05 帰るったら帰るぞ!
兵の突貫する叫び声が木霊した。
「あー、誰か我慢できなくて突出したみたいね…」
ミクは苦笑交じりにリュウを従えて戦場へ走った。
小競り合いではなく、一軍規模が彼女たちの陣営に迫っていた。
「すでに先陣が交戦してますね」
「あの進み方は瀧夜叉かしら」
リュウがかけてきた伝令と走りながら言葉を交わした。
「瀧夜叉軍の千人程度です」
「後続は?」
「まだのようです。というか、明らかに瀧夜叉様の抜け駆けですね」
衝突している味方と瀧夜叉軍が混戦状態になってゆくのが遠望できた。
「彩姫~どうする?」
「ほんまに脳筋やな」
彩姫は戦場全体が見える位置に来ると、立ち止まった。
「いったん戻るわ」
「大丈夫?」
「あの感じやと桜太夫がこっち側みたいな気がするわ」
事実、眼下の戦場に、後から来た一軍が割って入りつつあった。
後続軍の先頭にいるのは桜太夫なのは一目でわかった。
「あっ!」
桜太夫らしき姿が瀧夜叉を見つけ、一気に間を詰めると横っ面を張り倒した。
「痛ったぁ~…」
「うわぁ…思いっきりいったねぇ」
「太夫は抜け駆けがいっちゃん嫌いやねんからな」
彩姫はそういうと回れ右をした。
「準備して、大回りして一旦帰るし」
「了解」
「タクにはもう一度渡ってもらうで」
「うん。そうだね」
「そんなに分の悪い賭けちゃうと思うし、太夫がこっち側なら持ち堪えられるやろ」
「だといいけど」
「せやな、もうひとり…ユミンがこっち側に来てくれるとええんやけど」
ふたりは深い嘆息の後、握手を交わして左右に分かれた。
予定より十日ほど遅れて彩姫は無事に戻ってきた。
「太夫のビンタで頬が赤くなる程度って、どんだけだよ」
「ぐーやなかったし」
「いや、そーじゃないだろ」
幔幕の外に微かにユミンの気配がする。
認識阻害の術をしていても、俺にも彩姫にも彼女の残り香が感じられた。
桜太夫の足音がここに向かっているのを感じたとき、ユミンの気配は幔幕から離れて、消えた。
「お帰りなさいませ、彩姫さん」
やや剣呑な雰囲気で太夫は彩姫を見つめている。
「穏やかやないな」
「いったい何処をほっつき歩いていらしたの」
「ご挨拶やね。老師の庵を調べとったんや」
「老師…セイメイ?」
「せや」
「やはりその辺が鍵…なのでしょうか」
「手掛かりはその辺しかないやろ?」
「ですわね…で、なにか新しい発見はございましたの?」
「庵には目ぼしいものはあれへんかった」
「でも、なにかがあった」
彩姫は太夫の問かけに無言で頷いた。
と、彼女は唐突に『遮音の壁』を幔幕に張った。
「やっぱ、渡るしかないか?」
「やってみるしかあれへん」
太夫も腕組みをして小さく息を吐く。
「そうなるんですね?」
「あとひと月弱だ」
「ですわね」
「後のことは頼んだよ」
「丸投げですの?」
「彩姫と二人でなんとか頑張ってくれ」
「仕方ありませんわね…」
その夜は新月。
渡りの橋が現れる夜。
瀧夜叉、アーネを留守番にして、俺はここへ来た。
「間もなくだな」
湖水に淡い光の橋が伸びてくる。
と、そこに俺たち以外の気配が湧き出る。
「ユミン」
「タク!なんで?」
「答えはない。これが正解かもわからない。だけど俺たちは必要だと思ってる」
「わからないっ!」
「ずっと俺たち…俺、彩姫、太夫を見てきたユミンなら、思い当たることはあるんじゃないか?」
「……」
そこへ更に影が現れた。
「卓!」
懐かしいその声はミク…美玖。
彼女は俺にぶつかるように抱き着いてきた。
「美玖、ちょっと行ってくる」
「どうなっちゃうんだろ」
「正直、どうなるかはわからないな。もしかしたら何にも変わらないかもしれない」
「どこへ戻って、いつ帰ってくるかわからないんだよ?」
「だな」
一歩俺から離れて、強い視線が俺の瞳を射抜く。
「でもな、これっきゃ手掛かりがないんだよ」
「知ってる」
「多分、これが鍵だ」
「知ってる」
「あと、頼むな」
「知らない!」
きっと俺の眉は八の地に下がって、左の口角だけがあがった歪んだ表情になってるんだろうな…
「その顔、嫌い」
「そう言うなって」
「でも、好き」
「俺もだ」
美玖は俺に軽く口づけすると、すっとその場所を彩姫に譲った。
「行ってらっしゃい」
「おう」
次は桜太夫。
「無事の帰還をお待ちしてますわ」
「りょーかい」
そしてユミン。
俺は彼女の脳天にチョップした。
「いたっ!」
「気を強く持ってな。思い出せ」
キョトンとした彼女の瞳が揺らぐ。
「追手が来ました!」
「リュウ、ミクを頼むな」
「承知」
どうやら異変を感じて瀧夜叉とアーネが来たらしい。
光の橋が完成した。
俺は橋の先を見据えて、一気に駆けた。
背後で瀧夜叉の叫び声、アーネの悲鳴。
彩姫、太夫、ユミンがどうやら押しとどめてくれているらしい。
「あ…」
俺の意識が一瞬だけホワイトアウト。
…そして俺はあの木の下に立っていた。
フィギュアのついた鍵を握りしめていた。
【続】