大浴場
「何か休めそうな所だね」
「確かに」
扉を開けた先には横になって休むには丁度良さそうな大きな椅子。それがいくつも並んでおりここでどうぞ休んで行って下さいと云わんばかりのその場所は何か、荷物を入れる箇所なのか開けても空ばかりの箱がいくつもある。
「反対側も同じような作りだったね」
「レストランの文字はあったから食べて…休む所なんだろうな」
「それでここでみんなでシャワーを浴びてたんだろうね」
「こんな大量に入れる所があるもんだな」
箱が置かれている更に奥の場所にはいくつものシャワーが設置されている。体を洗う物も、髪を洗う物もそのまま残されている。壊れて使う事が出来ないかもと思っていたが、試してみるとまだきちんと水もお湯も出してくれる。
「ここの建物は殆ど壊れてないね」
「入り口の扉が吹き飛んでたぐらいだったな」
「…それに休める場所もある」
「お湯も出る」
普段は水が出ている箇所で行水だ。
肌寒い日もあるため濡らしたタオルで体を拭くのも震える時がある。
そんな生活の最中に願ってもない温かいお湯が出る場所。シャワーも出るなら今日はここに泊まってゆっくり体を温めて休ませて貰おう。
「この大きなお風呂にお湯を入れる?」
「途中で出なくなったらどうする?」
「そしたらここに溜めたお湯で洗ったらいいじゃん」
「溜まるかどうか…それに汚れてるから入れない」
「なら洗おう!」
カイが楽しげに掃除するための道具を探している。何人も一気に洗えるシャワーに何人も一気に入れるであろうお風呂は確かに魅力的だが、ここの建物の水やお湯があとどれぐらい出るの分からないため無駄に使う事は避けたいが、あのお湯一杯になったお風呂には確かに入りたい。ゆっくりしたい。体を温めてあの椅子で横になり寝たい。
「はい、掃除道具」
カイに大きな掃除ブラシを渡される。
「これで床とかを擦ればいいんだ」
「…やってやるか、とことん」
「どうせなら綺麗にしてから入りたいもんねえ」
そう言って遠慮無くシャワーを出してブラシで擦る。人がいなくなった事で汚れていた箇所を掃除していくと段々と綺麗になっていくのは面白い。
「…でもこれ二人でやるもんじゃないな」
「うん。力使うし広いしね」
ブラシで擦り綺麗になったら次の箇所へ、しかし綺麗になったが何だか物足りない気がしてまた同じ箇所を擦る。
「ジン、それぐらいでいいじゃん」
「端っこの…ここがさ」
「大体でいいじゃん」
「カイは大雑把なんだよ」
「ジンは細かいもんね」
「だから俺達二人合わせて丁度良いんだろ」
「お互いに性格あんまり似ないで良かったねえ」
カイがそう言って笑いながら掃除ブラシを擦りながら走る。滑って転ぶから止めろと注意したが時は遅く滑って尻餅をついていた。駆け寄り起こしてやろうかと思ったがこちらも足を滑らせて転んだ。
「…濡れたな」
「濡れたね」
注意はしていたが納得出来るぐらい綺麗になった頃には濡れていない箇所の方が少なかった。
「…ここからお湯が」
「溜まるまで時間かかるだろうね」
「それじゃ、洗濯しておこう」
「そうだね」
大きな蛇口から温かいというより熱いぐらいのお湯が出て来る。大きなお風呂は溜まるまでかなり時間を要するであろうと思い、別の場所の水道で濡れた服を脱いで洗う事にした。他の服も洗える内に洗ってしまおうと全て濡らして手で汚れを落として水を絞る。掃除の後にすぐまた力を使う重労働のため疲れてしまい、大きな椅子に横になる。
窓の光りは遮られて真っ暗とまではいかないが、どこか心地の良い暗さに目蓋が落ちそうになる。
「これ…このまま寝たら…お風呂が」
「お湯が溢れるかも…」
「溢れて…それでここにもお湯が…」
「何それ…この建物が全部お風呂になるって事…?」
「そう…この建物は隅から隅までお湯になる…」
「……みんなで入れるね…」
「…そう…それでレストランもお風呂に入りながら……」
ここで意識が落ちる。
丁度良い暗さと疲労感、そして椅子の寝心地の良さにカイと昼間から寝入ってしまう。
向こうの方でお湯がお風呂に溜まる音が聞こえて来るのを感じながら眠りにつき、はっと起きると慌てて立ち上がる。
「カイ!お湯が!」
「…?」
「お風呂!お湯!入れっぱなし!」
「……あ!」
椅子から飛び上がったカイと共に走り扉を開けるとその空間が湯気で満たされていた。湿った温かい空気が一気に体を包み込んでいく。
「…おぉ…」
「でっかいお風呂が…」
「…早速入る?」
「入ろう!久しぶりだ!」
「…よし……あ」
「え?」
「…着替えも全部洗濯したな」
「やだ。お風呂から出たら乾くまで全裸?」
「何か…服ないか?」
とりあえず一度溜まったお湯を止めて湯加減は丁度良い。今すぐにでも入りたいがお風呂から出た後の着替えを探す事にした。探索していない箇所を歩く事にする。
扉が壊れた入り口のすぐ側、テーブルがひっくり返ったレストラン。荷物入れの箱がたくさん並ぶ場所には着れそうな服は無い。それとは別に隠れるようにある扉を見つけて入ろうとすると鍵がかかっている。何度ドアノブを回しても開く様子は無い。
「扉に何て書いてある?」
「じゅーぎょーいんせんよー」
「従業員専用か」
「つまり?」
「ここで働いてた人専用扉」
「選ばれた人だけが入れる?」
「格好良い言い方だな」
ドアノブを見ても回しても開く気配は無さそうだ。ここに来たならこの向こうも見て回りたいが開かない扉を開ける方法。
少々乱暴だが思い切り蹴ってみる。何も動かない。
カイと二人で蹴ってみる。やはり動かない。
選ばれた人だけが入れる扉は頑丈らしい。
「…撃っていいか?」
「…向こうに人がいたらどうするの」
「……分かった。それじゃそのナイフ貸してくれ」
「まぁ、銃よりは安心かな」
カイからナイフを受け取りドアノブの回りに突き立てる。蹴るよりもしっかり扉に突き刺さり何とか手が入るぐらいの穴を開けれるとそこに手を入れて内側から鍵を外す。
「開いたぞ」
「何か悪い事してる気分」
「出る時に戻そう」
「どうやって…?」
「…紙とテープで塞ぐ」
「雑じゃん~」
働いてた人達が見たら怒るやつだとカイに言われながら中へと入るとなかなか散らかっている。動くことの無い機械や開けられたクローゼットのような家具。冷蔵庫があったので確認すると何も入っていない。
壁には今月の売上目標。
お客様への対応方法。
イベントについての説明などこの場所が人を受け入れていた頃の名残がある。
「お、段ボールがある」
「中は何かな…」
「…服っぽいな」
「新品だよ絶対。ビニールに包まれてて綺麗だもん」
中には着心地が良さそうなTシャツとパンツがある。腰の部分がゴムで楽に着れそうだ。
「一着持って帰るか。今寝てる時に着てる服の予備にしよう」
「賛成賛成」
着替えも手に入りこのまま風呂に向かおうと思った矢先、部屋の隅にぼんやり光る。四角い機械を見つけた。
「これ、何台も見たな」
「どれも動いてなかったけど」
恐らく飲み物を売る機械。以前コップが自動的に出てきた物とは違う形のようで途中いくつも見かけたがいずれも動く事はなかった。
「光ってるし何かないかな」
「まあ出たら万歳だよな」
そう言ってカイが適当に押せるボタンを全て押すが反応は無い。やはりこれも駄目かと思うと下に何か落ちる音がした。
「……何か出た?」
「俺が取り出す」
下の、以前遊んだ建物と同じような開閉口に手を入れると冷たい物が二つ落ちている。ゆっくり取り出すとそれは何とも鮮やかな色合いの容器に入った飲み物のようだ。軽く降ると液体が容器の中で揺れる音がする。
「何て書いてあるの?」
「フレッシュスパークオレンジ」
「つまり?」
「フレッシュでスパークなオレンジジュース」
「…つまりよく分からないと」
「そういうことだ」
「でも飲めるなら飲みたいね」
「平気だろ。前に紙コップに直接注がれたジュースと平気だったしこれは密封されてるみたいだからな」
「それじゃあお風呂の後に飲もう」
「だな」
他にも出てこない物かと何度がボタンを押してみたがそれ以上は何も落ちてくる事はなかった。
諦めて二本の飲み物を持ってお湯を溜めたお風呂に向かう。お風呂から出たらすぐに分かるように扉の目の前に飲み物を置いてから服を脱ぐ。ここで分かったがこの無数にあるこの箱は脱いだ服や持っている物を入れるための収納だったのかと分かる。
感心していたが、カイに早くと急かされてかなり久しぶりのお風呂に入る。
「シャワー…出るな」
「シャンプーとかもたくさんあるよ」
「使えるのか…?」
「ちょっと出してみるね」
ポンプを押してまずは体を洗うソープの確認をする。色や匂いは悪くない。泡立ちも大丈夫、肌に触れても異常無し。
「…洗えなかった分、今日まとめて洗うぞ」
「勿論!」
思い切りソープを泡立てて体を洗う。髪もシャンプーを思い切り出して今まで水浴びしかしてこなかった分をまとめて洗い出すように隅から隅まで洗う。
「はー…たくさんあるしシャンプーとかも持ってくか?」
「水浴びの日でもそれなら泡立てて洗えるもんね」
あまり持って行くとまた利用する人がいた時が可哀想だと思い、一番多く残っている容器を一本づつ持ち帰る事にした。
体を洗い終えて最後にゆっくりお湯を溜めたお風呂に入る。爪先から入り全身お湯に浸かると力が抜ける。
「…僕さ、初めてこんなお風呂に入った」
「あぁ…家だとシャワーだけだしな」
「ママが言ってた。お風呂に入りたいねって、その時絵本で見て…こんな大きかったんだ」
「いや、普通の家のは小さいよ。もっと」
「分かってるよ~。これはたくさんの人用でしょ」
沈むように浸かり全身が温かい。
冷たい水でも清潔に出来るが全身が休まるのはやはり温かい方が良い。このままずっとこうしていたいと思ったが、カイがまるで泳ぐようにしてはしゃいでいるため静かに入れと注意する。
「はぁー…気持ち良い」
「そうだな…」
「気持ち良い通り越して暑い…」
「そりゃずっとお湯に入ってるしな」
「このままだと茹でられない?」
「茹でられない。逆上せるけど」
「…お風呂から出るタイミングっていつ?」
「無理だと思ったら十数えてから出るぞ」
「何そのルール?」
何人も入れるお風呂で二人だけ、喋ると響くこの空間で一から十まで数えて上がるとお湯から出てもしばらく体は温かいままだった。用意しておいた服に着替えると随分着心地が良く、やはり休むために作られた建物の服は違うなとこれまた感心する。
「ジン!早くこれ飲もうよ」
「ちゃんと拭いてからな」
適当に拭いたのだろう、髪から雫がいくつも垂れているカイの頭にタオルを被せる。このままタオルが水分を吸って自然に乾くまでの間に飲んでしまおうと飲み物を持って移動すると夜に差し掛かっていたためか電気が勝手に点いて建物の中を明るくする。
「今夜はここで一泊か」
「あの椅子で寝よう」
「あの椅子妙に寝れるんだよな…」
不思議な魅力がある椅子だなと思いながら寝る予定の部屋に入り飲み物の蓋を開ける。缶詰めと同じ要領で爪を引っ掻けて開けると簡単に開き飲めるようになった。
「上手く、開けられない…」
「貸してみな」
「いい…やり方は分かるし……開いた!」
「良く出来ました」
二人揃って開けた飲み物。椅子には座らずにそのまま床に座り乾杯して飲んでみると口の中ではじけて甘いような爽やかな味が駆け抜ける。普段はいつも水を飲み、甘い飲み物などいつ飲めるか分からない今の状況にこの味は本当に美味しい。
「何か、すごく美味しい」
「今日掃除したり洗濯したりでいっぱい働いたから?」
「なるほど…労働の疲労感が更に美味くしてると」
「明日から食べる前とか飲む前にもっと動く?」
「……無駄に体力使いたくないな」
「確かに」
飲んだだけなのにお腹は妙に膨れてこのまま夕飯はいらないだろうかと思ったが、カイは夕飯はしっかり食べようと力説するため車の中から持って来ていたスープを食べる事にする。
「コンロ…車の中だ」
「下のレストランは?ここの電気が点いたりするならまだ下の設備も使えるんじゃない?」
「行ってみるか」
「うん」
レストランに移動して調理場を探すとすぐに見つかり、そのまま残っているコンロや水道は予想していた通りに使う事が出来た。
「鍋借りまーす」
「どうぞー」
「食器借りまーす」
「どうぞー」
「保存用缶詰めありましたー」
「いただきまーす」
食器の奥にいくつか残っていた缶詰めはありがたく頂戴する。鍋にスープの中身を入れて温めると周囲に温めているオニオンスープの匂いがしてくるが、ふとかつてのこの場所も同じように匂いを漂わせたのだろうと思いながら食器に注ぎ、レストランの席に座り手を合わせて食べる。
「缶詰めさ、何の缶詰め?」
「野菜とウィンナーのスープだって」
「いくつある?」
「六個あった」
「有難い事だ。まだ食べる事が出来る」
「食べないとすぐ動けなくなるしね」
「…本当にな」
空になった食器と借りた鍋を洗い寝る準備を整えると再びあの椅子が並ぶ場所へ行き来た時と同じように寝る。
「…プラネタリウムの椅子も良かったけどさ…」
「…ん」
「こっちもなかなか」
「…プラネタリウムは…プラネタリウム見るための椅子で…」
「…うん」
「こっちは…完全に休むための椅子…だと思う」
「……へぇ」
「だから休むに最適なのは多分こっち…」
「……」
「…寝たのかよ…」
今日は疲れた。寝付きが良い。
カイが寝た後に自分も目を閉じるとすぐに意識が揺らいで向こうに行ってしまった。
深く深く夢も見ない眠りを味わい、翌日目が覚めた時、随分体が軽かった。
干していたままだった着替えも畳んで片付けると最後にもう一度綺麗にしておこうと、カイが言うのを聞いてもう一度お風呂に入る。
どうやら昨日溜めたままだったお湯は温度を保っていたらしく再び体を温める事が出来た。
「朝からお風呂に入るの贅沢だね」
「なかなか出来ない事だよな」
贅沢な朝を味わいたっぷり休ませてくれた建物に礼を行ってまた次のどこかへ向かう事にして車を走らす。
「あ」
そこで思い出した。
「何?」
「…お風呂のお湯、抜いてない…」
「……あ!」
そのままにして来てしまった。戻るにも距離がだいぶ離れてしまった。
「ま、まあ次に来た人がすぐに入れるじゃん?」
「そういう考えにしておくか…」
あの建物には今も湯気が立ち込めているだろか。




