25 封印の綻び
「では義姉上、永のお別れです」
彫像にした王妃ナゴンにセイメイは長い間深々と頭を垂れた。
その目から涙が溢れ、しかし魔法陣に乗った時の彼の赤くなった目は決意が籠っていた。
魔法陣が起動し、光と共に彼は元の世界へ戻っていった。
ミュ・クーの屋敷を丸ごと隠ぺい魔術で隠し、彼は結界牢にやってきた。
「やはり、永遠はないか…」
結界牢はその内側からじわじわと破られつつあった。
硬く封印したが、白の一族そのものが少なくなり、周期的に補強に来る力の強い術者も減った。
彼はドーマの復活は避けられないものとして覚悟していた。
「ミュ・クーよ、あまり時間はなさそうだよ…」
何度も何度も繰り返し繰り返し、渡っては戻り渡っては戻って、そしてまた渡って行った彼女の面影に呟く。
海岸の砂中に目当ての小石を一つだけ探し出すような、途方もない根気を伴う作業…
既に肉体はその限界を超えようとしていたが、白の一族の中でも強力な魂の力を持つ彼女は…
自らの肉体を眠らせて、彫像にして保管した。
そして魂だけが時間・空間・世界の理・因果律を超えて、ひたすらにトゥークの痕跡だけを追っていた。
セイメイにも寿命は勿論ある。
ミュ・クーの魔法陣によって時間を遡り、肉体を若返らせ長い時を過ごしてきた。
と同時に彼は自らの魂の器を作る。
最早呪いに近しい行為。
生命への冒涜ともいえる所業。
そんな時、ついにミュ・クーが還ってこなくなった。
見つけたか
セイメイはほっと安堵したように笑みを浮かべる。
が、そこから数年後、ドーマの封印が綻んだことを悟る。
細く弱い思念がセイメイに届いた。
「来るか」
だがセイメイの目前にいる男は脆弱で、年齢も決して若くはなかった。
「それでも鍛えるしかなかろうな」
セイメイは『タク』を庵に連れて行き、ギリギリ最低限『覇王の聖剣』を振ることができるまで鍛えた。
― ショウモン軍陣営 ―
「どういうことですの?」
腕組みをする桜太夫の前に正座をした瀧夜叉とアーネ。
正に土下座からの正座で、太夫に向かっていた。
ここ数年にわたる暴挙、暴言、無茶な作戦実行等々、枚挙にいとまもないほどのやらかしの数々。
瀧夜叉は自刃をしようとしたところをアーネとユミンに抑えられたりもした。
太夫の前の瀧夜叉は水を被った猫のように萎れて、疲れ果てた表情をしていた。
「で、ようやく幻術から解放された、と言うことですのね」
「「はい」」
ふたりは心底申し訳ないという。
「わたくしへの謝罪は受け取りました。で、これからどうなさるお積り?」
「軍を解散、撤収する」
「そうですわね」
「その…『ミク』や北方軍へも和平を打診したい」
先の『万感の太鼓』による波動で、幻術にかかっていた者はすべて正気に返っていた。
「まったく、世話の焼けるひとですわね」
呆れたようなセリフだったが、太夫の雰囲気は心なしか和らいでいた。
― 北方軍駐屯地 ―
桜太夫、ユミン、瀧夜叉、アーネがショーモンと共にそこを訪れると、既に撤収の準備は終わっていた。
「その、申し訳なかった」
「仕方がありません。こちらも幻術がかかっていたことは分かっていて、敢えて放置してたし」
瀧夜叉の謝罪に『ミク』は微笑みで応えた。
太夫は不思議な感覚を覚えていた。
ほんのかすかではあったが、彼女の不審に『ミク』が気づいていた。
和平の話し合いの後、『ミク』は太夫を誘って、今は差し向かいでお茶を喫していた。
唐突に話し出した。
「私は『ミク』じゃないの、ごめんなさい」
「え?」
「私の魂はミュ・クーと言うの」
「魂?」
「ええ、この『ミク』さんの身体を使わせていただいてるの」
「それって!」
「そうよ、本当の『ミク』さんは私の奥底で眠っているわ」
ミュ・クーは苦しそうに眉を寄せた。
想像の斜め上の回答に、太夫は目を見開いた。
「生命や人格への冒涜、ね」
くっと飲み干すと、太夫の目を見つめた。
「この体の『ミク』さんには申し訳のないことをしている自覚もあるの
でもね、もう少しの間だけお借りすることは『ミク』さんも承知してくれているの」
「……」
「太夫、このことはもう少しだけ貴女の胸に留めておいて欲しい」
「…言っても、誰も信じませんわね。わたくしもほら吹きにはなりたくありませんわ」
「ありがとう」
「とはいえ…」
「勿論、可能な限り早い段階で、ね」
「このことを『卓』さんは?」
「知らないわ。向こうの『タク』だって、たぶんよくわかってないと思う」
桜太夫は完全に消化はしていないものの、疑問が氷解したことに満足していた。
「そしてドーマは『卓』さんの世界から別のところへ移動したと思う」
「だから幻術を解いた?ってことですの」
「こちらの幻術を解いて、あちこち起こして、ドーマを追い込んだの。あいつはそうとは思ってないと思うけどね」
「あちこち、起こす?」
「もうすぐ『卓』さんや雪村さんも帰ってくるわ。そうしたらちゃんと話します」
「承知いたしましたわ。貴女を信じて待たせていただくわ」
「ありがとう」
【続】