第93話 夏風のざわめき
終業式、前期補習……が終わった。
本格的に“夏休み”といえるシーズンが巡ってきた今日この頃……
「そーいえば私、あんたの通知表見てないんだけど」
お母さんとお昼ご飯の冷麦を食べている時、不意にこんなことを言われたもんだから、おもわずガハッと咽た。
「ちょっと、大丈夫?」
「……ん、大丈夫」
海宮高校の通知表は、普通に5段階評価で表されたもの+定期テストや模試の結果(いわゆる順番)も明記されている。
……言っちゃ何だが、3年生になって成績が落ちた。順番に関しても、5段階評価に関しても。
だから終業式が終わってから通知表は葬っていたんだけど……
「2学期の頭に三者面談もあるんでしょ?成績を把握しておいた方がいいから見せて」
「……はいはい」
日々難事件に果敢に取り組んでいて、7月下旬にはほとんど家に帰らなかったお母さん。
通知表に気づく瞬間が、事件がほぼ片付いた状態でよかったな……と思う。
だって、忙しい時にこの通知表なんか見せたら……
「……沙彩。あんた、成績落ちたわね」
「……あ、あはは……」
……ああもう、史記とかに出てくる表現使ったら、『頭髪上指シ目眦尽ク裂ク(ようするにメッチャ怒っている)』だよ……
仕事に支障が出たに違いないよ。
「4が古典と英語だけってどういうことよ。数学や理科科目にいたっては2とかあるじゃない。それにテストや模試の順番だってそうよ。100番台が4つもあるじゃない。あと模試の平均点が40点すら越えてないって……」
お母さんは、普段クールな分、成績に関してはズケズケ言う。
あああ……思い出したくなかったのに……
「ハッキリ言って、これじゃあ瀬名大島大の法学部なんてムリよ。今度の模試では絶対20番以内……いや、せめて30番以内には入りなさい。命令よ」
「……はい」
お母さんはテーブルに肘をつき、頭を手で支え、溜息をついて……「涼太郎さんになんて言えばいいかしら……」なんてぼやく。
不穏な空気漂う居間……兄弟(特に弟)がいたら、アホなことか何かしてこの空気を打開させてくれるだろうけど……そんな存在など、この杉浦家にはいない。
「……なんて言っても、いきなり勉強法を変えるなんて沙彩には難しいわよね……事件を起こした被告だって、ずっとじっとしたままじゃあ更生なんてしないわ……」
……犯人と娘を一緒にしないでくださらないかな……なんて思ってると、とんでもないことをお母さんは言った。
「後期補習が始まるまでの2週間、寺小屋に通いなさい。勉強合宿にも参加させてあげるから」
寺小屋……それは、某塾。
江戸時代あたりに、学校の代わりに開かれたのが起源……とも言われる。
「……で、入塾したんだ?」
「そう。明後日から毎日塾生活だよ……先が暗い……」
「大変っすねー、3年生って」
「あ、コレ絶対3番じゃね?」
今日は、入塾前の貴重な息抜き……蒼井家で、Wooをやっていた。
内容は、5人でやる“Woo Party”
その中でも、個人的クイズとやらで盛り上がりながら塾の話を持ち出した。
「てかさ、みなさん成績ってどんくらい?」
「成績っすか?断トツトップはもちろん大翔で……2位が俺、3位がカイジで4位がシゲオですかね」
「中学からみんな同じ順番なんすよ」
「へぇ……そーなんだ……」
つまり、2年のトップ4はこの4人が独占……ゆえにみなさん頭がいいってことか。
成績落ちて入塾せざるをえない私の気持ちなんて分からないだろーなぁ……
いくらかゲームをやってその結果、1位がユウヤ君、2位がカイジ君。3位がシゲオ君、4位が私で5位が蒼井君という結果になった。
もちろん、罰ゲームもあらかじめ決めてあった。
4位と5位の人は……
「えーっと、飲みもんはオッケー。次は菓子かな」
「やっぱ男の子はスナック菓子派だよねー」
……“コンビニ自腹でおやつを買ってくる”これが罰ゲームだ。
まぁ、ハバネロ5本食いとか尻文字とか、精神的肉体的にキツい罰ゲームじゃないだけよかった。うん。
しかし、蒼井家は周りにコンビニがあるような街中にはないから……コンビニに行くまで、結構疲れる。
「にしても、蒼井君が最下位ってなんかすごいね」
「……ゲームとかやったことないんだよ……アイツら、意外とゲーマーだし」
「ん?負け惜しみですか?大翔くん」
「…………」
にんまり笑うと、何も言わずにそっぽ向く蒼井君。
なんていうか……かわいいなぁ。
「……そのジャガイモみたいなやつ(ポテチ)買ったら行こ。なんかここ、おでんくさいし」
「あ、妖怪えびせんも食べたい」
「んじゃ、それもどーぞ」
結局、半分はお金出そうと思ったけど……「いいから」と言って、全て蒼井君持ちになってしまった。
レジ袋2袋分のおやつを、2人で分けて持つ。
「なんか、ただの付き添いみたいになっちゃったなー私」
「別にいーじゃん?」
蒼井君がそう言いながら私と並んで歩く。
そんな……当たり前の光景。
ずっと昔……たとえば、中学生の頃とかだったら、きっと予想さえしなかっただろうな。
「……そういえば蒼井君、記憶はまだ戻ってないの?」
「ああ、うん。まだ完璧には……俺がどういうことしてきたのかさえすら」
もちろんあいつらのことも、と彼は付け加える。
「あいつらには、ずっと俺を加えた4人で時を過ごしてきた記憶があるだろうけどさ……俺にとっちゃ、まだ知り合って1年ぐらいの3人、なんだよな」
「……そっか」
「でも、なんでだろうな……」
そう言うと、蒼井君は立ち止まって私を見る。
「沙彩のことは、ずっと前から好きだった気がするんだ」
そう言って、彼はやわらかくほほえむ。
……傍に立ってるいくつもの樹木についている青葉が、ザザァっと揺れた。
「……だったら、嬉しいな」
袋を持ってない方の手で火照る頬を押さえて、私も笑った。
「……なんか、今の口説き文句みたいだった?」
「うん、まぁ、ちょっと思ったけど」
蒼井君は、頬にあててる私の手をとる。
そのまま指を絡め合わせて手をつないだ。
当たり前に、隣を並んで歩ける。
当たり前に、手をつなぐ。
当たり前に、想いを伝え合う……
ずっとずっと、何年先もいつもそうだったらいいな……
―――なんて願う私は、夢の見すぎだったのかな。
家に着くと、自然とその手は解かれた。
「ただいまー。条件通り3000円分買ってきたぞー」
「お、おうっ!おかえり!大翔、先輩!」
「い、意外と早かったなー!」
……なぜか、しどろもどろな3人。
……変なの。
「蒼井君、ちょっとお手洗い貸してもらっていいかな?」
「ん、どーぞ」
きっと、バレちゃまずいことでもしてたんだろうな。
特に気にも留めず、レジ袋を托して私はお手洗いに行った。
―――……
「何してたんだ?3人でそんな1箇所に固まって」
「い、いや~、別にー?」
2つの袋をテーブルに置きながら聞くと……ユウヤが珍しく動揺しながら答える。
シゲオもカイジも、明らかに目を泳がせていた。
変な空気が20秒ぐらい流れた後……3人で固まって、何か内緒話をはじめた。
意を決したように俺を見たのは……カイジだった。
「大翔、お前…………―――高校卒業したら、留学すんの?」