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君に捧ぐ、女郎花と夏の記憶  作者: 市川甲斐
1 冷たい世界
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(7)

 その事件の翌日は土曜日だった。朝、母から電話があり、父の着替えを取りに一度家に帰ってくるというので、母が病院に戻る車に乗り、清太と安那も病院に向かった。


 父は個室の中で人工呼吸器のようなものを付けられて、静かにベッドに横になっていた。頭には包帯がぐるぐると巻かれ、固く目を閉じている姿が痛々しい。しんとした病室内で、機械の電子音と父の息をする音だけが聞こえている。


 ベッドから少し離れた場所に3人で座り、父の様子を黙って見ていた。たまに看護婦や医師が様子を見に来るほかには誰も来ない。するとスマホの鳴る音が聞こえ、母がバッグからそれを取り出した。


「あっ、理事長さん。……ええ、いまは寝ています」


 電話に出て話をしながら、母が病室を出て行く。再び静かになった部屋で、ポケットから自分のスマホを取り出した。そして何気なくネットのニュースを見てハッとする。


 そこに「農家組合で横領か。理事への傷害事件も。静かな農村に激震」というタイトルがあったのだ。見てみると、次のような記事が載っていた。



『風吹農家組合は20日、組合員の資金を職員が横領していたことが判明したと発表した。被害額は数千万円から最大1億円超にのぼるものとされ、警察に被害届を提出した。

 また、警察関係者によると、前日の19日には、同組合の理事の一人が、自宅で何者かに鈍器のようなもので殴打され重傷を負わされる事件があったことが分かった。被害者の理事は事件の直前、同組合職員と会っていたという情報もあり、横領事件との関係性も含めて、警察では慎重に捜査を続けている』



 その文字を何回か読み返す。その被害者の理事は間違いなく父のことだ。すると、父は組合の職員と会っていた。いや、おそらくその職員に暴行されたのではないか。それにしても、どうしてそんな事になったのだろう。


 清太は病院に来る車の中で母から聞いた話を思い出していた。父は一命を取り留めたものの、かなり酷く頭を打たれたことで、これからも脳に血が溜まりやすくなったり、何かのきっかけで頭痛が激しくなったりしやすくなる可能性がある。それにかなり奥の方まで影響が及んでいるので、将来どのような影響が出てくるか見通せないという。これまで大きな怪我や病気をした姿を見たことが無かった父が、急にそんな状態になってしまったことが今でも信じられなかった。


 しばらくして母がドアを開けて戻ってきた。


「まだ、寝てるよね?」


 母がドアの前に立って尋ねた。清太はそれに黙って頷く。すると、母は、「清太、安那。ちょっと外に出て」と小声で呼んだ。よく見ると、母の表情は真っ青だ。何かただならぬ気配を感じて黙って椅子から立ち上がり、先に部屋を出た母の後を追って、廊下の突き当りまでやってきた。そこは椅子が3つほど置かれ、窓からは外の陽射しが注いでいる。よく晴れた青い空の色が眩しい。誰も居ないその場所で、母はその窓を背に、静かに口を開く。


「落ち着いて、聞きなさい」


 いつものような笑顔を消し、厳しい表情で母が言った。


「結羽ちゃんが……死んだ」

 


******



 結羽の通夜があった土曜日の翌週は、夏休み前の1学期がまだ数日残っていたが、清太は体調不良を理由に自分で休みを申し出た。母もそれについては何も言わなかった。


 そして、「望月智治」という結羽の父の実名が報道されたのは、数日経った頃だった。


 その当時、地元のニュースや新聞だけでなく、全国ニュースやワイドショーなどでも、連日この事件が報道されていた。報道によると、智治は組合の金融部長の地位を利用して、部下の職員を利用しながら億にのぼる顧客の資金を横領していた。それは偽造の証書などを使ったものらしかったが、高齢者を中心に、高い配当金を出すことで顧客を信用させ、口止めして発覚を避けるという巧妙な手口だったらしい。


 父の事件との関係では、どうやら家にやって来たのは智治とその部下だったようだ。母は何も言わなかったが、ネットのニュースを調べてあの日の事が次第に分かってきた。


 その日、組合では臨時理事会が開かれ、そこで智治の横領について報告された。しかし、どうやら父はそれを信じず、外出中だった智治に連絡する。そして智治がウチにやって来たらしいのだが、どういう経緯か、やって来た智治は父を殴打した。そしてその部下とともにそのまま乗ってきた組合の商用車で逃走する。その車は近くの丘陵公園の駐車場で見つかったのだが、その後の行方は全く掴めなかった。


 清太の自宅にも、警察の他にマスコミ関係者もたくさんやって来た。電話も何度も掛かってきて、母も初めは丁寧に断っていたが、余りに続くので無視したり、時には「もうやめてください」と大声で叫んだりする時もあった。父もそれから1か月以上病院に入院し、母も清太も、その年の夏休み中は病院と家との往復が続き、身も心も疲れ切ってしまった。


 ただ、一つだけ救いだったことは、結羽が亡くなったことがほとんど報道されなかったことだ。一部のネットニュースや掲示板では「容疑者の娘が自殺。何らかの事情を知っていた可能性」と報じたものもあったが、清太が知る限りそれ以上報じられることは無かった。そもそも、その死が自殺であったのか否かという点すら定かではない。しかし清太は、真相を知りたいとも思わなかった。理由はどうあれ、彼女が亡くなったという事実自体は変わらない。それ以上、原因や経緯を知っても何にもならないのだ。

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