36 傷痕(きずあと)
「目が覚めた?」
彼は声のする方に目を向けた。
「アーネ、か?」
「はい、アーネです」
「大丈夫か?」
「あ、えっと、私は問題なく」
「良かった」
「体調、どう?」
そう言われて、彼は身体を起こしてぐっぱしたり、うーんと両腕を伸ばしてみたり。
「うん、なんとか大丈夫そうだよ」
「よかったです。みんなを呼んできます」
水の入ったカップを彼に渡し、アーネは部屋を後にした。
「まだ、ちょっとクラクラするけどね(笑)」
独り言。
「頭の中がパンパンだな。整理しないと、だな」
そこへアーネと一緒に彩姫、桜太夫、ユミン、ナゴン王妃と『ミク』、リュウ、雪村が入ってきた。
「全員集合ですか」
苦笑いで入ってきた面々の顔を順番に見た。
「王妃陛下、彩姫、リュウも戻ってきてたんだ」
「記憶、あんねんな」
「ああ、全部俺に集約されてる」
「頭痛せぇへん?」
「あー、まだ整理しきれてない。ごちゃまぜ?って感じ」
「体調回復したら手伝うよってに、まずは体力もどそうな」
「了解」
彩姫が彼の体調確認をして行く。
「えっと、『ミク』?ミュ・クー?」
「ミュ・クーよ」
「ああ、やっとだ…やっと会えた。ミュ・クー、会いたかった…」
「ええ、ええ!」
「そっか、そうなんだ…ミュ・クー、悲しませて、待たせて、ごめんな」
彼の表情、声、口調に彼女はハッとした。
ずっと追い求めて、追いかけて、たどり着けなかった…彼がそこにいる。
そっと差し出された彼の手をとり、ふたりは想いを溶け合わせる。
「さて、良いお知らせと、残念なお知らせ、があるけど、どっちから聞きたい?」
「話しやすい方で良いわ」
「あはは…随分、大人になってる」
「失礼ね…大人なんて飛び越えたわ」
涙目になりながらも軽口で応えたミュ・クーに、真顔で彼が話し出す。
「俺は、トゥークであって彼自身じゃない、な」
解っていたのかもしれない。
認めたくなかったのかもしれない。
消し飛ばされたの言葉だけでは納得できなかった。
あの人が騎乗で聖剣を手に駆けて行く…その背中が最後なんて認めない!
もう一度会いたかった。
もう一度?
いいえ、違う。
ずっとその身が尽きるまで、一緒にいたかった。
大陸の平和?
何それ美味しいの?
闘いなんて、一族なんて、どうでも良い!
子供たちと、孫たちと、父や母たちと穏やかな日々を過ごしたかった。
手を繋いで共に老いて行きたかった。
「転生し尽くして、最後にこの『タク』にたどり着いた…トゥークの成れの果てって感じだ」
ああ、あの人は…トゥークは逝ったのね…
妙に諦観した思いが全身を包みこむ。
「転生…それでトゥーク自身じゃないってことね」
でもここに、私の前に
彼の魂が、そのまま、私の前にいる。
私も、そういえば魂だけじゃない…
身体は借り物じゃない…
「うん」
そこまで話したところで、一旦彼は大きく肩で息をする。
更に話そうとする彼を制止し、ミュ・クーにも目くばせをした桜太夫。
「積もるお話はあとでなさいまし。一週間以上も寝込んでいたのですから、少しお休みになって」
「そう、ね」
「ああ、うん。わかった」
逸る気持ちを押えてミュ・クーはタクを寝台に寝かせた。
タクも疲れたのだろう、横になった途端眠ってしまった。
愛おしそうに彼の寝顔を見つめるミュ・クーの肩を、そっとナゴン王妃が抱いた。
「さぁ、あちらへ参りましょう」
「はい」
彼 ―タク― に付き添ったのは桜太夫とリュウ。
「さ、うちらはタクがいつ腹減ったって言うても良いように支度しよか!」
明るい声で彩姫がアーネ、ユミンを厨房へ誘った。
それからは穏やかな日々が続く。
とはいえ、長期間寝たきりだったタクは足も萎えてしまい、食事も流動食がメインで全体に瘦せてしまった。
「まずは体力だなぁ」
天を仰いで嘆息する。
ようやく一人で出歩けるようになった日の夜。
彼はひとりで瀧夜叉を葬った墓の前で瞑目、落涙。
何故、瀧夜叉、お前だったんだ…
可能性はその場にいた皆にあった。
ドーマの放った『狂いの種』を食べた、瀧夜叉は錯乱したのち自刃して果てた。
タクの記憶の中に『卓』が目撃したその情景は朧気に残っていた。
「記憶、脳ってのは本当に都合良く出来てやがる」
鮮明にあるはずのその場面は、どうやら自分が壊れないように無意識に操作され、処理されているようだった。
彼はそんな自分自身が許せない。
目をそらしているようで、罪悪感が胸に湧きあがる…だが、それまで。
悔しい、腹立たしい…その感情が湧くことすら彼には他人事めいて、後ろめたい。
「タク」
背後にミュ・クーがいた。
「貴方の気持ち、分かりたいわ」
「無理」
タクは即座に切って捨てた。
ミュ・クーは微笑む。
「うん。それはわかる」
「どうして人の記憶ってのは、こうも曖昧であやふやなモンなんだ」
「うん」
「それをしているのが自分自身ってのが…意図してできない癖に、こういう時には都合よく働く」
「それだけ極限状態だった…かな」
「そんな言葉で理解も納得もできない」
「だよね」
「これは…俺が抱えて行くことだと思ってる」
「独りで?」
「ああ…いや、そうだな…みんな、多かれ少なかれ苦しんでるんだよな」
「そうよ…私も、ね」
「うん」
「私はすぐ近くにいて、なにも出来なかった。それに…」
「それに?」
「貴方の傍にいる彼女も、みんなにも…どこかに…ううん、確実にジェラシー感じてる」
「……」
「いなくなれって、思った時もあるのよ」
タクはミュ・クーの告白に息を飲む。
「アニメやラノベみたいに、ハーレムでみんな仲良しぃ~なんて、ホントにあると思う?」
「あ…」
「そりゃ、その方が平和だし楽しいかもだけど、男の願望、厨二の妄想、ご都合主義万歳なんてあると思う?」
「えっとぉ…」
「困らせちゃった?」
「ふぅ…あんまり自分を悪者にしなくても」
「あら、貴方がそれを言っちゃう?」
がっくりと肩を落としたタクは、両手を肩まで上げて降参ポーズ。
「みんな、一緒よ」
ミュ・クーの表情は笑顔だったが…瞳は濡れて揺れていた。
懸命のリハビリでタクは、予想以上に早く自力で歩けるようになった。
タク達は黒翼山脈にある『白の一族』の隠里に向かう。
黒の遺跡に彩姫とナゴン王妃が残り、リュウと雪村が交代で数名の部下を連れて交代で常駐、警備することになった。
【続】