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夕空に轟いて  作者: 奏雨
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一話

 必死に何かをかき集める。集めるまでもなく、自分の身体はそれで覆われているというのに。

 口から吐き出した声は勢いよく泡沫となる。真っ暗な水の中でも、自分から浮かぶ命の泡は見上げることができた。

 命の導火線なんて規則的な命の表現じゃない。気まぐれで殺される自分にとって、酸素の残りはそれこそ気まぐれに設定されているようにしか考えられない。

 理性もなく暴れることしか許されてない、いや、それすら許されてるかも疑わしい。

 状況経緯を(かんが)みれば、なにもかも許されていないのがきっと正しい認識だ。

 冷え切った水に浸かっているせいで、肺が閉塞的になっているせいで、意識も感覚も希薄となる。

 "助けて"

 泡の音。それは響きもしない。無情だった。


「くそみたいな夢だな」

 夢の世界からはじき出されたように、青木(あおき)の意識は現実へ戻ってきた。

 掠れた声でも呟かざるを得なかった。それほど鮮明で悪辣な夢に感じる。

 不快な夢と、相応しくない寝床でそれはもう不機嫌極まりない。健全な人間生活を送っている者ならば、心を入れ替える殊勝(しゅしょう)な心掛けにより、コーヒーブレイクや洗顔を行うのだろうと青木は思う。

 けれどもそんな心の余裕はない、心の余裕を生み出すために心の余裕を蝕む矛盾に疑問と苛立ちを覚えてのそりと立ち上がる。

 じんわりと暑い。布素材のソファで寝ていれば無論のこと体温は上がるが、それだけでは終わらない。窓は閉めきり、空調は何も為していない。昼過ぎというにはいささか遅い夕方の赤が部屋を熱しているのも、青木の体温を上げることに一役買っている。

 一人暮らしだというのに絶望的な自己管理の欠如が、"黄昏"で浮く立場に拍車をかけているのだろう。自覚はしつつ直す気もない為に、夕景に照らされた起床を迎えている。

 あったまったスマホを手に取る。その時点で少しばかり嫌な予感を覚えつつ、奇跡を祈って起動した。

 数件取るにたらないSNSの通知が溜まっていた、これはいい。

 右上には1%と警告が浮かんでいる。

 見るや否や舌打ちをスマホと共に投げ捨てた。投げ捨てつつ、自動充電機能なんか持ち合わせてはいない為に拾って充電器に刺す。現代人、スマホが無くては生きることは難しいのだ。

「なーんもやる気起きねえ」

 ため息まじりに嘆いた。それに何一つ変化は訪れず、一縷の虚しさが揺蕩う。

 払拭しようと、立ったついでに冷房と扇風機を起動しに動いた。足取りは森を歩く巨人のようにゆったりしている。

 リモコンを押せば軽い効果音が快く反応し、ボタンを押せば(わずら)わしくファンの音が鳴った。贅沢なものだと青木は思う。

 無料の冷風を享受しながらキッチンへ向かう、動き回っているようでそうでもない。手狭なアパートはそれはそれで活動しやすいと青木は噛みしめる。

「夏なんかいらねーよホント」

 口をゆすいで一声、誰もいないことをいいことに、届かず叶いもしない怒りを露わにする。

 いや。と、叶わないという考えを拾いなおして再度考える。

 しかし、それは実現はできるが実現したところで維持もできず、リターンもない。加えてリスクは膨大だった。

 荒唐無稽(こうとうむけい)な思いつきは趣味でもガラでもないと、ため息をこぼす。

 バッテリーに気を使わず、ネットサーフィンでもして頭を覚醒させようとスマホに近づく。すると、おもむろにスマホが音楽を奏で始める、アラームなんて几帳面なもの設定した覚えはない。

 虫の知らせは着信拒否を推奨したが、長くうるさくかかってるものだからついぞ取ってしまった。

 着信先は、黒野(くろの)(かしわ)だった。今日一大きなため息を吐いてから開口一番悪態をつく。

「もしもし、寝起きなんで無理です。んじゃ」

「バカ待て!今回は規模が違う、っつーか、類を見ない!」

 黒野が発した大声で、青木の意識は完全に覚めた。類を見ないとは言うが、そもそもここまで"幕"は届いていない。管轄外なのだから拒否する権利はある。

 焦っている声は、青木を不審に思わせた。

「だからって、なんで俺まで?」

「身構えろよ、どうせこうしてる間にお前の管轄にも幕が降りる」

「幕は予測できねぇんじゃ?」

吐き捨てるように言った言葉は、冗談と突っぱねることができなかった。故に理由を伺うが、答えを聞く前にそれは来た。

 ジェットコースターが急に止まるような、歩いてるところフードを掴まれたような、進んでいたものが止まることで起きる世界が揺れる感覚に青木は揺られた。

 ガクンと何かに落ちた気がしたあと、強い耳鳴りが襲う。

 思わず青木は近くの壁に触れながら、ゆっくりと弱々しく腰を下ろす。

「――、――――」

 黒野の声は青木に届かない。思考が定まらない中、自分が目眩に襲われているんだと自覚する。

「な、言っ―ろ?はや―現場に――て」

 くぐもった声が青木の鼓膜を揺らす。水の中で聞いてるような気がして青木にはかなり不快だった。

「あぁ......わかった、行きゃいいんだろ?」

 壁を支えに立ち上がる。スマホを持った手はだらりと伸ばし切り、青木には黒野の声を聞く気はないことは誰が見ても明らかだった。



 黒野と青木はかなりの付き合いであり、仕事仲間である。

 彼らの仕事は人呼んで、逆行収束組合パラドクスセーフティチームと称されるものだ。関東に存在する、裏組織のようなもの。

 ふとした時、この世界は時間が巻き戻る。通称、逆行現象を止めるのが青木夜音(よるね)達であり、それを観測して青木達をサポートするのが黒野柏達。様々なチームアップもされているが、青木の所属する"黄昏"は関東に十数名という規模である為、今回のように青木が解決に赴くのはなんら珍しくない。

 ただ、青木が非協力的なだけで。

「やっぱ雑魚じゃねえか」

 鼻をスンスンと鳴らす。逆行現象にいる青木は、嗅覚が特殊なものに置き換えられ、それを頼りに獲物、もとい現況を探す。黒野のようなサポートを必要とせず、それで尚解決できる要因の一つだ。

 青木は俗に言う運動不足の類に属するが、今の彼の疾走は並の人間が出す速さではなかった。

 時が止まったように動かない人々の間を、つむじ風よろしく通り抜ける。

 怪しげな空は、時として正確な黄昏時という表現よりも、同様の意味を持ちながら仰々しい雰囲気を放つ逢魔ヶ時(おうまがどき)が適切であった。一見ただの夕景だが、薄赤色の雲は微動だにせず、薄青色の空は普段と打って変わり、活力を感じさせない。

 それに加えて青木や黒野ら例外を除く無辜(むこ)の民は、その場で停止している。動物や物体も同様で、夕日を背中に犬の散歩をする男性、買い物終わりに袋から玉ねぎを取りこぼす女性、平等に止まっている。

 止まっていないのは、例外達と遡っている世界、そして今から青木が相対する者だけだった。

 選ばれた者、正しく超人。それが青木夜音であり、黄昏達。それを証明するかのように、青木は住宅街で飛び上がったと思えば、屋根に着地し、再度駆ける。瓦が壊れた音を聞いたが、正常な時に戻せば再生することをいいことに、意にも返さない。

 逆行現象の元凶とは何か。原理はわかっていないが、それでも一つ言えるのは、生き物のように存在していることだ。体現が近しいだろうか、非現実的な在り方をしている獣が、我が物顔で存在している。それらを殺めることが、現状把握されている逆行現象を収める唯一の方法だ。

 そう、得てしてそれは獣なのである、色がどうだとか、足が何本だろうが、獣であり、獣であるからして理性はない。

「俺がやることは変わらないって訳だな」

 屋根の上から、(さび)れた公園に佇む一匹の狼を観測する。いくら東京の辺境だと言っても、狼が生息しているなんて失笑を貰う冗談にもならないことだが、この状況において青木はいつも通りと笑って見せた。

 幸い公園やその周りに人はいない、代わりに近くは団地が立っており、それを壊してしまえば物はまだしも人間に危害が加わってしまう。逆行現象の解決で物体は巻き戻るが、生き物はその例に当てはまらない。壊した弾みで瓦礫が住民に当たってしまえば、その人間はこの先逆行現象に巻き込まれた人生を生きる。

 人間として、それは正しくないというのは、青木が珍しく黄昏と共有した意識だった。

 青木に獣と語らう趣味はない。

 右手を水平にかざす。すると、透明な何かが腕の周りで泡立つ。

 それは液体のように流動的な動きで青木の腕へまとわりついた。形を成していくにつれ、重量や感触を青木に抱かせる。

 変化をやめた結果、完成形は、肩から手まで二回りは覆ったガラス、或いは水のような装備だった。特筆すべきは、手の部分を覆うのは篭手やグローブのように、装備者を護るものではなく、獣の爪と思わしき大きな三つの爪であること。

 強靭な膂力で、纏わせた爪の重量に打ち勝つ。

 跳躍した青木は一足で数十の距離を詰め、狼に爪を大きく振りかぶった。

「はぁぁっ!!」

 すんでで気付かれる。これは青木にとって想定内、少なくとも青木は気付かれても避けれない攻撃を放ったつもりだった。

 土煙が大きく舞う。それ以上も以下もなかった。鮮血も四肢も舞わず、地面を叩いた衝撃が重く響く。

 それが意味するのは、狼を逃したということ。

 それは移動と称していいのかも青木には分からない。爪が衝突する寸前で狼は消えた、決して左右前後のどこかに足早な回避をしたのではない。

 一切の脚色なく青木の前から消えた狼は、その牙を獰猛に青木へ繰り出す。

「相性が(わり)いな」

 聞いたら誰もが青木にとって相性が悪いと苦言をこぼしたように思えるだろう。

 青木の無防備な背中に、狼は大きく口を開けて噛み潰さんとする。

 次の瞬間、見えていたと言いたげな裏拳が狼に直撃し、振り抜かれた。

 世界が止まったように思える会心の手ごたえは、突風を生みながら狼を弾き飛ばす。

 滑り台に狼は激突する。重々しい爪の遠心力が加わった打撃が見事命中し、打ち付けられた狼が即座に動ける様子は見せない。

「匂いの動き的に、タネは瞬間移動だろ」

 得意げに暴く。

 強者であることの悦が、青木の口角を上げた。

 爪を引きずって砂に三本の線を描く、三本戦は徐々に狼へ向かっていく。

 消える寸前まで青木は確かに狼の発する匂いを正面に捉えていた、しかし地面を叩いたと同時に、その匂いは青木の背後へ瞬間的な移動を果たした。

 それら全て、青木夜音は認識していたのだ。

 ピクリと、狼の前足が動く。痙攣のように継続したものではなく、挙げるならば数十分前の青木のような、意識の起床がもたらす反応に近しい。

 狩人は狩りに悦を求めない。記憶の底にある人間が言った言葉を、青木は反復する。

 狼が立ち上がろうと地面を探す。それを許さない青木の歩みが猛進へ変わる。

 韋駄天に遠く及ばず、けれども死神ならばその座に手をかけられるだろう。狩人の殺意が、眼前の獲物の一切合切を凌駕した。

 青木の爪が地面を深く抉る。土や砂の奥、硬度はお構いなしに死の音を鳴らす。

 地の(あまね)くものをかきあげ、掬い上げる爪を狼に突き立てる。

 滑り台の鋼鉄が情けなく破壊音を響き渡らせるのに混じり、狼の肉が裂け、骨が折れる音が小さく聞こえる。

 その一撃は生命に振るうに致命的が過ぎた。

 倒れる滑り台をゆうに飛び越し、赤色のなにかしらを巻き上げて狼は吹き飛ぶ。公園外周の草花にその身は飛び込んだ。がさりと命が散る音が青木の鼓膜を叩く。

 果たしてアレに命は宿っているのかと、青木は思い直した。

 草花から見える、前足か後足が粒子となって消えてゆく。塵が巻き上げられるより幾分か現実離れして美しいものであった。

 青木の嗅覚に狼の存在はない。元凶の撃破を確認しつつ、本来起こる変化を待ちわびる。

 その間、青木は粒子と天を視界に収める。

「今回は随分動物らしかったな」

 その声色はどこかやるせない、溜飲(りゅういん)を抱いた言葉だった。

 青木は今まで何十、或いは何百も"狩り"を為してきた。その中でも、異常な存在は幾つか数えることができるが、それならばいいと青木は思う。

 もっとも狩りたくない相手は、やはり現実感のある生物だ。その点、元凶ならば誰もが持つ特殊な能力以外、今回の狼は(まさ)しく狼であった。

 溜飲下がらぬ思いで、空の変化を待ちわびた。

 狼だった者の粒子も吸い込まれ、次第に雲が動き出す。

 再び、逆行現象に巻き込まれた際に起こる反動が青木を襲う。後頭部が殴られたように、前に姿勢を倒して滑り台に手をついた。

 悲惨に破壊されたはずの滑り台は、元からそうであったと主張せんばかりにそびえたつ。

 青木は大きくため息を吐いた。慣れてない頃は息以外も吐き出していたのだ、今となればマシになっている。

 黄昏時が目を覚ます。おどろしい面影は一切ない。

 戻ってきた、取り戻したと青木は思う。そこに達成感はなかった。喜びも高尚な思想も。

 世界を取り戻すことに一欠片の価値も感じていない、情がない考えと自覚はしている。

 蒸し暑い空気に町内放送が届いた。子供の帰宅を促すものだが、青木にとってこの放送の通りにした記憶がまるでない、他人事のまま他人になってしまったことが少しだけ惜しい。

 心中のナイーブさを刺激され、ガラじゃないと帰路を歩く。

「連絡しとくか......」

 逆行現象の収束は完了した。そのことは恐らく把握されていることなのだが、青木にとって黒野はお節介で余計な心配ばかり向けてくる印象が強い。安否確認の電話がすっ飛んでくる前に一声聞かせてやろうという青木の稀な親切心だった。

 電源ボタンを押す、即座に現れるはずの待ち受け画面は現れず、代わりに一つのマークが提示された。

 充電切れを意味するマークだった。



 途中迷いながらも、なんとか自宅のアパートに辿り着く。

 土地勘がなければ充電切れのスマホ片手に何時間かさまよいかけたのを、なんとか一時間に留めることができた。

 汗水垂らして、未だ日が出ていることが恨めしい。夜風に帰るのならば機嫌は多少丸くなると見越すが、冷たい風が青木を撫ぜる事は叶わなかった。

 扉に手をかけ、鍵を閉め忘れたことに気付く。盗難されて困る物は割とあるのが難儀なもので、背筋をひやりと冷やした。言うまでもないが、御免被(ごめんこうむ)りたい感覚だ。

「ただいま~」

 疲労から間抜けな声が出る。家に人がいないと知ったうえで虚空に呟くのは気まぐれであったが、

「おかえり、鍵は閉めとけよ」

 珍しく、非常に珍しく返す人間がいた。

 表情が歪むのが青木本人も分かった。理由を呆れと言ってしまえば許容しているようで嫌だった為、嫌悪をその人物に向ける。

「なんでいるんだよ、黒野」

次回、世界観説明

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