第90話 ひと夏めぐり1
季節は、とぶように過ぎていった。
(なぜか)お父さんが参加した学期始めの三者面談。
ファンタジーな世界に迷い込んだみたいだった遠足。(あの後ちゃんとおはらいしてもらいました)
あわや袋叩きになりそうだったクラスマッチ。結局他のキー大学にいたGメンの捜索。
男十数人対2人で戦った河川敷。そして、その後は事情徴収とかいろいろ……
「ハデな1学期だったなぁ……」
ハデ……ドハデ……いや、現世離れしたような1学期だった。
「そだね。俺、あんなにドラマみたいな経験した1学期ってないし……たぶん、日本中探しても俺らぐらいじゃない?」
そんな、ドラマみたいな経験は、必ず蒼井君も一緒だった。
そういえば、蒼井君家に行ったこともあったよな……パリス・ボルドレンの第2作見たっけ一緒に。
んで、その後……
「……」
「あれ?どーしたの沙彩先輩。顔赤いけど?」
頬にあたる手の感触で、我に返った。
「あ、いや、えっと、なんでもない!ほら、今夏だし気温も高いじゃん?それに私、極度の暑がりだし!」
「ここ、電車の中だけど……」
蒼井君と、目が合う。
“「今すぐにでもキスしたい……みたいな。もちろん、それ以上も」”
……その時のセリフが、頭の中を過ぎる。
って、何思い出してんだ私は!!!変態か!
パッと目をそらして、広告を見た。
「あ、海宮花火……今週の土曜日にあるんだね」
「花火?もうそんな季節か……」
なんか早いね、と彼は呟く。
去年は、蒼井君と夏姫、たっくんと一緒に行って、咲良ちゃんに「大翔と関わらないで」みたいなことを言われ……桃花とユースケにも会ったっけ。
あの時とは、もう全然違うんだな。
ただ、蒼井君と付き合い始めた、ってだけだけど、随分と変わっているように思える。
きっと……私の中で、蒼井君の存在が大きいせいかな。
「土曜日か……沙彩先輩、午後練終わったら一緒に行かない?」
「え?ほんとに?私から誘おーと思ったんだけど……」
「去年は東郷先輩に巻き込まれた形で行ったからね。今年は2人で行こ」
ニコッとする蒼井君。
クールそうな顔立ちと言葉が妙に合ってなくて、笑ったせいで目元がフニャってなって……でも、そこがまたかわいかった。
「まぁ、去年も夏姫とたっくんが蒸発してほぼ2人でまわったも同然だったけどね……」
「あ、そっか。屋台のおじいさんの話長々と聞いたっけ……」
「んで、りんごあめ屋さんで私がどれ買うか迷ってると……蒼井君、全種類買っちゃうんだもん。ビックリしたよ」
りんご、ぶどう、いちご……その3つが入った袋が少しずっしりしていたのを、今でも思い出せる。
「だって好きな人には喜んでほしーじゃん」
「……」
……なんて、さらって言っちゃうから……途端に、ドキドキした。
「……ちょ、なんかつっこんでよ先輩!」
いたずらが成功した子どもみたいな声で笑うから、つられてフフッと笑ってしまった。
……こんなんじゃ、いつまで経っても付き合いたてのカップルみたいだな。
ちょっとしたセリフにも、すぐ反応して照れてしまう。
『まもなく東野、東野に着きます。お降りのお客様は……』
「あ、もう着くね。降りよ」
「ん、そだね」
でも……それで、いい。
これが、私たちのペース……みたいな感じがするから。
いろんなことがあった1学期。それを乗り越えたからこそ、平和に笑い合えていることがいちばん幸せなことなんだって思うんだ。
「てか、蒼井君って去年のこの時期から私のこと好きだったの?」
「うん、そだよ。隠しに隠しまくったつもりだから、全然バレなかったっしょ?そっちは?」
「私はね……」
―――……
……着方、たぶんこれでいいんだよね。うん、よし。
髪を高い位置で束ね、準備完了。
「お母さん、お祭り行ってくんね。9時ぐらいには帰るから」
「ああ、うん。行ってらっさい。お祭りねー……そういえば、涼太郎(父)の部屋掃除してたら甚平が1着消えてたんだけど、あんたどこにあるか知ら……」
オフだから、ゴロゴロしながらテレビを見ているお母さんは、せんべい片手に私の方を振り向く。
(珍しい“日本のお母さんスタイル”は、違和感を感じるとともに「検察庁の紅一点」といういかにもマドンナみたいな通称がにわかに信じがたくなる)
下駄を履いている私の姿を見て……お母さんはせんべいを落とした。(玄関のすぐ傍がリビングになっている)
「あんた、お祭りって……友だちと行くの?」
「いや、蒼井君とだけど……」
そう言うと、お母さんは素早く立ち上がり「待ってなさい」と言った。
20秒後、部屋から帰ってきて……
「3分で着付け、5分でヘアスタイル、10分でメイクしたげるから。しめて18分……5時発の特急電車には間に合うでしょ?」
「え、ちょ……」
「ほら早く!黒ゴムのポニーテールも速攻外して甚平も部屋で脱いでこれ着なさい!!!」
と言われ、渡されたのは……浴衣の下に着る白装束みたいな白いの。(肌襦袢のこと)
「でも、浴衣とか似合わ……」
「ハリーッ!!!」
「は、はいっ!」
お母さんが英語を使うっていうことは、結構ヤバいってこと……
ハリー(Hurry)は英語で急げ、ってことだし。
お母さんに言われるまま、白いのに着替え始めた。
―――……
「遅いなぁ蒼井君……」
海宮駅。ホームを出てエントランス状になっているところで、午後練がある蒼井君と待ち合わせをすることになっているけど……10分経っても来ない。
まさかすっぽかして……!?いや、彼に限ってそんなことはない。
もしかしたら、逆ナンされてるのかも……!!って、そんな心配する彼女ってどーよっ!
1人で悶々と考えていると……
「……わっ!!!」
「ひゃっ!!」
耳元で大声を出されて、思わず飛びのいた。
「あ、あああ、蒼井君かぁ……びっくりしたぁ!」
「ごめんごめん。だって何か考えてるっぽくて全然気づかなかったからさ」
部指定の紺色のジャージの袖を無造作にまくって、いたずらっぽくほほえむ。
部活で汗かいたのか、それか暑くて水をかぶったのか、髪は若干濡れていて……なんだか大人っぽい。
「待たせてごめんね。行こ」
「……ん」
拗ねと照れから短くそう返事して、祭り会場へと向かった。