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3. 

よろしくお願いいたします。


話の流れの関係で、短めです。


銀杏の木の感触を手で確かめながら、かつて三人で探索した方角をぼんやり眺めていると、後ろから声がかかった。


「庭に何かありましたか」


静かな声であったものの、璃羅は物思いから覚めてビクリと肩を揺らす。


「この銀杏の木……」


璃羅が答えると、声の主は近付いてきて、彼女の横で立ち止まった。


「貴女が住んでいた時とは、庭の様子は大分変わっていると思いますよ。その銀杏の木は前からあるようですが」

「そうですか…」

「銀杏の木が何か?」

「大切な想い出があるんです」

「想い出…」


相手が少し怯んだような気がして、璃羅は顔を上げた。

陽比古のかけている眼鏡のフレームが陽にキラリと輝いた。

しかし逆光になって、彼の表情は読めない。

璃羅は陽比古から海の方向へ視線を向けた。


「ここの低木を抜けて行くと木戸があって、その向こうの松の木の辺りは海が見えて…」

「知っています」

「そうですよね」

「でも、もう何年も木戸は開けていません」

「え?」

「行ってみますか?」


璃羅は短く息を呑んだ。

目を見開いたまま、小さく頷く。


「木戸まで案内してもらえますか?」


何故、私に?という問いかけが顔に出ていたのだろう。

陽比古の目元が僅かに緩んだ。


「道を…ご存知なのでしょう?」




璃羅が先に立って歩き、陽比古は自分で云った通り、璃羅のあとをついて来た。

灌木の間を縫って歩く道は、何年も閉ざされていたようには思えない。

きちんと剪定され、手入れがされている木々を見れば、庭に人の手が入っていることは一目瞭然だ。

それは庭の奥も然りで、伸び放題に放置されているものと思っていた木戸のあたりも綺麗に整えられていた。

しかし、木戸自体は古びていてペンキが剥げかかり、鉄製の閂も色が変わっている。

璃羅は動かそうとしてみたが、錆びついているようで上手く動かない。

どうやら、何年も木戸を開けていないというのは本当らしかった。


「代わりましょう」


後ろから声がかかり、璃羅は陽比古と入れ替わる。

陽比古が暫くギイギイと動かそうとしていたが、大きな溜息とともにその動きが止まった。


「どうやら無理そうですね」


眉根を寄せた陽比古が、璃羅を振り返って告げた。

陽比古の顔から視線を移し、木戸の向こうに見える松の木々に璃羅は未練気に目を遣った。

姉やハルと一緒に見た海と同じかどうかは判らないけれど、海を見てみたかった。

次はないかもしれないのだから———


「…少し前から考えていたのですが」


陽比古の言葉に、璃羅は注意を彼に戻す。


「この家の管理人になる、というのはどうですか?」


驚きに目を瞠った璃羅に、陽比古はくすりと微笑んだ。


「そんなに驚かなくても」

「だって! この家は売らないって…」

「売りませんよ。貴女を管理人として雇うと云ってるだけです」

「どうして私に?」

「適任だと思ったからですよ。僕もこの家は気に入っているので、愛着のある貴女ならきっちり管理してくれるだろうと思ったのです」


それはそうだ。

人一倍この家には思い入れがある。

陽比古に促されるまま、もと来た道を戻りながら璃羅は考えを巡らせた。


「…浅桐さんは、お姉さんのご主人だそうですね」


思い出したように、陽比古は唐突に振り返って口を開いた。

急に立ち止まった陽比古にぶつかりそうになり、慌てて璃羅は顔を上向ける。


「…? そうですが…?」


何故それを陽比古が知っているのかと考えて、自分が庭に出て来た間に二人の間で会話がもたれたのだと察しがついた。


「貴女は、叔母さんの仕事を手伝っているのだとか」


やはり。

自分のいない間に、義兄の惣一郎に色々と聞いたようだ。


「この春に女学校を卒業しました。上の学校に進めばと叔母は云ってくれましたけど、教師になる訳でもないし、もう充分だと思って」

「教師にはなりたくない…?」

「人にものを教えるなんて、性に合いません。女の身で上の学校に進んでも、道は教師くらいですから。それよりは働こうと思ったんです。まだ、見習い程度ですけど」

「なるほど」


軽く頷いた陽比古は、「それなら」と続ける。


「やはり、管理人のことを考えてみてください。良ければ、住み込みで」


住み込み、と璃羅は口の中で小さく呟いた。


「通いで掃除に来ている人が高齢で、そろそろ辞めたいと云っているのです。僕もそんなに頻繁には来られないので、管理人を探そうと思っていたところなのですよ」


魅力的な申し出に、璃羅はすぐにも頷きたい気持ちだったが、姉の菫や叔母の蘭子には話を通さなければいけないだろう。


「姉と叔母に相談してから、お返事するのでも構いませんか」


おずおずと、璃羅は口にする。

璃羅の反応に、陽比古の片眉が上がった。


「構いませんが…とりあえず、貴女の気持ちはお聞かせ願えませんか」


陽比古の云い募るような言葉に、璃羅は少し怯んで返答を躊躇った。

そんな彼女を安心させるように、陽比古は穏やかな口調で続ける。


「貴女にその気がないとなると、管理人は別に探さなければならなくなりますから」


二人は銀杏の木のところまで戻ってきた。

陽比古は璃羅の方は見ずに、銀杏の木を見上げる。

璃羅は、陽比古の隣で彼を見上げた。


「私にとっては、願ってもない申し出です。出来ればこの場で頷きたいくらい。でも、勝手に一人で決める訳にはいきませんから」

「そうですか」


そう云って、銀杏の木から視線を下げた陽比古の顔に、遅い午後の陽射しが当たっていることに璃羅は気がついた。

家の中では灯りをつけていなかったので薄暗く、庭に出てからも逆光だったり日陰になっていて、明るい光の下で陽比古の顔をはっきりと見たのはこれが初めてだった。

正確にいえば、眼鏡越しに見る陽比古の瞳を。


璃羅は短く息を吸って、大きく目を見開いた。


お読みくださり、有難うございました。


あと一話で完結です。


話には出てこない設定がもう一つ。

璃羅は、父親が翻訳の仕事をしていたことに興味を持って、自分も学校では語学に力を入れて学んできました。

叔母の蘭子の商会の手伝いをしつつ、こちらから輸出する商品の説明文を外国語で書く試みをしています。

それまでは、あまりにも簡潔なものしかなかったので、叔母に提案してみたら実現したものです。

語学に堪能な芳村に確認してもらいつつ進めていて、なかなか順調です。

(そもそも、芳村が忙しすぎて手が届かない作業でした。(^^;)

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