第9話 姉ちゃんと俺とユウイ
放課後、俺はひとり自分の部屋にいた。
PCの電源はつけているけれどモニターはオフにしたままで、部屋の中にウィーンというモーター音だけが響いていた。
オフにしたモニターには、制服姿の俺の姿が映っている。
なんかたった一日の出来事のはずなのに、ドッと疲れた。
「はぁ……」
背もたれに倒れるように座りながら、放課後の出来事を思い出す。
授業が終わるなり、城崎が俺の席にやってきて「どうしよっか!」と言い出したときは、本当に嫌な汗をかいた。
周りにいたクラスメイトも(え、あのふたりなにかあるの?)って目で見る、どころか完全にヒソヒソとなにか言われていた。
学校では内緒にするって言ったのはなんだったのかと言いたかったけど、不用意な会話はさけたかった。
「しっかりものの委員長はどこにいったんだか……」
とりあえず「自分で課題はやれるから大丈夫だよ」と、さも俺が課題に困っているような雰囲気で返事をしたら、周りの視線も(ああ、なんだ。そういうことか)というものに変わっていた。
「さて、どうしようかな」
昨日のまま、配信を放置するわけにはいかない。だからといって、すぐに城崎を配信に出せばユウイに幻滅する人も、城崎に対してよくない感情を抱く人もいるはずだ。
「まあ、とりあえず配信の準備をしようかな」
俺は立ち上がると、クローゼットを開けた。そこにはユウイのために用意した服が並んでいる。といっても、ほとんどが姉ちゃんのお下がりだった。
姉ちゃんの古い服を、母親が押し入れの奥に仕舞っていた。それをこっそりと借りたのだ。……こっそり、では済まなかったけれど。
「どれにしようかな。ちょっとおとなしめな感じの……」
「裕唯ー。帰ってるの?」
ノックもなしにいきなりドアが開いたかと思うと、姉の梓がズカズカと俺の部屋に入ってきた。
スラリとした長身に、メリハリのある体つき。スレンダーなのに胸もでかくて、今も着ているTシャツが胸元だけやけに伸びていて姉弟とはいえ、目のやり場に困ってしまう。
「な、なんだよ。急に開けるなよな」
身長が中学入学時点からほとんど伸びていない俺に対して、姉ちゃんは高校に入ったあともぐんぐん伸び、今じゃ170cmだ。5cmでいいから分けてほしい。というか、俺の身長の養分、母さんのお腹の中で全部姉ちゃんが持っていったに違いない。
「くそっ、返せ! 俺の身長!」
「は? なに言ってるの? 意味わかんないんだけど」
すぐそばで見下ろされると、やっぱりでかい。
身長160cm……ぐらいの俺を、10cm以上上から見下ろしてくる。10cm? いや、もっとでかいような……。また身長伸びたの? 俺は全然伸びないのに? なんで!
同じ距離でも、城崎が近寄って来たときはこんな威圧感はなかったのに。それどころか、俺より小さくて、可愛くて。
「……っ」
胸元が触れたときのことを思い出してドキドキしてしまう。ふにゅっとした感触が忘れられない。まるでマシュマロを頬に当てたときのような、壊れてしまいそうで、でも弾力性があって、柔らかくて。それで……。
「ねえ、聞いてる?」
「え、な、なに?」
城崎のことを考えていたせいで、目の前にいる姉ちゃんへの態度がおざなりになっていたらしく、イラッとした表情を浮かべていた。
「そんな態度なら、これはいらないわね」
「え? それって」
これ、と言いながら俺に差し出したのは、袋に入ったワンピースだった。
「くれるの?」
「部屋を片付けてたら出てきたの。私はもう着れないけど、裕唯なら着れるでしょ?」
「俺じゃなくて、ユウイね」
「どっちもあんたでしょ」
「そうだけど、さ」
俺がユウイとしての活動をし始めて、早々に姉ちゃんにバレた。そりゃ自分の部屋の隣で、弟が配信作業をしてたら気付くだろう。でもまさか、女の子の格好で、それも自分のお古の服を着てやっているとは想像していなかったみたいだけど。
最初こそビックリしてた姉ちゃんだったけど、あの頃暗い顔をして学校に通っていた俺が、イチサとふたりで楽しそうに配信している姿を見て反対するどころか応援してくれた。
化粧を教えてくれたのも姉ちゃんだ。だから、姉ちゃんには頭が上がらない。
「ねえ、大丈夫なの?」
なにが、とは言わなかったけど、口振りからしてたぶん昨日の配信を見たんだと思う。まああんな配信してたら心配するよな。
「うん、大丈夫。まあちょっとショックはあったけど、一紗にも一紗の生活があるしね。しょせんYouTubeだから」
自虐的に言ってへへっと笑う。強がらないと、立っていられなくなりそうだった。
「しょせん、じゃないでしょ」
「え?」
「少なくとも裕唯にとってYouTubeは”しょせん”なんて言葉で壊していいものじゃないでしょ。自分にとって大事なことは大事でいいんだよ。それとも、裕唯にとってのユウイってそんなちっぽけな存在だったの?」
なに言ってるんだよ、ってごまかすこともできた。でも、俺を見つめる姉ちゃんの目は真剣で。本気で俺を心配してくれていることがわかる。
「……ちっぽけじゃ、ない」
「そうでしょ。なら、胸を張っていなさいよ。好きなものは好き、大事なものは大事でいいんだから。……ホントは、裕唯の存在も大事にしてあげてほしいんだけどね」
その言葉だけはどう受け止めていいか今の俺にはまだわからなくて、苦笑いを浮かべることしかできなかった。
ユウイの存在は、裕唯として上手く生きられない俺の逃げ場所だったから。
「まあ、いっか。じゃあ、私遊びに行くから。配信するなら今のうちにしといてよ」
「わかった。ありがと」
姉ちゃんが部屋を出たあと、俺は持ってきてくれた服に着替える。
さあ、ユウイに変身する時間だ。