そうか…」
「面白い!」
「触るだけでここまで楽しめるのね…」
「動物、初めてだしな。生きてる姿見るのも触るのも」
ムギを気に入ったカイは飽きずにその泳ぐ姿を見つめながらミナモに質問をしている。ムギはどうも自分達と同じ性別らしく、年齢は今年で七歳。亀の寿命は平均して三十歳ほどらしくまだまだ若者。
海亀で海の中を泳ぎながら暮らしており元々ここにいた亀が生んだ卵が孵ったのがムギらしい。
「生まれたの知ってるって事は…ミナモはここに七年前からいたのか?」
「そうね」
「前にステラって言う人工知能がいるプラネタリウムに泊まった事があるんだ。そのステラから俺達が来る前に男女が避難して暮らしていた事を聞いたんだけど…ミナモも似たようか感じか?」
「まぁ、似たような感じね。世界がこうなった時に…私はその時は両親とショッピングモールに来ていたの。外からすごい音がして…しばらくそこで過ごしていたけど落ち着いた頃にショッピングモールに避難していた人達は家に帰り始めたの」
「パパとママがいたの?」
ムギと戯れていたカイが聞く。
「もういないけどね」
そう答えたミナモは話し始めてくれた。
ショッピングモールにいた人々が帰り始めた頃、ミナモもまた両親と家に帰ろうとしたが外の惨状を見てまたショッピングモールに戻ったらしい。それから外に出るのを恐れてそこから決して出る事なくショッピングモールの商品や食糧で生きていたが限界が来たらしい。
「家庭菜園のお店もあったから何とか野菜とか作って十年近く生きていたけど…足りなくなって外に調達に出た人が亡くなっていってね」
「ステラも同じような事言ってた」
「私はまだその時未成年だったから守られていたけど、両親も亡くなって周りの大人が亡くなって」
「一人になったのか?」
「家族がいなくなったという意味では一人ね…それで残った人達で喧嘩が絶えなくなったの」
渡された食糧が少ない
喉が渇いた
あいつが死んだのはお前のせい
そんな些細な事で起こる争いの声が毎日聞こえる環境に耐える事が出来なくなり思わず飛び出してしまったらしい。
「ショッピングモールの人達は?」
「さぁ…でも、多分」
その後に続く言葉はミナモは言わなかった。
「…両親が外に出る時に使ってた車があってね。自動運転だから私でも動かせるようになってたの。それに乗って遠く遠くに…それでここにたどり着いた」
両親との思い出がある水族館に七年前にたどり着いた。
「その頃は誰かいた?」
「いなかった。人も魚もいなかった。消えない電気と水槽にある水だけがあったわね」
誰もいない水族館を家族の事を思い出しながら歩いていると海亀の水槽に卵が一つだけあり、しばらくそれを見ているとまさかと思ったがそこから小さな海亀が孵ったのだ。
「それがムギ?」
「うん。私もどうしていいか分からなくてね、それで慌てて水族館の中を走って従業員の人が使ってたらしい育て方の本とか、メモとか必死に見て何とか生かしてやろうと思ったの」
「すごいな、ミナモは一人でムギをここまで育てたのか?」
「ここにはたくさん世話を出来る物が残ってたから」
「ここにいた人が残したのか?」
「人が食べれない動物用の餌とかは残ってたのよ。だからムギが食べるには困ってないの」
「……それじゃ何でムギ以外いないんだ?」
「世界がこうなった時、水族館は営業してたらしいの。私達がショッピングモールで暮らしてたみたいにしばらくはそうしてたけど…やっぱり食糧は尽きるじゃない?」
「うん」
「…まぁその、うん。それで水槽を魚が泳いでるでしょ…?」
「……」
「水槽が空なのは…まぁそういう理由らしいの…ここに最後まで残ってた飼育員の人の日記があって魚に謝りながらその事を書いてた」
「……それで何もいないのか…」
「それで出ていく人もいて、残った人も食糧が無いから出ていって…最後に残ったその飼育員さんも水槽に何もいないのを見て出ていったらしいの」
「後でその日記を見ても?」
「少し辛い気持ちになるわよ」
「それでも見たい」
「…分かった」
誰もいない水槽、もしかしてそうかもしれないと薄々感じていたがどうやら当たってしまったらしい。誰もいなくなった水族館でミナモとムギは二人きりで生活していた。ムギと散歩をしたり水族館の掃除をして清潔に保ったり、水族館にある店に何冊か本が残っていたためそれをひたすら読んでいるらしい。
「それじゃミナモはこの水族館を知り尽くしてるんだな」
「七年前からひたすら暇潰しをしてたのよ」
「あと、気になるんだがミナモの食糧はあるのかるか?」
「ここに来る途中でもう誰もいなくなったマンションとかスーパーがあってね。そこにまだ手がつけられてない保存食が残ってて大量に持って来てる」
「ある所には残ってるな、食糧」
「…崩壊がすごかったから、食べる前に人がすぐ亡くなったんだと思う。マンションもスーパーも地下倉庫がある所でね。たくさん保存食があったわ」
「そうか…無かったら一食あげようと思ってたけど平気みたいだな」
「お気遣いどうも、平気よ」
ミナモがここに今日までいる理由を聞いているとムギと遊んでいたはずのカイがいる方向から飛沫が上がる。顔を向けるとそこには泳ぐムギといるはずのカイがいなかった。
「……カイ!?」
水槽に落ちたのかと青ざめて立ち上がり服のまま躊躇い無く自分も落ちる。大きな飛沫を上げて水の中へと落ちるとミナモの制止する声が聞こえたが水の中では音も感じなかった。
深い水槽の中に影がある。その影に手を伸ばそうとするが鼻に水が入り痛くなる。当たり前だが水中で人は呼吸は出来ない。こんな大きな水槽でどう動けばいいのか分からない。踠いていると手を引かれて光が揺らぐ水中を浮上した。
「…はっ…げほっ」
水中から外にで出れた。水の中で“溺れる”と言う感覚に初めて遭遇して何度も咳き込む。見ると自分と同じように水槽に飛び込んだミナモとカイが自分を見ていた。
「これ、掴んでおいて」
「カイ…大丈夫か?」
ミナモに渡された輪の形をした浮く物を手にしていると体が沈まない。未だに咳き込みながらカイの心配をすると同じように輪の形をした浮く物に体を任せるカイが近付いて来る。
「ごめん、足滑らして落ちた…」
「気をつけてって言ったでしょ」
「ごめんなさい…」
「無事なら、いい…」
「…ジンもよ」
「え?」
「泳げないでしょ?」
「…でもカイが」
「泳げないのに飛び込んでどうするの。二人揃って溺れちゃって…まったく」
「……ごめん」
「…こういう時はね、慌てないの。力を抜くと浮くから浮いて助けを待ちなさい」
「覚えておく…ところでこれは?」
「浮き輪よ。それ持っておけば沈まないから」
「ミナモは泳げるの?」
「気温が高い日とか、ムギと泳ぐのよ」
「へぇ…おぉ、」
水槽の中で浮きながら話しているとムギが寄って来る。カイの言う通りにまん丸な目でこちらを見たと思ったらすぐにまた別の方向に泳いでいく。
「あ、見てみて」
「何?」
「こうしたらムギと泳げる」
カイが浮き輪を掴んだまま足を動かすと水の中を自由に動いていた。ムギを追いかけて並ぶと同じ水中で目を合わせて泳いでいた。
「まだ寒いから、出ましょう」
「そうだな…ミナモ、今日泊めてもらっても?」
「はいはい。適当な所で寝てね」
「僕はあの大きな水槽の前がいい。長い椅子がそこにあったでしょ?それ使って寝ようよ」
「分かったから早くおいで。体が冷えるぞ」
未だにムギと泳ぐカイの手を引いて水槽から出ると水を吸い込んだ服は想像以上に重く一歩一歩歩く度に足跡をはっきり残した。ムギも水槽から出て自由に泳いでいた先程と違い短い手足をゆっくり動かしながらこちらを追いかける。
「タオルがあるから取り敢えず拭きましょう。持って来るから待っててね」
「悪いな」
「いいえ」
ミナモが小走りでタオルを取りに行ってくれている間にカイとそしてムギと待つ事になる。ゆっくり歩くその姿、のろまの代名詞。それなのに水中に入れば早く早く泳ぐそれ。
「ムギ、今日はムギと家に世話になる。よろしくな」
そう挨拶すると名前を呼ばれたムギはこちらを向いて目を合わせる。じっと見つめていたと思ったらすぐに視線を逸らしてまたどこかへ歩き出す。カイはそれを追って速度を合わせてゆっくりゆっくり歩いていた。
「ジン!カイ!ほら拭いて」
タオルを持って戻って来たミナモは着替えて来たらしく服が繋ぎから黒い長袖のシャツにジーンズになっており手にタオルを持っていた。礼を言ってタオルを受け取り体を拭くとタオル以外に何かを持っている。聞くとこの水族館にある店の商品の服らしい。わざわざ着替えまで持って来てくれたのかと改めて礼を言い後ろを向いて着替えると、この水族館にかつて存在したいた生物の絵が描かれた長袖のパーカーだった。
「パンツとかは無いから、取り敢えず上だけね」
「リュックに着替えがあるからそっちを着るよ。もう少し後ろ向いててもらえるか?」
「分かってるわよ」
「見て、このパーカーにムギもいるよ」
「カイ、早く着替えな」
「はい」
濡れた服は乾かす事にして外の日が当たるこの場所に干しておく事にした。頭はまだ濡れているのでタオルを被ったまま室内へ移動する。
「その服貰う?」
「いいのか?」
「欲しい!」
「サイズがメンズだから私には大きいのよ」
「それじゃ貰っておく。助かるよ」
「かわいいの貰った。ムギもいるしアザラシ…カワウソもいる」
「鮫もいるな…食われるんじゃないか?」
「プリントされたイラストよ。何でもいいじゃない」
「みんな仲良くってな…」
「平和なパーカーだね」
「…そうかもね」
可愛らしく描かれたイラストのパーカーはまるでみんながみんなお友達ですと言わんばかりに笑った生物達のイラストで、世の中そんな上手くいくはずないがそれでもこうであってほしいと願いを込めて描かれたようだった。実際そうはならなかった現実を目の当たりにしてきたミナモは声を暗くした。
「ねえ温かいの飲む?」
「温かいの?」
「水族館にあるカフェ、私が持って来た紅茶があるから飲まない?」
「いいのか?」
「うん。…ムギ以外に誰かと喋るの本当に久しぶりだから」
「それじゃ甘いの食べようよ!ジン!まだあのポップコーン残ってるから良いよね!」
「いいよ。あと少ししかないから食べよう」
「それじゃ取りに行って来る!」
そう言ってカイは走り出した。
ミナモとムギの三人で残ると、ミナモは静かに笑っていた。
「何か楽しい?」
「…まあね。人がいる本当に久しぶりだから」
「知らない事が多くて…うるさくないか?」
「全然よ。だって怒号や泣き声が聞こえないもの。穏やかで平和で……最初は警戒したわよ?だって銃を持ってるんだもの」
「外に出る時に護身用だって持ってけって…撃ち方は知ってる。でも撃った事がない」
「それでいいのよ」
これから先もそうであるといいと独り言のように呟く。ミナモはその言葉に小さく反応して頷く。
「…私の話を興味深く聞いて、ころころ反応して…カイはあんまり難しい話は好きじゃないのかしら?」
「カイが興味があるのは、難しい話は好きじゃないかもな…楽しいこと、笑える事…今日が明日が少しでも良かったって思える事」
「ジンは何に興味がある?」
「この世界にあった事、どんな命があったかどんな生活があったかに興味がある。例えばここの水槽の中が空になってもまだその痕跡がある気がする。これから再生した時、焦らず知識があればその命に対応出来る事が出来れば…命が増える」
「…すごく先の事じゃない?再生するのは」
「それでもいい。何百年何千年先の未来に託す」
博物館が残っていたように、この世界で生きていた人間の生活の痕跡があるように、水族館が残りミナモがムギを育てたように何らかの形で受け継ぐ事が出来れば。
いつか再生した時の財産になるだろう。




