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できる人の気持ちはわからない

「こう、ですか?」

「そうじゃない。この手をこうして……」


 包丁を握り、葉物野菜を切ろうとするが、押さえる手が違うらしく、クリストフ様に指摘された。押さえる手もどうやら決まりがあるようだ。こんなに覚えることがあるとは思わなかった。野菜を洗うのも、食器を出すのも、私のやることなすこと全てクリストフ様の手間を増やすだけ。自分の出来の悪さに地味に落ち込む。


「……申し訳ありません。手がかかってしまって。だから私は何もしなくていいと諦められるんです……」


 エリーアスお兄様は、お母様に私を甘やかすなと言うけれど、そうじゃない。私があまりにもできないからやらなくていいと言われてしまうだけだ。項垂れる私に、クリストフ様はポツリと言う。


「……初めっからできる奴はいないだろう」

「え?」


 顔を上げると、そっぽを向いたクリストフ様が続ける。


「だから、やったことのない奴にいきなり完璧にしろ、なんてことは言わない。俺はおま、いや、あなたの初めっからやる気がない姿勢に腹が立つんだよ」

「そうなんですか……あの」

「何だ」

「おま、って何ですか?」


 クリストフ様はぐっと言葉に詰まった。この反応はクリストフ様が何を考えているのかちょっとわからない。首を傾げて答えを待つ。


「悪かった。お前、なんて偉そうなことを言った」

「偉そう、ですか?」


 お前とあなたに違いがあるのだろうか。家族と使用人としか交流していないせいか、言葉の違いもあまりわからない。理解する前にお母様が先回りして、言い換えたり、話を流してしまうのだ。


「言いにくいなら、お前でもいいですよ」


 クリストフ様は目をみはり、まじまじと私を見る。


「……いや、あなたは貴族令嬢だよな? 腹が立たないのか? 俺のこの物言いもそうだが、料理をさせることにも」

「物言い? よくわからないけど、しなければ食べられないと言われたから……。本当はお母様にしてはいけないって言われていたのですが……」


 クリストフ様の眉間にまた皺が寄る。ここに来てからはこんな顔ばかりだ。また怒られるのかと思わず首を竦めてしまう。


「……本当に自分の意思がないんだな。それにどうして俺が怒っているのかもやっぱりわかってない」

「申し訳ありません」

「謝るな。気持ちのない謝罪なんざ無意味だ。それがまた気分が悪いって言ってもわからないんだろう?」


 片頬を引き攣らせてクリストフ様は笑う。どこか見下した笑いだ。お兄様が「考えることもできないのか。馬鹿が」と以前言いながら見せた顔に似ている。おかげで自分が馬鹿にされているのだということはわかるようになった。


 できる人にできない人の気持ちなんてわからない。同じように、できない人にできる人の気持ちもわからない。だから私にはクリストフ様の気持ちはわからない。


 馬鹿にされて、昔はよく怒ったり悲しんだりした。それでもいいのだと思えるようになったのはお母様のおかげ。お母様がいつも私を肯定してくれたから、怒ることも悲しむことも、人に八つ当たりすることも無くなった。


 最初は教育係もいたのだけど、私の出来が悪すぎて叱られるからなのか、お母様が辞めさせた。お母様は外に出ると私が傷つくだろうと、社交界デビューもしなくていいし、お茶会にも出席しなくていいと言ってくれた。


 お兄様やお姉様は私のことを、甘やかされて育った恥ずかしい妹だと言う。


 だけど、お母様は違う。お兄様とお姉様が優秀だから私の出来が悪く見えてしまうのだとそう言ってくれた。だから私は今のままでいいのだ──。


「……わかりません。あなたのような優秀な人の気持ちなんてわかるわけないじゃないですか」

「へえ、開き直るんだな。結局お前は出来が悪いからと自分に言い訳して、何の努力もしようとしない。ただ言われるままに従うだけの操り人形でしかないってことだな」

「私は人形ではありません」


 クリストフ様は何を言っているのだろう。人形には命がない。私には命があるのだから人間だ。優秀な人でも間違えるのかと私は苦笑してしまった。


「ほら、こんな皮肉だって通じない。それがおかしいことだと言うのもお前にはわからないんだろうな」


 気分を害したのか、クリストフ様に睨みつけられた。その視線から怒りは感じるけれど、やっぱり私にはクリストフ様の言う皮肉がわからないのだ。私は首を傾げることしかできなかった。

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