52 変化
あの光景が甦る。
自らの首を断ち切った瀧夜叉の姿。
あの涙
吹き出す鮮血
末期に動いたあの唇の動きは
アイシテル
だった、と確信する。
そんな相手に重い傷を負わせた彼女は
自分自身が許せなかった
あんなモノに操られた
自分自身が情けなかった
命が消える間際に見た、彼女の想い
タクの全身を黒い焔が包み込み、それは太刀の刀身に纏わりついた。
彼の体の中に、心に黒い感情が満ちる。
火のように躍動するあの姿が甦る
輝くあの笑顔が蘇る
ぽつりと小さな灯のような、小さな小さな光が、彼の心から全身へ広がって…
黒い感情
暗闇の激情
そんなもの全てを照らし、塗り替えて行く…
「あがぁ!」
いきなり飛び起きたタクの視界に現実があった。
「大丈夫?」
気づくと彼の右手はミュ・クー、左手は彩姫が握っていた。
彩姫はタクが目覚めたのを確かめると、手を放してカップを渡す。
一気に中身を飲み干して、深く長く息を吐いた。
「さんきゅ」
ミュ・クーは彼の瞳をじっと覗き込んでいる。
「また、あの時の夢?」
「…」
彼女はそれから無言で彼に笑みを見せながら握った手に力を込めた。
あたかも大丈夫
と言っているように。
彩姫はミュ・クーの反対側に腰を下ろして、彼の肩に額を乗せた。
窓のカーテン越しに、朝の陽光が揺れている。
「おはよ」
一度目を閉じて夢の光景を噛みしめ、そして身の内に感じたチカラを確かめて、彼女たちに微笑んだ。
「ふたりともありがとう」
嫋やかな姿とはあまりに不釣り合いな巨大な盾を振り回していた。
受け、弾く。
そしてその反動を使って、
薙ぎ払い、回転して突き出す速度は尋常な速さではない。
一方、それを躱し、片手の大太刀で斬り込み、弾かれるやもう片方の手にはめた鈎爪を振るう。
模擬戦とはいえ、その強烈な立ち回りにリュウは前のめりになって見入っていた。
目が離せない、洗練された攻防は舞を舞っているようにも見える。
とはいえ二人とも、その攻撃は重く速く、打ち合った時の衝撃や音は周囲で見ている他の兵達を圧している。
ぐわぁんっ
桜太夫の太刀と君乃の盾が爆音と共に撃ち合わされて、その模擬戦は終了した。
「流石ね、君乃」
「お義姉様こそ」
ニコリと笑い合うその顔は、大輪の華のように艶やかだった。
「相変わらずお見事です」
リュウは桜太夫にタオルを渡しながら賞賛した。
「そして君乃様も素晴らしい」
侍女に渡されたタオルで汗を拭っていた君乃へも賛辞を贈る。
「リュウさん、後で久しぶりにやりますか?」
「願ってもない!是非ともお願いいたします」
笑顔の桜太夫からの誘いに、嬉しそうに応えてリュウは自分の武具を取りに行った。
彼女の頬は模擬戦の余韻なのか、心もち上気していた。
へぇ、と悪戯な笑みを浮かべて君乃が太夫の顔を見た。
「なんですの君乃さん、何か言いたいことでもありまして?」
「てっきりタク様のことを、と思っておりました」
「もうすっかり吹っ切れてますわ」
「あら、お認めになりますの?詰まんないなぁ」
「貴女の魂胆はわかりましてよ」
「揶揄い甲斐がないなぁ」
「貴女の玩具にはされませんわ」
そこへリュウが戻ってきた。
「お願いします!」
「こちらこそ、お手柔らかにお願いしますわ」
太夫とリュウは真剣な表情で武器を構えて向き合った。
「どうだったぁ?」
「まぁ、事もなし、天下泰平?」
白の一族隠里から戻ってきた雪村を、ユミンが出迎えた。
「里も平穏です」
「アーネの行方はわかったかなぁ?」
「あ、そっち…北方で痕跡がありました」
「北へ行ったんだ」
「アーネ様は凄いですね」
「どしたの?」
「見事に追跡がバレた上に…」
「撒かれた?」
「はい、ものの見事に」
面目なさそうに項垂れる雪村に、ユミンは手に持った果物を投げてよこした。
「あの子は聡いからねぇ、仕方ないよ。それ、食べていいよぉ~♪甘いし美味しいよぉ」
「ありがとうございます」
「てかさ」
「はい?」
「敬語とか、いらなくない?」
「ああ、これ、直んないです」
「そか」
「すみません」
「しょーがないねぇ」
「すンません」
ほんのちょっとだけ砕けた口調になった雪村の鼻先に、ユミンはひとさし指をちょんとあてて笑った。
わたしはどこに飛ばされたのかしら、ね。
ナゴンは最下層の壁画前に佇んでいた。
口元に小さなえくぼがあった。
最初に会った時、彼は確かに正義感に燃えていた、と思う。
だから
彼との縁談にも「諾」の返事を、族長も両親も、勿論自分もした。
でも、と思う。
笑って冷酷な指示をする彼に違和感があった。
それは何時からだろう…
最初に会った時、彼は大陸中央にあった小さな国の片隅にある土地を治める家の長男だった。
聡明で勉学の好きな本の虫、と言われていた。
一族の長に近い血筋の自分は、薙刀の主とまだ幼い時に認められていた。
出会った頃は、まだ知られていなかったはず、よね…
一族に護られた三宝物。
導かれるようにふたつの宝物が彼の元に集まった。
初陣直前、彼は自分が聖剣の主になろうと、それを手にした、が弾かれた。
あの時、彼は悔しそうに涙していた。
そして、あの初陣…
彼とその近侍以外は生還できなかった、あの戦いと災厄。
義弟セイメイは、元から兄にはそういう歪んだ素顔があったと、帰還直後に目にしたと、そっと耳打ちした。
その時は笑って取り合わなかったし、むしろ義弟を窘めもした。
ああ、あのとき…
義妹が重い病に命を奪われたとき
義父様が戦死したとき
義母様が自刃したとき
彼はその亡骸を冷たく見下ろしていた、気がした。
【続】