(6)
結羽の父である望月智治は、地元の農業者組織である「風吹農家組合」に勤めていた。清太が高校に入った時には、ちょうど部長職をしていて、清太の父も若手農業者の代表としてその組合の理事になったばかりの頃だった。しかも、2人は元々同じ高校の同級生だったので、昔から公私ともに親交があり、彼らの子供同士であった清太と結羽が同じ年だったこともあり、隣町同士ではあったが幼い頃から度々会うことがあった。そんな中、母から「結羽ちゃんが同じ高校に入学するらしい」という話を聞いて驚いたのだが、まさか入学したその日に彼女と同じクラスで再会することになるとは、全く想定していなかった。
清太が高校2年生の7月のことだった。その日は夏休みより少し前の金曜日で、部活を終えてからいつものように自販機でジュースを買い、友人と休憩しながら喋っていた。
ブルルル――。
ポケットに入れていたスマホが振動する。見ると母からの電話の着信だった。
『清太! 今どこ?』
耳元から叫ぶような母の声が聞こえた。
「えっ……まだ、学校だけど」
『すぐに帰って来なさい! お父さんが大変なの』
それですぐに電話は切れてしまった。母は何も説明しなかったが、その様子は尋常ではないとすぐに分かった。急いで荷物を持って、バイクで家に向かう。
家の近くで、いつものように県道から脇道に曲がった辺りで、辺りの暗さを照らすような明るい光が見えた。それが自分の家の庭を照らしているのだと気づいてドキッとする。庭の入口の辺りには、パトカーが停められ、近所の人やカメラを持った人間が集まり、騒然としていた。バイクを道の脇に停めて、その人垣の脇から庭の方を覗くと、庭の中には警察官が何人も動き回っている。
「おお、清太。帰ったか」
近所のお婆さんが清太に気づいて声を掛けてきた。すると別の近所のおじさんも気づいて、「お巡りさん」と声を上げた。それを聞いて、警察官が近づいてきた。
「斎木清勝さんの息子さん?」
清太が黙ってそれに頷くと、彼は「私についてきてくれ」と言って、庭の端の方から納屋の方に歩いて行く。玄関から家の前の庭の辺りに照明が当てられ、何人もの警察官が歩き回ったり、写真を撮ったりしている。
「おお、清太」
納屋にいた祖父の清造が声を掛けてきた。祖父母はコンテナの箱の上に座り、その隣で安那が立っている。
「お兄ちゃん! お父さんが……」
安那が青白い顔で言う。「一体、何が……」と言いかけてふと玄関の方に顔を向けてハッとした。白い照明に照らされて、玄関前のコンクリートの上に、血だまりができていたのだ。思わず、隣にいた警察官に尋ねる。
「まさか、あれは父さんの……」
「お父さんはさっき救急車で病院に運ばれたから、きっと大丈夫。もう少し現場検証に時間がかかるから、ここで待っていてくれないか」
警察官はそれだけ言って、清太から離れて行ってしまった。訳が分からないまま、安那の方に顔を向ける。
「どうした? 一体、何があったんだよ」
「分からない。お父さんは今日の夕方に組合に行って、それから1人で家に戻ったみたいなんだけど、私もまだ学校から帰ってなくて。おじいちゃん達もお母さんも畑にいたから、何が起こったのか全然……」
「ワシらが家に帰ったら、清勝が倒れていたから、とにかく驚いて救急車を呼んだんじゃ」
清造が続けて答えるが、状況は曖昧なままだ。目撃者はいないが何かの事件に巻き込まれたようだし、警察もこれだけの人数で現場検証しているのだから、おそらく傷害事件と見ているのだろう。
「それで、父さんは、大丈夫そうだった?」
「分からない……。私が帰ったらお父さんが救急車に乗せられる所で、お母さんも『大丈夫』って言うだけで一緒に行っちゃったから、私、怖くて……」
安那が青白い顔で答えてから両腕を抱えて俯いた。警察官に囲まれているが、その隙間から見えるコンクリートの上の出血量は、かなりの量だ。そこに父が倒れていたと思うと、清太でも背筋が寒くなる。
それからしばらく、現場検証の様子を見守っていた。庭の入口に張られた規制線の向こうの人だかりは、さらに増えてきた気がする。その視線を避けるように、納屋の中に立っているしかなかった。
家の中に入ることができたのは、それから2時間ほど経った頃だった。警察の案内で、居間の外にある縁側の方から、家の中に入っていく。玄関から家の前の軒下の辺りはまだ警察が調べているが、家の中に入ると少しだけホッとした。しかし、安那は早々に2階に上がってしまい、祖父母は居間に座って窓から警察が動き回る様子を心配そうに見ている。清太も祖父母とともに、居間で様子を見守るしかなかった。
母から電話が掛かってきたのはその少し後だった。父の手術が無事に終わり、命は取り留めたが、母はそのまま病院に泊まるという。ほどなく警察の捜査も終わり、詳しい事は聞かされなかったものの、その日は警察官2人が庭に停めたパトカーで待機することになった。清太は2階の自室に戻ったものの、まだその日の事が嘘のように思えて、それからなかなか寝付けなかった。