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初めての疑問

 その後、私と口を利くのも嫌なのではと思ったクリストフ様は、怒りながらもまたいろいろと教えてくれた。洗濯の後は掃除、草むしり、夕食の調理。覚えることがたくさんあって辛かった。だけどそれ以上に辛かったのは体の方。これまで屋敷でほとんど何もしなかったのもあって、動き過ぎた体が悲鳴を上げていた。


 一日が目まぐるしく過ぎて、夜は何かを考えることもなく、泥のように眠りにつく。


 クリストフ様の残り休暇二日も、身体中が痛みながらも、必死でクリストフ様の指導についていった。初日ほど泣き言を言わなくなった私に、クリストフ様の態度は少しだけ優しくなった気がする。本当に気のせいかもしれないけれど。


 そして、クリストフ様の休暇最終日の夜に、お母様から手紙が届いた。明日実家へ来なさいという内容だった。その話をした途端、クリストフ様の顔が曇る。


「嫁がせたばかりで帰って来い? どれだけ過保護なんだよ……。仕方ない。出勤ついでに屋敷まで送ってやる」

「ありがとうございます」


 過保護だと言うクリストフ様も過保護なのではないだろうか。てっきり一人で行けと言われると思っていた。だけど、次の言葉で理由がわかった。


「どうせ道なんてわからないだろう? うちには専用の馬車なんてないからな。乗り合い馬車で行くぞ」


 そうだった。実家にはお抱えの馬車があり、常に馭者(ぎょしゃ)がいたのだ。私はほとんど出かけなかったからすっかり忘れていた。


 今、私とクリストフ様が住むこの家は、平民たちが住む住宅街の一角にあるそうで、王城からは少し遠い。そして実家であるフリューア男爵邸は貴族街にあるため王城に近い。何故かと言うと、貴族は国に仕えていて、爵位の高さによって国への貢献度が測られるため、より高い方が王城に近くなるのだそうだ。これは先日クリストフ様が教えてくれた。


 この家から私の実家を経由して、クリストフ様は職場である王城へ向かうということらしい。


 そして翌日──。


 ◇


 夜が明ける前に起きて、二人で洗濯を終わらせて朝食をとると出発した。相変わらず体は痛いけれど、お母様に会える嬉しさで、乗り合い馬車の乗り場まで向かう私の足取りは軽い。


「……お前は幸せだな」


 うんざりとしたクリストフ様だけど、様子とは反対に言葉は優しい。私は満面の笑みで頷く。


「すごく幸せです。今日はお母様に頑張ったことを話して、褒めてもらうつもりなんです!」

「……そうか、よかったな。やっぱり皮肉が通じない……」

「クリストフ様もお仕事頑張ってくださいね」

「……ああ」


 どこか疲れたクリストフ様に送られて、男爵邸に到着した。すると、待ち構えていたお母様に出迎えられた。挨拶もそこそこにクリストフ様が仕事へ行くと、お母様と二人で応接室へ向かう。


 席に着いてメイドにお茶の用意を頼んだお母様は、すぐに話を切り出した。


「結婚生活はどうなの?」

「大変ですが、頑張ってます」

「そう。元気そうでよかったわ」


 お母様は顔を綻ばせる。私も釣られて笑顔になった。


「はい。クリストフ様にはいろいろ教わっています。実は少しだけですが、料理もできるようになったんですよ」

「料理って……まさか」


 お母様の顔が青ざめる。別におかしなことは言っていないと思うのだけれど、と首を捻らずにはいられない。そこでメイドが紅茶を運んできてくれた。まだ熱い紅茶を一口飲むと話を続ける。


「包丁やナイフの使い方も、クリストフ様に教えてもらったのでできるようになったんですよ。もう少し上達したら私の手料理、ご馳走様しますね」

「駄目よ!」


 その勢いと声音の鋭さに、私は思わず身震いをした。これまでお母様が感情的になることはなかったような気がする。私が危ないことをしても、悲しそうな顔で止めるだけだった。お母様を呆然と見ていると、お母様は慌てて笑顔を作る。


「ああ、ごめんなさいね。ただ、刃物は危ないから駄目よ。言ったでしょう? クリストフ様にお任せしなさいと」


 いつものお母様に戻った。怒られて強張っていた体から力が抜けて、表情も自然に緩む。


「はい。だからクリストフ様に指示をお任せして、料理をしているんです」


 お母様は怪訝な顔になった。慌てた私は、考える前に口を開く。


「クリストフ様が何もしない者に食べさせる物はないと仰ったので、ちゃんと手伝って食事をいただいているのです」

「……わかったわ」

「わかってくれました?」

「ええ。あなたはそんなことをしなくてもいいの。私は言ったでしょう? クリストフ様に任せなさいって。クリストフ様に、あなたに危ないことをさせなさいとは一言も言ってないわ」

「え……」


 てっきり褒めてもらえると思っていた。場所が変わっても頑張っていて偉いと。そうじゃないと気づいた私の心に黒い気持ちが生まれた。


 結局私は期待されない。


 生まれたばかりの抗うことは無駄なのだという諦めの気持ちが瞬く間に大きくなって、この三日間の頑張りの成果を覆い隠していく。


 だからだろう。ふとクリストフ様の言葉を思い出したのは。


 ──最低限でも知識がないと、生活が破綻するのは目に見えている。俺からすると、お前の母親はお前が嫌いか憎んでいてやっているとしか思えない。


「……お母様は、私が嫌いですか?」


 お母様は目を見開いた。少ししてから「そんなわけ、ないでしょう」と答えるお母様の声は震えていた。


 どうしてお母様がこんな反応をするのかわからない。わからないならわからなくてもいいと、考えることを放棄していたのは私だ。それが今更ながらに正しかったのかわからなくなる。


 クリストフ様の言葉とお母様の言葉。それぞれが交互に私の頭に浮かんでは消える。


 結婚してたった数日でも、私の世界は少しだけだけど広がった。だからなのか、私は初めてお母様の言動に疑問を感じたのだった。

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