温かい気持ち
髪を紐で簡単に結わえて、昨日クリストフ様にもらった髪留めで前髪を止めた。鏡を見て確認したけれど、我ながらいい出来だ。ここにくるまで、自分で櫛もといたことがなかったとは思えない。
「これでよしっと」
急いで階下に降りると、先に洗濯場へ向かった。洗濯に関しては、もう一人でこなせるようになったのだ。張り切って洗濯をしていて、ピリッとした痛みに顔を顰める。
「ああ……。まただわ……」
毎日の炊事洗濯で、手の皮が剥けたり、逆剥けやあかぎれができるようになったのだ。水仕事が終わってもすぐに次の水仕事に追われるので、治る暇もない。
じっと自分の手を見る。以前のような白くて傷一つなかった手ではなく、傷だらけで汚らしい手。きっとお母様が見ると、眉を顰めるだろう手だ。離縁して実家に戻れば、お母様に止められて、きっと今のような生活はできないだろう。そう考えると、この傷一つ一つが今の私の努力の成果で、大切な勲章に思えてくるから不思議だ。
──だったらなおさら頑張らないと。
痛みを堪えて、私は洗濯に没頭したのだった。
次は朝食の準備だ。急いで台所へ行くと、クリストフ様がすでに準備を始めていた。
「おはようございます。洗濯終わりましたよ」
「ああ、おはよう」
振り返ったクリストフ様は早速、私の髪留めに視線を留めた。
「お、やっぱりその方がすっきりしていいな。前髪が目にかかって鬱陶しそうだったからな」
「はい。私も見えやすくて助かります。ありがとうございます」
と、そこで、机に置かれた布に気づいた。色からして、これは昨日買ったばかりのエプロンだろうか。
「クリストフ様。これって昨日のエプロンじゃ……」
「ああ、お前用だ。せっかくだから使ってくれ」
言いながらクリストフ様は私に差し出してきた。もらえないって言ったのに。私は慌てて押し返す。
「いえ、そんな、もらえません。私はいずれいなくなりますし……」
それに、そもそもクリストフ様の手伝いをしているのは、自分のためだ。働かなければ食べさせてもらえないから手伝っているという後ろめたい思いが、どうしてもあった。
クリストフ様は意地が悪そうに笑う。
「俺はやるとは言ってないぞ。使えと言っただけだ。お前がいる間はお前が使って、いなくなったら俺が使うから問題はない」
「ええ? 何ですか、その屁理屈……」
「お前が言ったんだろうが。実家に帰ったら必要なくなるだろうと。だったら、俺が使えばいいだけの話だ。それに、もう買ったんだから使わない方が買った俺にも失礼じゃないか?」
「そうです……か?」
「ああ、そうだ」
首を捻る私に、クリストフ様は「難しく考えず受け取れ」と言った。
「それっておかしいです。クリストフ様は考えろと言いました」
「……お前、面倒くさいな。考えないといけないときと、そうでないときがあるってことだ。それを理解できるようになることがお前には一番必要なのかもしれないな」
「……やっぱり難しいです」
渋々エプロンを受け取ると、クリストフ様に頭を撫でられた。
「何ですか?」
「いや、お前が孤児院のチビたちと重なって。腹は立つけど憎めないのは、お前が変に素直だからだろうな」
それは私が子どもだということだろうか。憎めないと言われて喜ぶべきなのか、子ども扱いしないでと怒るべきなのか悩んでしまう。
「ありがとうございます……?」
悩んだ挙句に出てきた言葉に、クリストフ様は噴き出した。
「そういうところだな。確かに可愛いと思う」
──可愛い?
クリストフ様の口から出たとは思えない言葉だ。もしかしなくても、クリストフ様が口にするのは初めてではないだろうか。まじまじと見ると、クリストフ様は慌てて両手を振った。
「いや! 俺じゃなくて、エリーアスが言っていたんだ! それに、この言葉に深い意味はなくてな! その……」
「お兄様が? 今、ここにお兄様はいませんが?」
「だから、エリーアスが、ロスヴィータにも可愛いところがあると言ってたんだよ! ただそれだけだ!」
ムキになって否定するクリストフ様の顔は赤い。これには素直にお礼を言ってもいいだろう。
「ありがとうございます」
「いや、その……。調子が狂うな。だが、誤解するなよ! お前は妹みたいな感じで可愛いって意味だからな!」
クリストフ様は私と目を合わせて強調する。よっぽど誤解されたくないようだ。だけど、私にも言い分はある。
「……クリストフ様はお兄様じゃありません」
「あ? 当たり前だろう。俺はエリーアスじゃないし、一応夫だ」
「そういう意味じゃなくて……」
「じゃあ、どういう意味なんだ?」
クリストフ様に不思議そうに問われたけれど、自分でも自分の気持ちがわからなかった。もやもやとして、掴みどころがない。
クリストフ様はお兄様と違って、わからないことを教えてくれる。それに、一緒にいて楽しい。褒められると嬉しいし、誰に怒られるときよりもクリストフ様に怒られるのが一番怖い。そして、お母様に言われたことを間違っているとはっきり言ってくれて、今ではお母様よりも信頼できる人──。
「……わかりません」
「何だ、それは。まあいい。この話はこれで終わりだ」
照れ臭そうなクリストフ様は、話を切ると朝食の準備に取り掛かった。私もクリストフ様から受け取ったエプロンを身につけると、いつものように手伝う。
だけど、心の中はいつもとは違う、不思議と温かい気持ちに満たされていた。




