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クリストフの来訪

 ──いい考えだと思ったのに。


 ここにきてまた立場の違いだ。今の私は貴族ではないし、この家の娘でもない。それなのに、私を見る人の見方は変わらないという現実。力がないお前はどう足掻いても無駄だと、突きつけられているようだ。気分と共に頭も下がってくる。


「落ち込むな。この屋敷では、と言っただろう? 私も何か手がないか考えてみるから。お前の言うことももっともだと思うんだよ」

「お兄様……。ありがとうございます」

「わかったら夕食にしよう。腹が減っているから思考も良くない方に行くのかもしれないぞ?」

「はい……」


 お兄様に連れられて部屋を出た。たった一週間しか経っていないのに、当たり前に見ていた屋敷がどこか他人行儀に思えた。ここはやっぱり私の居場所ではないのかもしれないと、ぼんやり思った。


 ◇


 そうして、思いがけず屋敷の中で自由に過ごせることにはなったけれども、私にできることは書き物くらいなものだった。屋敷を歩いていて掃除をしているメイドを見かけたので、「手伝いましょうか?」と声をかけると、「滅相もないことでございます」とすごく怯えられた。お兄様が言いたかったのはきっとこういうことだったのだろう。


 それに、ちょうど通りかかった執事にも言われたのだ。「大変そうだからと、手伝いを申し入れる気持ちは尊いものですが、彼女たちは労働の対価にお金を受け取っているのです。つまり、お金を受け取る以上はそれに見合う働きをしなければなりません。お嬢様がその働きを奪ってはならないのですよ」と。


 そんなこと考えたこともなかった。私が余計なことをすると、彼女たちの仕事を奪うことになり、叱責されることになるなんて。十六年もこの家で過ごしていたのに、初めて知ることばかりだ。それだけ私の目は曇っていたということなのだろう。


 だけど、せっかく家事を教わって、少しだけでもできるようになったのだから、どこかでできないものか。お兄様は考えると言っていたけれど、多分難しいのだろう。五日経っても、お兄様から色よい返事は聞けていない。


 こうして時間が経てば経つほど気持ちが焦ってくる。みんなそれぞれやることがあって、前へ進んでいるのに、私だけ取り残されているような不安が常にあった。


 そんなモヤモヤした気持ちを抱えていたときに、クリストフ様が訪ねてきてくれたのだった。


 ◇


「来てくださってありがとうございます。あと、最初から最後まで振り回してしまって申し訳ありません。それなのにまたこうして呼びつけるようなことまでしてしまって……」

「いや……」


 私の部屋に来てくれたクリストフ様に頭を下げる。元夫婦ということもあり、人払いをして今は二人きりだ。お兄様も席を外してくれた。


 黙りこくってしまったクリストフ様の表情は険しい。やっぱり迷惑だったのかと思ったら──。


「いろいろと悪かった」


 何故かクリストフ様に謝られた。


「どうしてクリストフ様が謝るんですか? 謝るのは私の方です」

「いや……。俺は、こんなデカい屋敷で大事に育てられてきたからと、お前が苦労知らずのお嬢様だと思ってきつく当たってしまった。お前自身を見ようともせずにな。お前が選んだわけじゃないのにな」

「……それは仕方ないと思います。私は実際、苦労知らずで自分の意志のない人間だったから。私がしっかりしていれば、クリストフ様と結婚する前に、結婚を拒否できたんです。こちらの都合に巻き込んでしまって本当に申し訳ありません……」


 クリストフ様と結婚すれば幸せになれるだなんて、お母様はどうしてそう思ったのだろうか。根拠なんてどこにもなかったのに。考えれば考えるほど、お母様がわからなくなる。


 クリストフ様は否定するように小さく首を振った。


「それは気にするな。もう終わったことだ。それよりも……お前はこれからどうするんだ?」


 どうすると聞かれると何についてのことかわからないけれど、もう私はわからないで済ませようとは思わない。頭に浮かぶことを言葉にしてみる。


「……お母様と向き合うために、レナーテ様のことを調べようと思います。お母様が私にこだわるのは私がレナーテ様の娘だからでしょうから。それと、今の私は貴族にも平民にもなれない中途半端な人間です。これから一人でも生きていけるように知識や経験を身につけなければなりません。ですが、ここで躓いてしまいます」

「躓くってどうしてだ?」


 クリストフ様は私の話を遮ることなく、話しやすいように先を促してくれる。それがすごく嬉しい。お母様は、あなたはそんなことを考えなくてもいいのよ、と切って捨ててしまったから。


 そこで、メイドや執事、お兄様に言われたことなどをクリストフ様に説明すると、クリストフ様は「なるほどな」と腕組みをした。


「お母様が領地にいる間にできることをしたいのですが、やっぱり私はお嬢様でしかなくて……」

「……一つ、心当たりがある」

「え?」

「確認するが、貴族の屋敷でなくてもいいからそういった下働きの仕事のようなことがしたい、お金はもらえなくても構わない、常識を学びたい、といった認識でいいのか?」


 クリストフ様の言葉を噛み砕いて理解できたら、勢いよく頷いた。心当たりがあると言ったクリストフ様の話の続きが気になる。クリストフ様は私の顔を見て苦笑した。


「そんなに期待されても、話を聞いてガッカリするかもしれないぞ? だが、お前の希望を叶えるのにうってつけの場所がある──俺が育った孤児院だ」

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