自覚した思い
よろしくお願いします。
台所に戻ると、カルラさんが一人で、私が皮を剥いた野菜を切っていた。
「申し訳ありません! 私もやります!」
慌ててカルラさんと並んで野菜を刻む。私の不器用な手つきとは違ってカルラさんの手つきは鮮やかで、包丁が一定の速さで気持ちのいい音を奏でている。見惚れそうになるのを我慢して自分の作業に集中していると、カルラさんから話しかけられた。
「追いかけたんじゃなかったのかい?」
ふと手を止めてカルラさんを見ると、それでも包丁を持つ手は止まらない。話しながらも見事な手つきで羨ましい。と、逸れた思考を戻さなければ。
「追いかけたのは追いかけたんですが……。私では駄目でした」
「クリストフかい?」
「ええ、まあ……」
カルラさんはこちらを見ずに、器用に手と口を動かしている。ここまでになるにはどのくらいの時間がかかるのかと、遠い目になってしまった。いけないいけない。人と比べるばかりだと、また落ち込んでしまう。カルラさんは嘆息すると、手を止めて私を見た。
「悪かったね。コリンナも悪い子じゃないんだよ。ただ、あの子はずっとクリストフを好きで、結婚するんだって言ってたから。恋愛が絡むとたちまちややこしくなるねえ」
「恋愛、ですか?」
最近よく聞く言葉だ。先程の鬼気迫る様子のコリンナさんを思い出して、気分が重くなった。私もクリストフ様を好きだと思っていたけど、コリンナさんほど思っているかと聞かれると違うと言える。そもそも恋愛って何かもわかっていないのに。
「ああ、そうだよ。あなたとコリンナがクリストフを奪い合ってるんだと思っていたけど」
「そんな、奪い合うなんて。クリストフ様は物ではありませんよ」
「そんなことはわかってるよ。なんだい、あなたはクリストフを好きだから結婚したんじゃないのかい?」
「いえ。結婚してから好きになりました」
クリストフ様の人となりを知って好きになった。結婚したきっかけはお母様の言葉だったけれど、気持ちは私が育んだものだ。そこにお母様の意思はない。
「ふうん……。それなのに別れたと。だけど、別れても仲は悪そうに見えないし、なんだか不思議だねえ。っと、悪いね。つい首を突っ込むところがあたしの悪いところでね」
「いえ、お気になさらないでください。ただ、このことは私だけの問題ではないので、クリストフ様に聞いていただければ」
クリストフ様は頭がいいから、どこまで話してもいいかわかるだろう。私自身は、お母様が隠したがっている、自分が養女である事実以外は知られても構わない。ただ、貴族というのは厄介で、情報をうまく使って敵対勢力に攻撃をしかけると聞いたことがある。私には何が話してもよくて駄目なのかの判別ができないから、丸投げで申し訳ないけれど、クリストフ様に任せることにした。
「貴族というのも大変だね。ズケズケ聞いたあたしが悪いんだ。細かいことは聞かないよ。ただ、そうだねえ……。クリストフのことはあの子がここに来た頃から知っているんだけど、あの子は母親を覚えてないし、父親も幼い頃に亡くしたからか、家族に対する思い入れが強かったんだよ。結婚してようやくあの子に家族ができるってあたしもうれしかったんだけどねえ……」
「……」
昔を思い出すように目を細めたカルラさんは、どこか悲しそうに見えた。それだけクリストフ様を大切に思ってくれることがうれしい。だけど、そんなカルラさんを悲しませたのは他でもない私で、どんな反応をすればいいのか悩んでしまった。
カルラさんは私を見てふっと笑った。
「別にあなたに嫌味を言いたかったわけじゃないよ。ただ、あの子が不憫でね。あの子の父親もそうだ。亡くなる前に再婚を考えていたようなんだが、訳あって一緒になれなくて失意のままに亡くなったようでね……。あの子は覚えてないようだけど、その相手とは本当の家族みたいに仲がよかったそうだよ」
「そうですか……」
初めて聞く話だった。クリストフ様はそこまで話してなかったけれど、覚えてないから話さなかったのか、どうせ別れる私にそんな話をしても、と思ったのか。
駄目だ。なんだか先程から心がささくれ立っていて、嫌な考えばかり浮かんでくる。嫌な考えと言えば──。
「そういえば、どうしてコリンナさんが私を虐めているって思ったんですか? あれは私が悪いと思うんですが……」
カルラさんはああ、と視線を上向ける。
「あなたは知らなかっただろうけど、実はここでは野菜の皮まで食べるんだよ」
「えっ?」
この一週間、コリンナさんはそんなことを一言も言ってなかった。それに、皮が食べられるなんて考えたこともなかった。
「それならどうしてクリストフ様は……。クリストフ様と一緒に暮らしていたときも食べたことがありませんでした。クリストフ様は捨てていたし」
ここで育ったクリストフ様なら知っていたはずだ。首を傾げると、カルラさんは答えてくれた。
「きっとあなたに合わせたんだろうね。いくら質素な食事とはいっても皮はさすがに、貴族には残飯扱いで受け入れられないだろうから」
クリストフ様は嘘つきだ。私をクリストフ様に合わせさせようとしたと言っていたけれど、そうじゃない。彼なりに歩み寄ろうとしてくれていたのだ。
当然だと思っていたことも、クリストフ様の内緒の気遣いがあった。そのことに気づいたら、たまらない気持ちになった。
カルラさんは片目を瞑って悪戯っぽく笑う。
「どうだい、いい男だろう? クリストフは。捻くれているけど、おすすめだよ」
その言い草に、私も声を立てて笑ってしまった。
「……はい。すごく素敵な方です!」
カルラさんは満足気に何度も頷く。
「まあ、そういうわけで、コリンナが難癖をつけてあなたを追い出したがってることに気づいたってわけだ。あからさまな嫌がらせだとクリストフに嫌われると思ったから、こんな手を使ったんだろうね……」
「ですが、どうして私を? 私たちはもう別れていますけど」
「いやいや。例え別れていても、自分の好きな男に女性が近づくのは嫌だろう? それが嫉妬じゃないか」
──嫉妬。
覚えのある感情だった。コリンナさんとクリストフ様が抱き合っているときに感じたもの。コリンナさんを見て、そこは私の場所だから奪わないで、と心によぎった嫌な思い。
そして、クリストフ様が私に歩み寄ってくれていたという事実を知って胸を満たした甘酸っぱい思い。嫉妬と相反するのに、私の心に同時に存在するのは──クリストフ様を一人の男性として好きだから。これが恋というものかもしれないとようやく気づいた。
読んでいただき、ありがとうございました。




