第89話 Gメンの戦い
人通りのない河川敷……時たま吹く風が、異様に冷たい。
ハタから見たら、若い男女の修羅場か何かに見えるだろう。でも実際は違う。
……いる。
他にも、あちらこちらに……人の気配。
きっと、時を見計らって俺を袋叩きにするか殺すかするつもりだろう。
そして恐らく……俺に強力なバックがいることには気づいていないだろう。
「ちっこい女とまぁまぁ顔はいい男……その2人を引き連れて、2時間も見張ってたでしょう?」
「……ああ。1人になった時、あんたが沙彩にしたように睡眠薬か何か飲ませて眠らせて、警察に届けにいこうと思ってたんだよ」
「そのくらいすぐに見抜いたわ。フフッ……綺麗な顔して物凄いこと考えるのね」
やっぱり予想通りだ。
「それにしても、“口調”が前に戻ったみたい。やっと思い出したのね、私たちが付き合ってたときのこと」
何も言わず、笑みだけ浮かべた。
ほんとは、何ひとつ思い出してはいない。
この最低な女と付き合ってた頃のことはもちろん、以前どんな人間だったかさえ。
でも、大体想定できる……きっと俺は、相当女癖悪い遊び人だったんだろう。
以前の俺のままで、もし万が一の確率で沙彩先輩と出会って付き合ったら……付き合った途端呼び捨てにするだろう。もしかしたら、1週間もしないうちに恋人が辿る道を全て通るかもしれない。
でも実際は……罪悪感が邪魔をして、ずっと進めないままなんだ。
「……俺があんたを眠らせる前に、ひとつだけ聞きたいんだけど」
「なーに?ひとつだけなら答えてあげるわ。フフッ」
口元に手をあてながら笑う斉藤の腕と胸倉を同時に掴んだ。
「なんで沙彩に手ぇ出した?」
ありったけの憎しみと非難の目を向ける。
「あら……結構怖い目じゃない」
斉藤はニヤリと笑って、胸倉を掴んでいた手を振りほどく。
「沙彩はね……私から見ても、すっごくいい子。多少キツいところもあるでしょうけど、正義感や責任感や気配りもちゃんとできて……自慢の後輩だったわ。大好きだった……いいえ、今でも大好きよ」
でもね……と、斉藤は続ける。
「あんたと沙彩が付き合い始めた、っていう情報が入ってきたの。その途端……あの日の事件にむけての計画を始めたわ」
あの日の事件……沙彩先輩が薬で眠らされて、あわや大怪我を負いそうだったこと。
「私の中に、ある“ポリシー”があるのよ。西院咲良や神藤舞、絢音沢るり子……その他もろもろに制裁をくだしたのと同じように。何だか分かる?」
俺は黙ったまま、次の言葉を待つ。
「きっと、あんたは「俺に近づく女を徹底的に排除して、残った斉藤に気を向かせるためだろ」とか思っているでしょうけど……違うわ」
もちろん、そんなこと思っていない。思っていたとしたら、第一あんな質問投げかけないのに。
斉藤は1歩、俺に詰め寄った。
「あなた、私をどんなフり方したか覚えてる?あれで、私が積み上げてきたプライドは一気にガタ落ちしたわ……そう。全部、あなたへの復讐よ」
「……俺への?」
「ええ。あなたが大切にする人を次々と排除して、どんどん廃っていく姿を見たかったのよ……―――それなのに」
斉藤は、俺の胸倉を掴む。
そして……この世でいちばん憎いものを睨むように俺の目を見た。
「あなたは何ひとつ傷ついた顔すらしなかった!とっとと自分の彼女が傷ついたら他の女に乗り換えて、何食わぬ顔でまた乗り換えて……だから気づいたのよ!あんた自身を傷つければいいってことにね!!」
「っ……」
結構力が強い……気道がふさがれそうだ。
「やっと復讐劇が終わるわ……!あんたたち、やっちゃいなさい!」
斉藤は目をカッと見開く。瞳孔が開いていて……まるで、殺人鬼のような笑みさえも浮かべている。
……最早、予想の範疇を超えた……凶悪犯。
今、俺はその犯人の被害者のはずなのに……なんで、傍観者的なことを考えているんだろう。
「うっ……」
いきなり斉藤が小さな呻き声をあげる。
顎にあった手は外れ……斉藤の体はアスファルトに倒れこんだ。
「背中は任せてね、蒼井君」
「沙彩先輩……!?」
素早く俺の後ろに回り込んできた……沙彩先輩。
気づくと、幾人もの男が俺らを囲んでいるのが見えた。
……ざっと見て、20人ぐらい。
こんなに大勢の男が囲んできた、って気づかなかったことは……ちっとも、傍観者的でも冷静でもなかったってことか。
「……ボスから習った防衛術、ちゃんとやってね。先攻しすぎると、傷害の罪で逆に逮捕されちゃうから」
「……ああ。分かってる」
小声で確認をとる。
次の瞬間、男が一斉に襲い掛かってきた。
……本当、品性的な意味でヤバい戦いだった。
鳩尾蹴ったり殴ったり、殴ってきたヤツの顎を蹴り上げたり、それでもなお、相手は全然へこたれない……沙彩先輩に至っては、頭を回し蹴りしていた。
そんな戦いをすること、数10分……
「そこまでにしなさい。菅原綾子……いえ、斉藤美希」
「んだよババァ!コイツらぶっ殺さねーと意味ねーんだよ!!」
駆けつけてきたボスが斉藤を羽交い絞めにし、落ち着いた声で諭すように言う。
他の男たちも、全身青色の服で包まれた男たちに捕らえられた。
「ババァじゃないわよ私は……県警捜査一課の杉浦綾華。あなたを過去数回の傷害の容疑で現行犯逮捕します」
ボス……沙彩先輩のお母さんは、羽交い絞めしているにも関わらず警察手帳を斉藤に見せる。
斉藤の顔は、一気に青ざめて……
「……っ!?逮捕だと!?ふざけんなっ!!離せよ!!私はただ復讐しただけなんだよ!!」
別人のように暴れ狂う斉藤の手首に手錠がかけられた。
「こんなの冤罪だ!最高裁判所に上告してやるっっ!!!テメェら全員クビだぁっ!!―――」
静に流れる河川の水音が、はるか遠くに感じるほど……斉藤やその他の男たちの喚き声が黒い黒い夜空に響き渡る。
……いろいろあって、ゴチャゴチャしている。でも、以前よりかはまとまってきた気がする……
ただひとつ、確かなのは……
「やっと……終わった……」
隣にいた沙彩先輩がそう呟いて、その場に座り込んだ。
「昔っから、疲れたりショックなことがあったら引きこもったり寝込む子なのよ」
ボス……もとい、彩華さんの自家用車に乗り込み、東野市へ向かう。
運転手は無論彩華さん、後部座席に戦いで負った傷の手当てを受けた俺と沙彩先輩が座っている。
沙彩先輩は座り込んだ直後に寝息を立て始めた。
ちなみに小原先輩と東郷先輩は2人で電車で帰っていった。河野先輩は急用ができたらしく、数時間前に帰ったという。
「幼稚園の頃、友だちとおやつの取り合いになってケンカして……2週間も登園拒否になったこともあるわ。小学校のときは、マラソン大会で張り切っちゃったらしくて、その後の授業は仮病使って早退してから何時間も不貞寝して……次の日の朝の食事量が凄いのなんの」
「ちょ……いいんですか?そんなにいろいろ喋っちゃって……」
「いーのよいーのよ。要するに、気持ちとか体調とか調節するのが苦手なのよ。見た目とは少しギャップがあるでしょ?」
「はい……少し。でも、人は誰でも意外な一面は持っているものですよ」
……そういう意外な一面を知るたびに、好きになっていったんだ。
「ふふ。そうね。でも、恋愛事でそんな風になった沙彩を見たのは去年が初めてよ……」
「恋愛事?」
「ちょうど秋ぐらいだったかしら……好きな人がいるけど、その人には彼女がいて……んで、告白してきた男の子と付き合い始めた。普通なら、好きな人はとりあえず棚にあげて彼氏ができたことに浮かれてもいいはずなんだけど……その子ったら、目は充血してて少し腫れてたの。その後部屋に引きこもって……夕飯も食べずに、翌朝もちょっとしか朝食を食べなくって……そんな状態で、1週間引きこもったわ」
去年の秋……ああ、想いを伝えられない自分に嫌気が差して……いろいろと構ってくる西院さんと付き合い始めた頃だったっけ。
俺がそんな荒んでいた頃……沙彩先輩は、俺同様に荒んでいる人に想いを寄せていたのかな。
「その好きな人をよっぽど好きだったんだなーって思ったわ。きっと、あなたのことね」
「え……俺?」
「ええ。だって、最近の沙彩……私から見てもすっごく明るいの。あまり顔には出てないけどね。だから、私からは沙彩を幸せにして……とは言わないわ。十分幸せそうだしね。けどね……あまり、沙彩の気持ちを揺さぶらないようにしてちょうだいね」
精一杯の……彼女の母親からの、忠告。
「はい。約束します」
それは……絶対に、この人に、そしてこの人の家族に辛い思いをさせないという確固たる信念になった。
「……おかーさん……あんまベラベラ喋んないで……」
「あら、ごめんなさいね。久しぶりに若い男の子と喋る機会ができたからお喋りになっちゃったわ」
「…………ふふっ……立派なおばちゃんだね……」
そっと沙彩先輩の方を向くと……彼女は、眠ったまま。
ってことは、寝言?
「さ、もうすぐ着くわよ。その子なかなか起きないから、落とさないようにしっかり運んでね」
……寝てる、って分かってて会話してたのか。
この2人……心で通じ合ってるんだな。
そう思うと、なんだか心が温かくなった。
俺は彩華さんに「了解」と言うと、沙彩先輩の小さい手を軽く握った。