第30話 私だけのミオリでいてほしい……?
その日は、朝からどうにも落ち着かなかった。
着替えをカバンに入れて、メイクを済ませる。マスクをつけて、帽子を被れば、誰かに会ったとしても化粧をしていることまでは気づかれないだろう。
事前にカラオケボックスに着替えができる場所があることは確認しておいた。トイレで着替えるのはマナー違反だし、なにより女子の服装に着替えるんだ。いったいどんな顔してトイレから出てくればいいんだという問題が出てくる。
そういう意味では、数駅先のカラオケボックスに着替えコーナーがあるのはラッキーだった。
「そろそろかな」
城崎とは念のため、最寄り駅ではなく、カラオケボックスの中で待ち合わせにした。俺が入った十分後に入室してもらうように言ってある。
着替え終わった俺は、そわそわする気持ちを隠すことができないままカラオケボックスの部屋でひとり落ち着かない時間を過ごしていた。
コンコン、という音が室内に響く。
「はい」
返事が聞こえたのか、部屋のドアがそっと開いた。
「お、お待たせしました」
「あ、う、うん」
普段、学校か俺の家で会うことがほとんどで、外で会ったのだって河川敷でのあの一回だけだ。だから、こうやって外で待ち合わせするというのは初めてで、普段よりも緊張してしまう。
そしてそれは、城崎も同じようだった。
ドアを後ろ手で閉めたまま、直立不動で固まっている。
「あ、あの、今日は、よろしくお願い……します……」
「え、あ、うん。……なんで敬語?」
「だ、だって……」
自分よりパニクっている人とか、自分より緊張している人を見ると、妙に落ち着いてくるのはどうしてだろう。
あまりにもカチコチな城崎に、俺は思わず噴き出した。
「ふはっ」
「へ?」
「城崎、緊張しすぎ」
「だ、だって! 緊張するよ!」
「だからって、そんな……」
フリーズドライのように固まってしまっている城崎に、ついつい笑ってしまう。そんな俺の態度に、城崎はむーっと頬を膨らませた。
「そういう《《ユウイちゃん》》だって」
「え?」
自分ばかり言われるのは心外だと、城崎は俺を笑った。
「私はミオリだよ? 他の子の名前、呼んじゃダメでしょ?」
「あっ……」
しまった。
城崎――じゃなくて、ミオリに指摘されて、私は自分のミスに気づいた。
「ご、ごめんね」
「ふふ、お互い様、だね」
クスクスと笑うミオリに、私もふっと笑った。
お互いに笑い合って、肩の力が抜けた気がした。
「じゃあ、そろそろはじめようか」
ミオリの着替えが終わったタイミングで、私は声をかけた。
けれど、ミオリが肩をビクッと震わせるのが目に入った。
「せ、せめて練習させて……?」
「んー、やだ」
「えええ」
「ほら、はじめるよ」
私はノートパソコンの画面に表示された『配信開始』というボタンをクリックした。
「こんにちはー! 私たちは今、カラオケボックスに来ています!」
事前に、今日の背信を予告してあったこと、そして今日が休日なことも合わさって、かなりの人数が配信を見に来てくれていた。
「こ、こんにちは」
「ミオリ、緊張してる? 可愛い」
「だ、だって、カラオケに来るのってすごく久しぶりだし……、なによりユウイちゃんとカラオケデートだなんて緊張しちゃう……!」
せっかく落ち着いたと思ったのに、配信を開始した途端に再びミオリはカチコチになってしまっている。
まあこれはこれで可愛いからいいかもしれない。
「じゃあ、そんな緊張をほぐすためにも、さっそく一曲歌おっか!」
「え、私から!?」
「もちろん。なに歌う? 希望がなければ、私がミオリに歌ってほしい曲入れちゃうよ」
「ままま、待って! 言うから! 入れるから! だから、勝手に入れちゃダメ!」
「えー、残念」
勝手に入れられちゃ困るとばかりに、ミオリは慌てて私の手の中からタッチパネル式のリモコンを取り上げた。
「ねえねえ、ミオリはなに歌うの?」
真剣な顔をしてリモコンとにらめっこしていたので、私は身体を寄せて覗き込む。
「え、わ、私は……」
「あ、このアーティスト、私好き!」
「ホント? 私も好きなんだ」
「ね、この曲歌ってよ」
「……うん、わかった」
それは、以前城崎が河川敷で歌っていた曲だった。私のリクエストに頷くと、ミオリは手早くその曲を入れた。
「じゃ、じゃあ……」
イントロが流れはじめ、ミオリがマイクを持つ。
そして、あの日と同じように綺麗な歌声を奏で始めた。
この曲が好きだ、というのは嘘じゃない。
はじめて聞いたときはピンとこなかったけど、城崎が歌っているのを聞いてすごく好きな曲になった。でも、原曲よりもこうやってミオリが歌っている方が好きかもしれない。
コメント欄を見ると、ミオリの歌声に驚きと、それから感動しているようだった。
――え、ミオリちゃんめちゃくちゃ歌上手い!!
――やばっ! プロじゃん!!
――ミオリちゃんの歌声すごい!! ファンになっちゃう!!
よしよしと、静かに喜びつつ、どうしてか少しだけ寂しさを覚える。それは自分だけが知っていたインディーズバンドがメジャーになったときのような、ひそかに読んでいた漫画が映画化を機に大バズりしたときと似たようなものに近い気がする。
私だけが知っていたミオリの歌声がみんなに知られてしまった。これでミオリの人気が出るのであればいいことなはずなのに、胸が締め付けられるように苦しくなる。
私だけのミオリで、いてほしかったのに。
……え?
一瞬、自分で自分の思考が理解できなかった。
私だけのミオリ? 私は、ミオリをひとりじめしたいと思ってる?
俺は? 俺も城崎を――。
「ユウイちゃん?」
「え、あ……」
「終わったよ……? どうだった……?」
曲が終わっても黙ったままだった私に、ミオリは心配そうな視線を向けてくる。
そんなふうに不安にならなくても、コメント欄を見ればみんなが大絶賛なのはわかっているだろうに。
「……すごくよかったってみんな言ってるよ!」
ほら、とコメントを見せると、一気にミオリへの称賛コメントが増えていく。ミオリも驚いたように画面を見ていたけれど、しばらくして私の方を向いた。
「ユウイちゃんは……?」
「え?」
「他の人じゃなくて、ユウイちゃんがどう思ったかを聞きたいの」
ミオリはまっすぐ真剣な眼差しを私に向ける。
その瞳に吸い込まれてるように見つめ返してしまう。
「私、は」
俺は。
「ミオリの歌声、すごく好き」
「ホント!?」
「ホント。ずっと聞いていたいなって思うよ」
「ずっと……?」
「うん、ずっと。朝起きてミオリの歌声聞けたら、きっと一日明るく過ごせるだろうし、夜寝る前に聞けたらリラックスして眠れそう。疲れたときとか落ち込んだときに聞いたらきっと元気になれるだろうし……って、ミオリ? どうかしたの?」
頷く私の目の前で、ミオリの顔がだんだん赤くなっていく。
え、そんな変なことを言ったつもりはないんだけど、どうして……?
「あ、あの、私……」
もごもごと口ごもるミオリに私は思わず首を傾げてしまう。いったいどうしたっていうのか――。
その答えは、コメント欄に書かれていた。
――ユウイちゃん、まさかのプロポーズ!?
――朝から晩までミオリの歌声を聞いていたい=一緒に暮らしたいってこと!?
――俺のユウイちゃんがああああ!!!!!
「え、ち、ちが……!」
「ユウイちゃん、私……」
「待って、そういう話じゃなくって! ああっ、もう!」
そのあとしばらく、誤解を解くのに必死で、結局カラオケが再開されたのは、それから十五分以上も経ってからだった。
交代で何曲か歌い、間でデュエットやお喋りをしてと過ごしているとあっという間に二時間が経った。もうすぐ終了の時間だ。
「あと一曲ぐらいかな。ユウイちゃん、なにか入れる?」
「私、ミオリにリクエストしたい曲があるの!」
「リクエスト?」
「そう!」
私はリモコンを操作すると、その曲を表示させた。
「これって……」
「私が、はじめてミオリのことを知った曲だよ」
それは、あの日届いたDMのアカウントに紐付けられていた動画で歌われていた曲だった。
「歌ってくれると思ってたのに、全然歌わないから、私からリクエスト!」
「で、でも」
「ミオリが歌うところ聞きたいなぁ」
「ううっ……」
なかなか踏ん切りがつかないミオリを放置して、私はその曲をスタートさせた。聞き覚えのある懐かしいメロディが流れ出す。それは少し前のアイドルの曲だった。
「ほら、早く早く!」
私はミオリの手を取って、少し開けた場所に立たせた。
「え、な、なんで立つの!?」
「だってミオリ、この曲踊れるでしょ?」
「だからって……」
「ミオリが可愛く歌って踊るところ見たいんだけど、ダメかな……?」
上目遣いでお願いしてみる。ついでに、手なんか握ってみたりして。
「も、もうっ!」
しょうがない、とばかりに踊りながら歌い出すミオリ。困らせてしまったかもしれない。でも、この行動に後悔はなかった。
「可愛い……」
ミオリの歌に、ダンスに釘付けになる。
そして、それは私だけじゃなかった。
配信を見ている人たちが、みんな言葉を失う。ただただ無言の時間が続き、そして――。
――すごい!!
――サイッコー!!
――えっ、えっ、ミオリちゃん、アイドルじゃん!!
ミオリの歌と踊りに、たくさんの人が魅了されていた。
きっと、ミオリは人気になる。
その始まりはきっと、今日のこの配信だ。
そんな予感に胸をときめかせる。
「すっごく可愛かった! さすがミオリ!」
「ユウイちゃん、無茶振りすぎだよ……」
「ミオリなら大丈夫だって信じてたからね!」
「調子良いなぁ」
ミオリは照れくさそうに笑う。
コメント欄も大盛りし、カラオケ配信は大成功の中終了した。




