ファチーナ、或いは至宝の遺児にして希望の聖女
「冬」。そう形容される時代は、困難な時代であることをたいてい意味する。だからファチ―ナ、彼女が過ごした幼少期は、正しく「冬」そのものだっただろう。
別世界からの住人が訪れ、旧秩序が崩壊してから、およそ30年が経った。
彼女が生まれる前、この国はルーム第三帝国と名乗っていた。が、世間一般ではインゴルト帝国と呼ばれていたし、国内でも公式以外の場面では、この名称がよく使用されていた。その皇帝が帯びた称号は、全インゴルトのインペラートルにして人民のヴォシチ。そして、ルームの後継者。それが示す通りに、彼は貴族だけでなく、民衆からも好かれたカリスマだった。皆が彼に付き従い、彼は皆に命じた。ルームを名乗ったのは彼の代だけだったことからも伺える。しかし、彼女の生地もまた、その崩壊の例に漏れなかった。
彼の国は別世界の存在によって突き動かされた戦争に敗北し、皇帝は死んだ。西方のみ辛うじて支配を維持したもののそこから東は無政府状態へと陥っていた。しかし、その状態を纏め上げ、凍てつく東部に一つの秩序をもたらしたのが、国際労働者会議だった。カルアーフェ大陸に亡命したフレンケレン共和国亡命政府に混じっていたが、自らを”国際労働者会議”と名乗った集団は、オクシデント大陸全土を震撼させた革命に乗じて、インゴルト東部の権力の空白地帯に根を張ってしまった。彼らの特徴としてよく挙げられるのが、熾烈な権力闘争だ。時には命を奪うことすらも辞さない。だから、それを勝ち抜いた指導者はどうしても、人間不信に陥ってしまう。そして、そんな指導者がもたらす秩序とは、一体どんなものであろうか。
その秩序を一言で表すと、こうなる。「冬」だ。
東部がより寒い気候だったから? そんなつまらない理由ではない。血が通わない、無慈悲と言えるまでの統治はその温度からして、「冬」だったのだ。
彼女の幼少期が、そうであったように。
悴んだ指。それを温めるいたいけな齢十二のこの子の息遣い。
青色吐息なんていう言葉は知らないけど、そうは言いたくない。だってこの子の息は、この子自身のように、真っ白だったから。
この子は、今自分がどうしてこんなことをしているのか、「させられている」と言えるくらいには分かるようになってきた。女の子の、特に悪い大人たちに囲まれている子のこころの成長は早い。
お父さんがどんなことをして、お母さんがどこに連れられて、二人がどうなっているのか。それも、のどの先っちょまで、出かかっていた。
でも、この子はそれを吐かない。この子の今にも消えてしまいそうな強いこころは、吐いてしまえば溶けて傷ついてしまいそうだった。この子は考えなくてもそのことが分かっていた。
お父さんと最後に会った時、お父さんは頭の後ろに指一つくらいの穴を開けていて、他の場所も傷だらけだった。後ろにいた恐そうな人(お父さんと同じくらい?)に首らへんを掴まれて、目を閉じていた。
この子はお父さんの青い顔に手を伸ばして、撫でてみた。それから、首の方まで手を下す。まだ、少しだけ暖かかった。目を閉じていても、やさしさが伝わった。
この子は勇気を出して、恐そうな人に、「また、会えますか?」と訊いた。答えは、あまり思い出せない。これも、この子のこころを溶かす、酸っぱいものだから、思い出してはいけなかった。ただ、この子の、「敵」だって、はっきり言われた。こころが、どこかへ行ってしまったように感じた。
お母さんと最後に会った時、お母さんはこの子を抱きしめていた。やさしくて、暖かかった。こころをはっきり感じられた。ここがこの子の居場所なんだ、って思った。
でも、お母さんは泣いていた。離れる時、お母さんは後ろにいる恐そうな人に、肩を叩かれた。お母さんは真っ青な顔をして、もっと強くこの子を抱きしめてながらもっと大きな声を出して、泣きながら私に話しかけた。「お母さん、大丈夫だから。痛いよ」ってこの子が言ったら、お母さんは泣き止んでから頬に口づけをして、そっと腕を放して、その恐そうな人とどこかに行ってしまった。こころが、またぼやけてしまった。
この子がここに連れてこられた時、この子は、またお父さんやお母さんに会えたらいいな、と思っていた。恐そうな人が笑顔でそう言ってくれたから、信じるつもりじゃなかったけど、暖かい誰かに会えればいいな、とは思っていた。でも、違った。この子は、初めて殴られた。初めてご飯を抜かれた。初めて夜通し外に立たされた。誰かに頼ることもできなかった。一番に頼れる人の代わりが、いなかったから。それはつまり、居場所が見つからないことと同じだった。こころの元々あった半分は、ここにはもうなかった。一つ分のこころをしょい込む力が、この子には残っていなかったからだ。
もっと指を温めるために、自分の首に手を当てる。暖かかった。でも、やさしくは、なかった。
今日の夜は一際寒かった。お腹が空いた。やっぱり、暖かくない。
そのまま、痛くてうずくまってしまった。
――雪を踏む時の、足音が聞こえてくる。誰かが来た。男の子だ。
男の子は心配そうな顔をしながら膝を立てて、この子の首にあった手を取って自分の手をつつんでくれた。男の子の手は、自分の首ほどは暖かくなかった。けど自分の手より大きくて、そしてなによりやさしかった。
男の子は、うずくまった時には隠れていた傷を包んでいる自分の手の下から見つけると、そっと労わるように撫でようとした時に、ちょうどその傷に触れようとしていたせいで、お互いの爪と爪の先がぶつかった。男の子は少し驚いた顔をしたけど、やさしく撫でてくれた。少しだけ痛くて、痛くなかった。
それから男の子は立ち上がって「一人で歩ける?」と訊いたから、首を横に振った。
すると、男の子は腕を出してきて、それにつかまって歩いた。
しばらく歩いていると、男の子の足と私の足がぶつかった。ばつが悪いようで、やっぱり心配そうな顔をし続けているから、「大丈夫だよ」と言った。男の子はそれを聞くと立ち止まって、「泣いた方が、いいよ」とだけ言った。最初は言っていることの意味が分からず、「なんで?」と訊き返した。
「だって、君は泣きそうな人の顔をしている」と言われて、余計意味が分からなくなった。でもふっと、頭の中にお母さんの顔が思い浮かんだ。お母さんみたいな顔をしているのかしらと思ったけど、なぜか急にお父さんの顔が思い浮かんで、涙が、溢れてきた。誤魔化すためにそこらに積もっていた雪をすくって、顔に塗りたくった。
けれど、「急ぐ必要はないから」と言いながら顔に付いた泥水を拭われると、つかまっていた腕を強く抱きしめて、とうとう声を出して泣いた。
男の子は少し気恥ずかしくしていたけど、気付いた時には涙を流していた。
この時、互いにぶつかり合って壊れて行っていた二つに割れたこころが、やさしく引きはがされて、一つに繋がれたような気がした。
泣き止んだ後、気恥ずかしさがうつったのか、私は男の子と目線が合っては逸らしてを繰り返して、腕を握ったまま孤児院へ歩いた。やさしくて、暖かかったけど、少しちがったやさしさで、暖かさだった。こころの居場所が、また見つかったような気がした。
確かに、彼女らのこの冬は「冬」だったかもしれない。両親は大粛清によってこの世を去った。ただ、この物語を形容するなら、差し詰め「小春日和」といったところか。ところでこの「小春日和」という表現。ものの見事にことの本質を示している。
そもそも、例えば「冬」と形容される昏い時代があったとして、それが「冬」として形容されるには、「春」と形容される希望あふれる時代がなくてはならない。一生を南極で過ごした人間がいたとして、その人間は一生をどの季節で過ごしたと答えるだろうか。もちろん、その答えは「どの季節も過ごしていない」となる。なぜか。一日中寒いのだから、時「季」を分「節」することができないからだ(実際は時期によって多少の気温の差はあるようだが)。
以上を総括すれば、彼女らに「冬」と呼ばれる時代があった以上、彼女らには「春」の時代があって然るべき、となる。
そんな「春」と形容される、まだ見ぬ彼女らの未来に色を付けるとしたら、何色になるだろうか。彼女はこの後、父親の光と影、その両方を知ることとなる。天才的な戦略家としての側面。反乱鎮圧に毒ガスまで用いた殺戮者としての側面。彼女は死を迎えるまで、父親の功罪と共に、その死相を忘れることはできなかった。しかしそれは同時に、彼女は強い信念で、己のアイデンティティと、内面と闘い続けた証でもあろう。時々、支えてくれる誰かにやりきれない思いを吐き出すこともあるかもしれない。しかし、彼女はそれでも歩み続ける。辛さを受け止めることができるということは、優しさを受け止めることもできるということに、気付いているからだ。
色の話に戻ろう。草木生い茂る青は字の相性がいい。純真無垢な白も、ファチ―ナの印象によく合っている。赤は......彼女らが嫌うかもしれないな。だが、十二だ。これからどんどん燃え上がる。愛情の色は往々にして赤だ。不適当とまでは言わないだろう。
しかし、「まだ見ぬ」と言ったからには、ここでする諸君らのどんな予想も、結局は不確定で、答えが定まるわけではない。だからと言って、予想をしていけないわけではない。さあ、言ってみなさい。青? 白? 赤? それとも......
度々触れていた長編の後日譚を書いてみました。
ネタバレのような情報も少し入ってしまいましたが、大体作品の雰囲気みたいなものを感じることはできたのではないでしょうか。
感想や質問を頂ければ幸いです。