信じるもの
またまた時間が空いてすみません。
次はもっと早く投稿したいと思うんですが……。
よろしくお願いします。
院長室へ入ると、優雅にソファに座ってお茶を飲んでいるお母様がいた。思わず後退りしようとして、後ろにいたフェーベ様にぶつかる。
「あ、申し訳──」
「ロスヴィータ。何をしているの? 早くこっちにいらっしゃい」
私の言葉をお母様は遮り、手招きをしている。お母様の強い口調からは、私を逃がす気はないように思えて、観念してお母様の向かいの席に着いた。そうしてフェーベ様は部屋を出て行ってしまい、部屋に二人きりになると静寂が訪れた。
静か過ぎて間がもたない。それに、その重い沈黙がお母様の本気の怒りを感じさせて怖くなる。
だけどここで怯んだら、また私はお母様に従わなければと思い込んでしまう。勇気を奮い立たせるように、お腹に力を込めて口を開いた。
「私は私が正しいと思うことをします」
そうだ。お母様が言ったことも、お兄様が教えてくれたことも、どちらも正しいと思えた。それなら私は『私が』正しいと思うことをする。どちらか一方が間違っているわけじゃない。ただ考え方が違うだけだ、そう思うことにする。
途端にお母様は苦々しげな表情になった。
「……本当に忌々しいわ。そんなところまであの子に似るのね。育てたのは私だというのに」
あの子とはレナーテ様のことだろうか。以前なら気にも留めなかった曖昧な言葉。その一つ一つに意味があるかもしれないとわかったから、私はちゃんと考えるようになった。聞き漏らさないようにと耳をそばだてて、お母様の続いた言葉に耳を疑った。
「あなたも一緒に死ねばよかったのに」
言われた言葉を反芻して、頭がガンガンと痛み始める。
ここまでわかりやすい悪意を感じたことはなかった。私に好感を持っていなかっただろうクリストフ様や、コリンナさんでさえ、こんな直接的なことは言ったことはない。ましてや、一番私を愛してくれていると信じていたお母様がそんなことを言うとは思わず、意図せず体が震えてしまう。
──やっぱり私はいない方がいい?
わからない、わからない、わからない──
目の前が滲んで、物の輪郭がぼやける。私の思いも、私の存在自体もぼやけてしまいそうで怖い。縋るものが欲しくて私は自分の頭に手を伸ばした。手に触れたものを取り外して目の前に持ってくる。クリストフ様からもらったバレッタだ。
それを見ながら私はこれまでのことを思い出す。お兄様が味方だと言ってくれたこと、クリストフ様が教えてくれたこと、そしてクリストフ様に恋をしたこと──。
思い出は目に見える形で残っているわけじゃないし、みんなや自分の心も目に見えるわけじゃない。それなら、全てぼんやりしたまやかしみたいなもの?
いえ、違う。目に見えなくても、わかりにくくても確かにあった。わかりやすい悪意なんかに惑わされてどうするの──!
「……そう思いたいなら思えばいいと思います。お母様の気持ちがどうであれ、私の気持ちはお母様に支配されません。気に入らないのならすぐにでも屋敷からも出て行きます」
そう告げて立ち上がる。行くところなんてないのにどうするのかと思うけれど、そうでもしなければお母様はまた私を閉じ込めるだろう。
きっとお母様は怖いのだ。自分が犯した罪を誰かに知られるのが。お母様が守りたかったのは私ではなくお母様自身かもしれない。
お母様も立ち上がると、こちらへ来て私の手を掴む。
「どうしてなの? あなただって自分の生い立ちを知って傷ついたでしょう? 知らない方が幸せなことがあるってどうしてわからないの!」
「……それ以上に幸せなことを見つけたんです。自分にできることがあって、自分を必要としてくれる人がいて、自分の居場所ができて。外の世界は怖いだけじゃなくて、楽しいこともたくさんあるんです」
知ってしまったらもう閉じた世界には戻れない。戻りたくもない。私は我儘なんだろう。だとしても、私はもう我慢しない。お母様への決別を込めてお母様を見返す。
お母様の顔色はみるみる間に赤くなる。それと同じように掴まれた手に力が込められて痛い。
「……そんなことは許さないわ。あなたも同罪なの。自分だけが赦されるなんて思わないで──!」
「痛っ、お母様、やめて!」
お母様は怒りのままに私を引きずって行こうとする。その細い体のどこからこんな力が、と思うくらいに強い力で引っ張られ、私はつんのめった。だけどお母様はそんな私に頓着せず、扉を開いて一歩踏み出した。
──転ぶ!
私の体が傾いだのに気づいたお母様はようやく手を離した。けれど私はその勢いのまま床に倒れそうになって思い切り目を瞑る。目が見えない分鋭敏になった耳からは、子どもたちの笑い声や木の廊下を走り回る音が聞こえる。というか、こちらに走ってきているような気がする。と、そこで誰かに抱き止められた。
「……っ、大、丈夫、か……っ、はあ……」
息を切らしながらも発せられたその声に恐る恐る目を開くと、額から汗をひどく流したクリストフ様がいた。驚いて声を失ったまま何度も頷くと、クリストフ様は私を離して腕で額の汗を拭った。
読んでいただき、ありがとうございました。




