「好きじゃない」と「嫌いじゃない」
「孤児院、ですか?」
思ってもみなかった場所が出てきて戸惑った。私からすると、子どもがたくさんいる、という印象しかない。
「ああ。あそこは子どもに対して、世話をする大人が少ないんだ。貴族や国からの寄付で成り立っていて、奉仕活動の範囲でしか手伝えないからだろう。だから、慈善活動という名目なら、エリーアスもきっとお前がそこに通うことは許してくれそうな気がするが。ただ、あそこでの仕事は多岐にわたる。掃除、洗濯、炊事、子どもの世話、備品の管理、今思いつくだけでもこのぐらいはある。お前にそれができるのか?」
「……できるか、と聞かれたら、すぐにはできないかもしれません。でも、やる気はあります! それでは駄目なんですか!」
経験不足だから経験を積みたいのだ。初めからできるのなら、そもそもこんなに悩まない。クリストフ様がわかっていて意地悪を言っているように聞こえて、思わず語気が荒くなってしまった。
「……やる気はある、か。まあいい。こればかりは実際にやってみないとわからないだろうしな。わかった。エリーアスと院長に聞いてみるが、あそこは万年人手不足だから大丈夫だろうとは思う。だが、また泣き言を言うなよ」
クリストフ様はそう言って口角を上げた。クリストフ様と暮らし始めた頃はしょっちゅう泣き言を言っていた。あの時は何とも思わなかったけれど、今ならそれが恥ずかしいことだとわかる。私の顔が熱くなった。
「もう、言いません!」
「はは。どうだかな」
私の言い分を信じてないように軽くいなすクリストフ様に苛立った。
「言わないって言ってるじゃないですか! だって、私にはもう、居場所がないんですから……」
思わず、言うつもりのなかった言葉がこぼれ落ちた。これこそ泣き言だろう。本当に私は情けなくて弱い。ぐっと唇を引き結んだ私を見て、クリストフ様は表情を引き締めた。
「居場所ならあるだろう? 真実を知ったとしても、こうしてお前は実家に戻れたんだから」
「……ですが、知ってしまったらやっぱり、甘えてはいけない気がして……」
血が繋がっていなくても、お兄様はお兄様だと思っている。だけど、そこに甘えてしまったら、私は真実を知らなかったときとなんら変わらない気がするのだ。
変わりたいと思った気持ちが無くなって、世間知らずでも生きていけると流されて生きていくだけ。それでは駄目だ。教えてくれた、今目の前にいるこの人のためにも──。
「……私はやっぱり、クリストフ様に軽蔑されたくないんです」
「は? 何で俺なんだ?」
クリストフ様は不思議そうに目を瞬かせた。だけど、聞かれたって私にもはっきりとわかっているわけじゃない。
「……多分、はっきりと言ってくれたから?」
「いや、どうして疑問系なんだよ。それにお前の兄や姉は昔から注意していたんだろう?」
「そうなんですが……。実家にいたときはお兄様やお姉様よりもお母様の言葉の方が私には響いていたから」
「まあ、そうだろうな。夫人はお前を孤立させようとしていたように見えたからな。刷り込みのようなものだったんじゃないか?」
クリストフ様から予想だにしないことを言われて、今度は私が目を丸くする番だった。
「お母様が? どうしてですか?」
途端にクリストフ様は一瞬顔を歪めた。言わなくていいことを言ってしまったような顔に見えた。
「……そんなことは俺にわかるわけがないだろう。ああだこうだ言ったところで、人の気持ちなんて見えるものじゃないし、本心を語るとも限らないものだ」
「そう、ですね……」
確かにそうだ。こうして目の前にいるクリストフ様の気持ちだってわからない。私と嫌々結婚してようやく離縁できたのに、それでもこうして会いに来てくれて、道筋を示してくれるクリストフ様の気持ちが。
──少しは、好かれていると思っても、いい?
「……聞いてもいいですか?」
「さっきからずっと聞きたい放題のくせに、今更何だよ」
「クリストフ様は……少しくらいは私のことを、好きになってくれましたか?」
「なっ、何を……」
クリストフ様の顔はみるみる赤くなり、視線も泳いでいる。言いづらいことなのだろうけど、誤魔化して欲しくなかった私は、更に言葉を重ねた。
「……嘘はつかないでください。何を信じればいいかわからない今は特に、聞きたくありません。例え、耳障りのいい言葉だとしても、後で嘘だったと知ったら余計に辛くなるんです」
「ロスヴィータ……」
きっと今の私は泣きそうな顔になっているのだろう。クリストフ様は先程までの態度はどこに行ったのか、一転して沈痛な面持ちになってしまった。気を遣わせたいわけじゃないのにと、目を伏せた。
「……正直、恋愛感情はない。だが、嫌いじゃない」
「え、恋愛感情、ですか?」
「は? 違うのか?」
「ええと、私は人としてというつもりで聞いたのですが……」
お兄様やお母様を好きだというのと同じような感覚だったのだけど。困惑を滲ませて恐る恐る言うと、クリストフ様はまたまた真っ赤になってしまった。
「な、先にそれを言えよ! 意識した俺が馬鹿みたいだろうが!」
「意識って何を意識するんですか?」
首を傾げる私に、クリストフ様は頭を掻きむしった。
「ああ、もう! そんなことはお前の兄に聞けよ!」
「恋愛について、ですか? お兄様には家族と同じように恋愛にも正解がないから身を持って知った方がいい、というようなことを言われました。だから──私には恋愛はわからないんです」
クリストフ様は言葉を失った。一緒に暮らしていたときも思っていたけれど、クリストフ様はすごく表情が豊かな方だ。黙っているのに、顔が嘘だろう、と訴えてくる。
「話を変えてしまって申し訳ありません。それで、嫌いじゃない、というのは、好きじゃない、というのと違うんですか?」
「は?」
「いえ、以前私のことが嫌いかと聞いたときは、好きじゃないと言っていたので……。どう違うのですか?」
「……そんなの、自分で考えろ」
クリストフ様はそっぽを向いてしまった。その耳は赤い。
「ええと、好きじゃないということは、嫌いに近いような気がしますし、嫌いじゃないということは、好きに近いような気がします……。ということは、前は嫌いに近かったけれど今は好きに近いと思ってもいいんですか……?」
「知るか!」
腕組みをしてふんぞり返るけれど、その仕草が可愛らしく見える。そうだとも、そうじゃないとも言わないのは、きっとクリストフ様の不器用な優しさなのだと思う。私が嘘はつかないで欲しいと言ったから、曖昧な返事で誤魔化すのだ。
「……ありがとうございます」
「別にお礼を言われる謂れはない」
一度は切れるかと思った縁だけど、こうしてまた繋がった。繋いでくれたのはクリストフ様だから。そのことに私は心から感謝したのだった。




