ジンとカイ
窓を開けると風が車内に入り込んでくる。今日は風が強いらしく助手席に座る弟のカイの髪を風が揺らしていた。
ところどころに大きな瓦礫や石がありそれを避けながら運転すると今日もまたいい天気だ。
「今日はいい天気だね」
「俺も同じこと思ってた」
この車を運転してから六十五日が経っている。初めは動き出したこと事態に恐れながら進んでいたが慣れればなんてことないらしく助手席に座ってばかりのカイはたまにもっと速く走ってもいいんじゃないかと文句を言う。速く進めば窓から入り込む風が強さを増して面白くなるのを知っている。その気持ちは分かるがあまり速く進むと見逃してしまうかもしれない。
「ジン、ジン」
「何かあったか?」
「半分になった建物」
「半分になった建物」
カイの言葉を繰り返して指差す方向を見ると確かに半分になった建物が見えた。ハンドルを回してその方向へと向かうと元々その建物の一部だったの瓦礫が近付くに連れて多く散らばっている。車で近付けるのはここまでだなと思い、車を停めてカイに降りるように促す。
大きなリュックサック、腰には銃。
カイも同様に大きなリュックサック、太股にナイフを携えて車を降りる。車の鍵を締めて鍵を首から下げるとその様子を見ていたカイが言う。
「いちいち鍵する必要ある?」
「ある。盗まれたら困る」
「盗まれないよ」
「万が一、億が一。これ無くなったら俺達どこで寝るんだよ」
「はいはい分かった分かった」
「はいも分かったも一回」
「はい分かった」
半分になった建物に向かって歩くと大きな瓦礫が転がっておりカイがそれに登り遊んでいた。真似して登るといつもより高い視界に少し気分が良い。瓦礫の上から飛んで降りると足が何やらジンとした。初めての感覚にカイにも飛ぶように言うと同じように足に初めての感覚があったことに顔を合わせて笑う。
「変なの、痺れる感じ」
「あんまり良い感覚じゃないな」
大きな瓦礫に気が向いたら登り小さな瓦礫を蹴りながら建物の側まで来ると何階建てなのか何を目的にした建物なのか分かるものがないか見回す。
「ジンー、こっち来てー」
「何かあったか?」
「この建物の名前かも」
「どれどれ…」
カイが見つけたそれは恐らく石か何かで作られた看板なのだろう。こちらも半分に欠けて全て読むことが出来ないが“大学”の字が読めた。
「大学?」
「勉強するところだな」
「こんな大きなところで勉強するの?」
「たくさん人がいたんだろ」
「何勉強してたんだろう」
「それは中に入って調べるか」
半分壊れてすっかり風通しの良くなったその大学に入ると割れたガラス窓や散乱した机と椅子、何も映していない真っ暗な黒い妙なものがある。
「これ何だろう?」
「さぁ…ここに机と椅子がたくさんあって…そしたらここに人が集まってた部屋なんだろう?」
「その部屋の一番目立つところにあるこのでっかい四角いこれは何?」
「ここにあるならこの部屋に集まってた人はこれを見るから……これが教科書じゃないか?」
「教科書?」
「勉強してるみんなが見るからこれが教科書?」
「教科書ってこんな大きいんだね」
「みんな見るからこれぐらい大きくないと駄目なんじゃないか?」
「そっか」
多分こうだろうという話をしながら机の中身を確認して棚があればその中身を見る。引き出しがあればそれを引っ張り出して見る。
「あ」
「ん?」
引き出しの中に何かがある。カイも自分の声につられてその中身を確認すると細長い筒のような入れ物があり中身を振ってみるとカチャカチャと何か軽いものが当たる音がしている。筒にはファスナーが着いておりカイと確認して中身を見ると鉛筆や消しゴム、文房具が入っていた。
「貰っておくか?」
「うん。何か絵とか日記書く時に使う」
「これでシャープペンが三本目、鉛筆が二本目、消しゴムに至っては四個目だ」
「消しゴムは割れたのも含めて四個目?」
「そう。割れたのも含む」
「文房具がどんどん増える。店開く?」
「客は?」
「ジン」
「店員は?」
「僕」
「店一人、客一人かよ」
「いないよりずっといいよ。いらっしゃいませ」
「間に合ってます」
そんなこと言わないで、良い品物があるんだよとカイと笑いながらお店屋ごっこをしながら大学の中を探索する。階段を昇ると大きな穴が空いた壁から外の景色が見える、どこにも動いている物は無い。階段を昇り終えてその階を探索出来るだけ探索するがなかなか今後の役に立つような物は得られない。靴や鞄があったがどれも元の形を辛うじて保っているだけであって使える物では無かった。
「ここはあんまり収穫なさそうだな」
「そうだね、暗くなる前に車に戻ろう」
「そうだな」
階段を昇る時に見えた看板に五階と書かれていたのを見つける。それ先にはもう上は無いとも分かり最後の階を探索すると下の階にはあった机や椅子がここに来て少ないのが分かる。利用する者がいなかった階なのだろう。この建物に人がいた頃は下の階を中心に使っていたのが分かる。
「箱が多い」
「本当だな」
扉が壊れた一室に入るとそこにはいくつもの箱が積み上げられていた。カイと共に開けていくと中には本があった。
「…何これ?」
「本、だな」
「難しいことばっかり書いてある…つまんなさそう」
「つまんないかは読んでみないと分からないだろ?」
中を開くと何やら難しい数字や単語やらが並んでいる。心理学、歴史?数学に関してやこれを学んで何になるのかというものが箱いっぱいに詰められていた。隣で何ともつまらない目で本を眺めるカイは残りの箱を開けて何か面白い物は無いか、今後の役に立つ物はないかと探しているのが視界の端で見えていた。
「…こんなこと勉強してたのか?ここは」
「それ勉強してどんなことしようとしたんだろうね」
「さぁ……心理、人の心を学んで心でも読んでたのか?」
「何それ怖い」
「…この数字は…どこで使うか分からないが…どこかで使う機会があったのかもしれないな?」
「まぁ使ってたから学ばせてるのかもね?」
「歴史は……過去にこんなことがありましたって」
「昔の悪いこと良いこと教えたり?」
「かもな、それで悪いことは繰り返さないようにって教えたのかもな」
「でももうどうもならないかもね」
「かもな」
世界はもう滅亡してしまった。
自分が二歳の誕生日を迎えた十一日後にまだ赤ん坊だったカイと両親と共に地下に作ったというシェルターに移り住み十七年経った同じ日に再び地下のシェルターから外へと出ると地球の大地を踏みしめて呼吸をしているのは自分とカイだけだった。
記憶にあったはずの植えられていた緑は無くなりあったはずの建物は瓦礫だけが残り二歳までの記憶の中ではこの周辺にはもっと人が歩いて話をして明日のことなど心配ないように過ごしていたのにどこにもいなかった。
地下に蓄えられた食糧が少なくかり両親は亡くなった翌日に大きな車の鍵を持って走り始めた。
「…まぁもう戦争なんて起こらないだろしな」
「お越しようがないもんね」
「でも喧嘩はするな」
「カイが危ないことするからだろ」
割れたガラスが綺麗だと言って触ろうとしたのを咎めたら子ども扱いするなと怒るのだ。
「見て、お日様の光を当てるとね…割れたガラスもキラキラ光るの」
触ると怒られるから触れないように、部屋の割れたガラスに丁度降りてきた太陽の光が当たり目を痛くするほどに輝いている。
「壊れてるのにこんなに綺麗になんだよ」
「そうだな」
「だから、こんなになっても世界はまだまだ綺麗で楽しめるところがあるんじゃないかなって」
「前向きに考えないとな」
「そうそう...それで見てこれ」
「なんだこれ?」
カイが何とも楽しそうに持っているのは金属の棒だろうか。一見ただの棒に見えるがカイは何か企んでいる顔でその棒の先に手をやると短かった棒が一気に長く伸びた。
「…何だそれ!」
「何に使うか分からないけどすごい長い!」
「貸して!貸して!」
「やだ!」
自分もその伸びる棒伸ばしてみたいと手を伸ばすがカイは自分が見つけたのだから自分の物だと言って笑いながら走り去る。
「いいだろ!それ俺もやりたい!」
「欲しかったら捕まえてみてよ!それまで僕のだから!」
「この…カイ!待て!」
階段を駆け降りていきながらカイを追いかける。時折笑いながら振り返り半分になった“大学”で追いかけっ子をしていた。お互い広くはないシェルターで限られた範囲でしか走ることが出来なかったがここでは無限に走ることが出来る。
息を切らせながらカイに追い付くと五階から一番下まで戻って来たらしく向こうに停めた車が見えた。
「…はは、はいジンどうぞ」
「……すごい伸びるじゃんこれ…」
「何に使ってたんだろう」
「…こうだろう?」
「ちょっ…くすぐった、つつかないで」
恐らくこれ以上伸びないであろう棒を限界まで伸ばしてカイをくすぐるようにつつく。ここまで伸びるのだから遠くにいる人間にも悪戯出来るように気付けるように作られた道具ではないだろうか。
「今回の収穫はこれかな?」
「僕のリュックに入れるね」
「はいよ、落とすなよ」
「落とさないよ。ていうか戻してよ」
「はい、戻しますよ……」
「…?戻してよ長いままだと入れ辛いし」
「……まぁ待て」
「…もしかして戻らない?」
「……」
何か引っ掛かって長いまま戻らなくなってしまった。カイと協力して力任せに押してみるが結局のところ限界まで長いままになりこんな状態じゃ持ってくことが出来ないと落胆して置いていくことにした。
日も落ちてきたため車に戻るとカイはまだ未練があるらしく大学の方を見つめていた。
「ほら、ご飯にしよう」
「…さようなら僕の何か長い棒」
「もしかしたらまた会えるかもだろ?」
「あの長い棒が良かった…」
「分かった分かったごめんごめん」
「分かったもごめんも一回」
「…はい」
車の後ろを開けると中にある食糧箱を取り出して今日の夕飯の用意をする。真空パックのスープと固いパンを二人分取り出す。カイは車の中から折り畳みの椅子を二脚出して車の側にセットする。同じように折り畳みテーブルを出すがこれは重いので二人で出して組み立てるとここはすぐに開放的なダイニングになる。
テーブルの中央にカセットコンロを置いて鍋を置く。
「水少なくなってきたな」
「容器の…三分の一ぐらい?」
「次行く所の水道がまだ出ればいいけど」
「そうだね。水は大事」
鍋に沸かしたお湯の中に真空パックのスープを入れて温める。固いパンとシェルターの家で使っていたスプーンをカイに渡すとカイからはこれもまたずっと愛用しているカップを渡される。
「そろそろいい?」
「熱いぞ」
「今日は…トマトチキンスープ!」
「カイの大好きなやつな」
「ジンも好きなやつ!」
向かい合って椅子に座り温めて熱くなったスープを渡す。湯煎に使っていたお湯はお互いのマグカップに注いでこれで夕飯の準備は完了。
「いただきます」
「いただきまーす」
食器はマグカップだけ。スープもパンも容器そのままで食べることにしている。先ほど開けた食糧箱を思い出してあとせいぜい十四日ぐらい持つかなと考えてそれまでまた新たな食糧を見つけることが出来ればいいがと不安になる。好きなはずのトマトチキンスープを何の感情も無く食べてしまいそうだとスプーンを口に運ぶ。
「ジン」
「ん?」
「一番星」
「…本当だ」
「ご飯美味しいね」
「そうだな」
「今日も楽しかったね」
「……そうだな」
「明日は何があるかな」
「そりゃ明日の楽しみだよ」
明日、そうか明日は来るんだ。
自分は二歳まではこの世界がどんなものだったか覚えている。だからその世界がこうも何も無くなってしまったのかと外に再び出た時は言葉を失った。
でもそれを知らないカイは見るもの全てが新鮮だった。シェルターの中で両親に読み書きや何があったのかを教わりはしたが後は本や話を聞いて自分の頭で想像するしかなかったのだ。
明日が楽しみ。
そう言って笑うカイの側で自分も明日はきっと楽しいと思いながら車の中で横になる。
運転席と助手席以外の椅子は倒しているため何とか二人で横になれるぐらいのスペースはある。シェルターのベッドよりは狭いが何てことはない。
「日記に何て書くの?」
「長い棒があったことと、大学にはたくさん学びがあったこと」
「…あぁごめんよ長い棒」
「…ごめんって」
今日手に入れた鉛筆で今日を綴る。
滅亡した世界で明日も二人で車中泊をする。




