理解できない言葉
クリストフ様は難しい顔で帰って行った。話は弾まなかったけれど、みんなそういうものだと前もってお母様に聞いておいてよかった。おかげで、自分が何かクリストフ様に失礼なことをしたのではないかと不安にならなくてすんだ。落ち着いた気持ちで夕食を食べていると、向かいに座って食事をしていたお母様が手を止めた。
「ロスヴィータ。クリストフ様と会ってみてどう? あの方となら結婚してもうまくやっていけそうでしょう?」
お母様はにこにこ顔だ。お母様こそクリストフ様を気に入っているのだろう。お姉様と似た、冷たく見える綺麗な顔がそうやって笑顔を浮かべることで、一気に親しみやすくなる。こういうところもお母様はすごいと思う。
「はい、お母様。結婚式で決めないといけないことなんかも、クリストフ様が一緒に考えると言ってくれました。すごく頼りになる男性だと思います」
「そう、よかったわね」
お母様と二人で笑い合っていると、私の左隣に座っていたお兄様が渋い顔で口を挟んだ。
「……そうじゃないだろう、ロスヴィータ。この屋敷の中なら人任せにして甘えるのも仕方ないとは思う。だが、お前はこれから嫁いで貴族籍を抜けて平民になるんだろう? 貴族の生活のように侍女やメイドがいるわけじゃない。何でも自分でしなければならなくなるんだ。今からその準備をしなくてどうする」
しばらくぶりのお兄様のお説教。言っていることが難しくて私にはわからない。首を傾げると、お兄様はクリストフ様のようにため息をついた。
──どうしてお兄様も、クリストフ様も同じ反応をするの?
二人が言いたいことをちゃんと考えようと、私は視線を下に向けた。と、そこでお母様の声が私の思考を遮る。
「ロスヴィータ、いいのよ。頑張ってもできないのなら、クリストフ様に任せてしまいなさい。きっと彼が何とかしてくれるから」
お兄様は両手の拳を握ると、ドンと机を叩いた。木製の机はたわみ、上に乗っていた食器がガチャガチャと派手な音を立てて、私はその音の大きさに体を竦める。お兄様はそんな私に気づくことなく、お母様を睨みつけた。
「……っ、母上! それでは駄目だといい加減に気づいてください。甘やかしてばかりではロスヴィータが駄目になってしまいます! そもそもロスヴィータが政略として貴族に嫁げないほどにまでなってしまった事態を、ちゃんと重く捉えているのですか?」
だけどお母様は涼しい顔で笑う。
「わかっているわ。だけど、アレクシアにはきちんと教育を施して子爵家に嫁がせたでしょう? あの子はどこに出しても恥ずかしくない立派な淑女に育ったもの。政略結婚というものをちゃんとわかっている賢い子よ」
アレクシアというのはお姉様の名前だ。爵位では下位の男爵家だけど、縁談はひっきりなしに持ち込まれていた。それもこれもお姉様が、美人で頭も良く、気立もいいからだ。外見だけが取り柄の私とは大違い。
「ええ、お姉様はすごいです。何でもできるもの」
誇らしい気持ちでお兄様に笑顔を向けると、お兄様の顔は険しくなった。
「ロスヴィータ、お前だって努力すれば……」
「エリーアス。ロスヴィータにあまりきつく言っては駄目よ。頑張ってもできなかった時に傷つくのはこの子なのよ?」
「母上……。ですが、何でも先回りしてロスヴィータの可能性を潰していくことがいいことだとは思いません。父上はどうお考えなのですか?」
お兄様は空席になっているお母様の隣のお父様の席をちらりと見た。
ここは王都にあるタウンハウスで、お父様は今、領地にあるカントリーハウスに一人でいる。社交シーズンが始まったけれど、領地経営が忙しいそうだ。元々お父様とはほとんど話すことがないので、お母様からそう聞いている。
お父様の名前が出たことで、お母様の顔が険しくなった。喧嘩でもしているのだろうか。お母様はお父様の席から目を逸らしてお兄様の問いに答える。
「……できるだけ多く縁を繋ぐ方がいいとはわかっていても、ロスヴィータでは難しいだろうと話していたわ。ロスヴィータでは縁を繋ぐどころか、今ある縁すら切られそうだから平民に嫁がせる方がいいともね。人には向き不向きがあるの。私もお父様も同じ考えよ」
「そう、ですか……」
お兄様は俯いた。お父様に似た、癖のある赤毛がふわふわと揺れる。少しして、お兄様はお父様譲りの明るい茶色の瞳を私に向けた。
「……いずれ、そのままでは通用しなくなるだろう。その時になって気づいても遅いということだけは心に留めておけ」
お兄様は食欲を無くしたのか、半分ほど食事を残したまま立ち上がると食堂を出て行ってしまった。
気にしなくてもいいのよ、というお母様の言葉を聞きながら、お兄様から言われた言葉が、理解できないながらも印象に残っていた。