何をやっても怒られる
あの後、クリストフ様は不機嫌になりながらもしっかりと私に教えてくれた。「早く覚えて俺に楽をさせてくれ」という言葉と共に。
ただ、やっぱり私は不器用なようで、押さえていた手を包丁で切るわ、肉を焼こうとして自分の腕を焼くわで、あちこちに怪我をした。指が痛いから食べさせてくれないかと思ってクリストフ様をじっと見たのだけど、思い切り顔を背けられてしまった。自分のことは自分でしろと言うことなのだろう。諦めて痛む手で食事をとる。
静かな部屋にカチャカチャという食器の音と食べる音だけが響く。黙って食事に集中していたら、向かいに座っているクリストフ様の視線を感じて頭を上げた。
「何ですか?」
「……これは言っていいのかわからなかったんで黙っていたんだが、ナイフの使い方が、その、正しくないというか……」
今私が食べていたのは、鶏肉のソテーだ。クリストフ様と同じように切っていたつもりなのだけど、何か間違っていたのだろうか。
「何かおかしいですか? 使ったことがないので家族やクリストフ様の真似をしてみたのですが」
そう言うと、クリストフ様は目を見開いて「は? 嘘だろ?」と声をひっくり返した。何故そんなに驚くのかわからない。クリストフ様は慌てて言葉を繋げる。
「いやいや、どうやって生活してきたんだよ! 普通の食事もそうだが、お前は貴族だろ? 茶会や夜会なんかでもナイフを使うことはあるはずだろ?」
「どうやってって……。使用人が先に切って出してくれていたのでただ食べるだけでよかったし、私は社交界にデビューもしてないので、お茶会や夜会に参加したことはありませんし」
「いや、それが何でだよ! それくらい自分でやれよ! それにお前が社交をしないことを家族だっておかしいと思うだろうが!」
クリストフ様の顔が赤い。これは興奮しているのか、怒っているのか判断が難しい。だけど、私のことでどうしてクリストフ様がこんな反応をするのだろう。
「お母様がナイフは危ないからと持たせてくれませんでした。あと、社交なのですが、お兄様とお姉様はお母様に、私にも教育をして社交をさせるべきと言ったのですが、お母様がお兄様たちは優秀だからいいけれど、お兄様たちと比べられて出来が悪くて恥をかくのは私なのだと言うから、お兄様たちもそれからあまり言わなくなりました」
「……何だ、それ」
クリストフ様の顔が険しくなった。また私は怒られるのだろうかと、つい身構えてしまう。
「……怒れよ! お前の母親は完全にお前を見下しているだろうが! お前の出来が悪いかどうかなんてやってみないとわからないのに。初めっから決めつけてお前の可能性を奪うのが母親のすることか⁈」
「可能性を奪う? 何を言っているんですか? お母様は私を辛いことから守りたいんだって、そう言ってました──私は幸せです。お母様はそれだけ私を愛してくれていますから」
そう。お母様はいつも私を庇ってくれて、辛いことから遠ざけ、守ってくれていた。思い出して笑みがこぼれる。
「嘘だろ……。どうしたらこんな風に育つんだ……。本当にそれが幸せなのか? 何一つ努力もせずに与えられるだけの人生が?」
クリストフ様はしばらく俯いて何かを考えていた。やがて首を左右に振ると、私を真っ直ぐに見た。
「俺はやっぱり間違っていると思う。だったら何で、こうしてお前を平民に嫁がせたんだ? 苦労をするとわかっていただろう? 最低限でも知識がないと、生活が破綻するのは目に見えている。俺からすると、お前の母親はお前が嫌いか憎んでいてやっているとしか思えない」
「そんなわけありません。だってお母様は言ってましたから。あなたはそのままでいい、クリストフ様に任せればうまくいくって」
クリストフ様は弱々しく首を振ると、俯いてブツブツと何かを呟き始めた。話は終わったのだろうと、私は再び鶏肉のソテーを一口大に切って口へ運ぶ。初めて手伝ったからなのか、いつもよりも美味しく感じた。
結局その後、食事が終わるまでクリストフ様は一人で考え込んでいて、会話が弾むことはなかった。
◇
食事が終わればお風呂の時間。
一階にあるお風呂も実家より小さくて使い方はわからないし、いつもメイドが洗ってくれていたので、洗い方もわからない。ないない尽くしで困ったけれど、「異性と一緒に風呂に入ろうとするな」とクリストフ様に怒られて、一人で入るしかなかった。出たら出たで、「泡が残っている。流してこい」とまた怒られる。何度か流して、ようやく「よし」とお許しを得た。クリストフ様はなかなか厳しい。
そうして寝る時間になり、クリストフ様は私の部屋に来るなり告げた。
「今日は一般的には初夜だろうが、俺たちには関係ない。今のお前が子どもを産んで、誰が育てるんだ? 俺だよな。お前だけで手一杯なのに、子どもの世話までさせられたら、たまったもんじゃない。というわけで、一人で寝てくれ。明日はやることがたくさんあるから早起きをするように」
クリストフ様の言い方は、夫というよりも教育係のようだった。顔は険しいし、言い方も優しくない。結局今日一日クリストフ様の機嫌は悪かった。これ以上悪くさせないために、私は大人しく頷いた。
すると、クリストフ様は用は終わったとさっさと部屋を出て行ってしまった。初めての場所で一人取り残されることに不安を感じていたけれど、お母様の大丈夫よ、という言葉を何度も思い返しながら眠りについた──。