冷静になったら
よろしくお願いします。
「はあ……」
落ち着いたのはいいけれど、泣きすぎたせいで顔が腫れて余計にクリストフ様に顔を埋めて動けなくなっていたら、フェーベ様がそのまま院長室へ招き入れてくれた。フェーベ様は再び席を外してくれたのでクリストフ様と二人きりだ。
今はクリストフ様とソファに並んで座っている。だけど、恥ずかしくてクリストフ様の方を向けない。前を向いたまま出てくるのはため息ばかり。それもそのはず。私は思いがけず帰る場所を失った。いつかはと思っていたけれど、はっきり決める前にそうなるとは。
「ほら、水分はとっておけ」
クリストフ様に言われてフェーベ様が出してくれた水を飲む。泣いた分を体が取り返そうとしているのか、水が美味しくてごくごくと飲み干した。一息ついて前を向いたままありがとうございます、と呟く。
「……それで、これからどうするんだ?」
「……まだわかりません。屋敷を出ることも考えてはいたんですが、こんなに急に出て行くとは思ってなかったので。考えなしだと思いますか?」
「ああ」
「ですよね」
ははは、と乾いた笑いが出た。ため息以外にも出るものはまだあったらしい。
「……それなら、俺のところに来るか?」
「え?」
クリストフ様の思いがけない提案に、クリストフ様の方へ視線を向ける。目が合うとクリストフ様は目を逸らした。
「俺のせいだろ。俺がお前に自分の意思をなんて言わなければ、お前は……」
「違いますよ。これはクリストフ様のせいではなく、私とお母様の問題なんです。お母様には私に変わってほしくない理由があって、私には変わりたい理由があった。ただそれだけのことです」
「それだけってお前……それだけなら男爵夫人があんな酷いことは言わないだろうが」
「……さあ、どうでしょうね。そんなことよりも、責任を感じてそう言ってくださっているのならお断りします。クリストフ様には責任なんてないので」
散々迷惑をかけてきたのだ。これ以上迷惑をかけたくない。今は相談できる相手も増えたから、きっと助言をくれる人がいるはず。そう思ってきっぱりと断った。
すると、何故かクリストフ様が傷ついたように顔を歪めた。
「……そうかよ。どうせ俺は部外者だから関係ないんだろうな」
「いえ、そんなつもりで言ったわけでは……。クリストフ様は私を迷惑だと思っていたでしょう? もうこれ以上は迷惑はかけられません。それに、クリストフ様も関係者だから余計に巻き込みたくないというか……」
「ああ、まあ、お前の元夫だしな」
クリストフ様の言葉に鼓動が跳ねた。気持ちを自覚してから聞くと、その言葉の意味と響きが全然違ってくる。どこか照れ臭くて、顔がほてってきた。するとクリストフ様がこちらを覗き込んでくる。
「どうした? 気分でも悪いのか? あれだけ泣いたら熱も出るか」
「いえ! 大丈夫です!」
「変な奴。で、どうするんだ、来るのか?」
こっちはこんなに意識しているのに、平然としたクリストフ様が恨めしい。こうなると反抗したくなるのは何故なのか。不機嫌そうな表情をつくって、ぷいっと背を向ける。
「行きません」
「はあ? なんでだよ! 困ってるんだろ?」
「他人任せじゃ駄目でしょう? クリストフ様もそう言ったじゃないですか」
「それは時と場合による」
「そんなのわかりません!」
「ああ、もう。ああ言えばこう言う……いいから甘えとけ!」
そう言うなり、クリストフ様は私の手を掴んで立ち上がる。
「え、ちょ、ど」
急に立ち上がらさせられた私は、そのままスタスタと歩き出したクリストフ様についていくしかなかったのだった。
廊下でフェーベ様に会ったけれど、話しかける間もなくクリストフ様に引っ張られる。申し訳なくて頭を下げると、「いいんですよ」と笑顔で見送られてしまったのだけど、孤児院を出た後にふと気づいた。
「あ、そういえば!」
「今度はなんだよ」
クリストフ様がうんざりしたような声を出して足を止めた。ああ言えばこう言うと言われたけれど、これはちゃんと伝えないと。
「着る服がありません。それに、私の部屋にはレナーテ様の遺品があるから、一度屋敷に行きたいんですが……」
ああ、でも、二度と帰ってくるなと言われたんだった。だけど、思ったよりはまだ辛くない。本当のことを知ったときの方が辛かったから。より辛いことを知っていれば、辛いことにも耐えられるのかもしれない。そんなことをぼんやりと考える。
「着るものは前にお前が置いていったものがあるからいいとして、レナーテ様の遺品は確かにお前が持っていた方がいいだろうな……なら、お前の兄さんに頼むか。男爵夫人はお前が屋敷に戻ることは許さないとは言ったが、エリーアスに会うなとは言わなかっただろ?」
言われたことを咄嗟に理解はできなかったけれど、考えてみればその通りだ。私は頷いた。
「そうですね。お兄様にお願いして、レナーテ様の遺品を持って来てもらおうと思います……が、本当に私がクリストフ様の家に行ってもいいんですか?」
「ああ。これからお前がどうしたいか考えるのにも、落ち着ける場所がないと無理だ。決まったら出ていけばいい」
クリストフ様は笑う。本気でそう思っているらしい笑顔に、安心するどころか少し心が痛んだ。私の気持ちを尊重してくれているのはわかるけれど、引き留めて欲しかったとも思うなんて。嫌われるのが怖くてレナーテ様のことを言えない卑怯な私はそんなことを思ってはいけないのに──。
「……ありがとうございます」
「じゃあ、このままエリーアスに会いに城まで行くか。今ならまだ居るはずだ」
「はい」
そうして私たちはお兄様に会いに行くことにした。
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