第83話 クラスマッチ2
「スポーツマンシップに、の、のっとっとり……」
1週間後。クラスマッチが開催された。
「せいせいせい、どうどうどうと、しょ、勝負することを誓いまふ!」
上がり性のくせに、体育委員長をやっている織田。
全く、選手宣誓ぐらい間違えずにちゃんと言おうよ……みんな腹抱えて笑っているよ……
「ハー!おもしろかったぁ!織田君の選手宣誓!」
体育館への移動中、夏姫はまだ笑いながら言った。
「おもしろい通り越して情けないよ全く……」
私のクラスの試合は、初っ端第一試合。
組み合わせ表を見ると……相手はC組。理系の進学クラス。昨日のくじ引きで決まったらしい。
「ガリ勉クラスじゃん!余裕余裕!」
河野さんが余裕そうな口振りで言う。
……まぁ、実際にC組の8割がメガネ。大体C組の教室の前を通ると、勉強しているか先生に問題の解き方を個別質問しに行っている。
思った通り、私たちA組が勝利を収めた。
試合中、何度も客席を見てみたんだけど……蒼井君の姿はなかった。
まぁ仕方ないか。試合がかぶってたのかもだし、学級委員だから呼び出されたりしたのかもしれないし……
ああかもしれない、こうかもしれない……と考えていた時、ケータイのバイブが鳴った。
体操服のズボンのポケットは結構深いから、ケータイを入れてても試合中に落ちたりはしない。
ベンチに座り、ケータイを開く。
「え……!?」
音声着信、蒼井大翔。
そうディスプレイに映し出されている。
急いでボタンを押した。
「もしもし!?」
『沙彩先輩、左斜め前見てみて』
そう言われ、その方向を見てみる。
……いた!
ボタンを押してケータイを閉じ、ベンチから勢いよく立ち上がった。
「蒼井君、そこにいたんだ!全然気づかなかった!」
「だって客席、ほとんど生徒で埋め尽くされてたし……」
蒼井君が居る場所は、以前私が蒼井君と小城の1on1をこっそり覗いていた場所。
柵があり、窓があり……もしボールで窓を割ったとしても、柵のおかげで外の生徒に危害を与えない仕組みになっている。
「しかも、こっち側のゴールはC組じゃん?ほとんど人が来ないし、来たとしても沙彩先輩、ずっとA組のゴールのところの守備してるじゃん」
「あ、だから気づかなかったのかー」
コンクリートの階段状になっているところに座り、持ってきたスポーツドリンクを飲む。
蒼井君も隣に座った。
「でも凄かったなー。あの超高速ドリブルから、他の追随を許さぬゴール……みたいな。ジャンプ力もズバ抜けてて、ほんと、東野中学校の女ひょ……」
「そのあだ名はやめてー」
軽く笑いながら、その続きを制した。
「でも……高校でもバスケすればよかったな」
「どして?」
「それだったら、蒼井君とこの日だけじゃなくて、いつもこんな風に喋れるんだもん」
お互い体操服で、ほとんど誰も通らない場所で、こんな風に喋れる時間……
普段ないだけ、すごくすごく特別な時間に感じる。
そして、その特別な時間がいつもいつもあればいいな……って、そう思った。
「蒼井君と同級生だったら、今の時期に入部してもレギュラー狙えたかも。今入っても遅いじゃん?スタメンはほぼ確定的だし」
「そうかもね……」
何か言いたげな沈黙が来る。
私も、蒼井君も。
……どこからか、バイブ音みたいなのが聞こえてきた。
「ちょっとごめん」
蒼井君のケータイらしい。
「はい。……ああ、うん。分かった」
ほんの4語で切られた電話。
内容は、クラスマッチの組合せのくじ引きらしい。
「あれ?体育委員がくじ引くんじゃないの?」
「体育委員、季節外れのインフルにかかってて今日休みなんだ。だから第2責任者の学級委員がくじ引くわけ」
「ふーん。大変だねー学級委員」
「いや、こういう時ぐらいしか仕事ないって。……にしても喉渇いたなー。それ少しちょーだい」
「あ、うん。いいよ」
手に持っていたペットボトルを渡す。
慣れたような仕草でキャップを開け、1口飲んだ後キャップを閉めて私の手の中に返した。
「んじゃ、決勝トーナメント頑張って」
「……ん。頑張る」
走っていく彼に、小さく手を振った。
行かないでほしい……そんな、言えない本音がふと浮かんだのは何故だろう。
見送ってく私の耳に、『2年男子体育委員は会議室に集まってください』というアナウンスがかすかに入ってきた。
体育館に再び戻ると、女子体育委員のカナコが私を見つけて言った。
「さーや!決勝トーナメントの組み合わせ、くじ引きした結果シードになったから!A組の子に会ったら伝えとってねーっ!」
「あ、うん。分かった」
いつも元気のいいカナコは、私の返事を聞かないでとっとと走って行った。
シードか。あと1回勝てば優勝じゃん。
「でも、そう上手くいかないもんなんだよなぁ……」
そう思いながら、ドリンクを飲もうとキャップを開ける。
口につけようと思った瞬間……数分前、これに蒼井君が口をつけたことを思い出した。
「……ここで私が飲んだら……」
間接キス、になってしまう。
いや、蒼井君がさっき飲んだ時点で間接キスしたのかもしんないけど……
途端に、脳が意味もなく慌てだした。
いやいやいや、今まで何回も回し飲みとかしたことあるじゃん!蒼井君も、そんなのあんまり気にしない方の人かもしんないし……
そう思ってるうちに……
「さーや、それ、新発売のやつじゃん!ちょっと飲ませてー」
ひょいっと現れた夏姫が、ひょいっとペットボトルを取り、あっさりとそれを飲んでしまった。
「あれ?飲んじゃヤバかった?」
夏姫が不安げな顔をしたところで、初めて自分が唖然としていたことを認識した。
「あ、いやいや!全然!アハハハハ」
「ん?なんかさーや変だよー?シードがそんなに嬉しいのー?」
……結論。あんなに色々考えたのに、あっさりとしてやられると、途端に自分がアホみたいに思えてくる……
『3年生バスケ女子の決勝を10分後に体育館1階で行います。選手は速やかにコートに集まってください』
別の競技を応援していた途中で放送が入り、メンバーを連れて体育館へ入った。
相手はF組。就職クラス。
勉強をあまり強いられないせいか、運動部に所属している人たちが多く、陸上部だったり、武道系の部活だったり……足の速さもパワーもハンパない。
「んじゃ、頑張りましょーっ!!!」
「オーッ!」
カナコの威勢のいい声で、みんなの気持ちが引き締まる。
彼女にとっては、相手はどうでもいいらしい。そんな雰囲気が、緊張感を少し和らげた。
試合は5分区切りの3セット。5人制。
文系は女子が多いから、実際のメンバーは7人。その中で、スタメンは……
「スタメンは、ハルカ、夏姫、ホノカ、マリア、私。さーやとミホは2セット目から点差を開くかドンドン点稼いでいく方向で出てもらうのでいい?」
7人全員で肩を組み、内緒話をしているようにスタメンをカナコが言う。
ミホは、私と同じ中学出身で同じバスケ部だった女の子。でも何故か、私とはなかなか馬が合わない。
「オッケ。でもなるべく点は取ってきてね」
「あたりまえっしょ!」
夏姫が少々大きな声でそう言った時、試合開始の笛が鳴った。スタメンは急いでコートに行き、所定の位置につく。
ジャンプボールは夏姫。相手は相当背が高いけど……夏姫ななんせ、バレー部。しかもスパイクを武器にしている、まさにちっさな巨人。
ボールも、予想通り夏姫がとった。
そのままドリブルで、ゴールの下へ……っと、そこでボールが相手チームに渡る。
「あちゃー。入っちゃったか……」
F組が先制点2点を取る。
次は、A組が取って、その次はF組……点差の一進一退は、どんどん続く。
笛が鳴り、始めの5分間はあっという間に終わった。
A組10点、F組16点……
「ごめんさーや……頑張ったんだけど……」
夏姫が、顎にまで滴る汗を拭いながら言った。声のトーンが、いつになく低い。
「大丈夫大丈夫!あと2セットもあるんだから」
背中を軽くたたきながら、励ました。
1分間の作戦タイム。そしてすぐ2セット目。
元々、誰がどこのポジション、相手チームの誰をマークするかは全然決めていなかったから、カナコがメンバーを決めるだけで1分が過ぎた。
手首と足首をブラブラさせながら、観客の方を見る。
A組の、試合がないサッカー、バレーの男子女子……(負けたか、たまたま空いているかは分からない)
その3年生集団のすぐ後ろに、蒼井君がいた。隣には、カイジ君やユウヤ君もいる。
蒼井君は、拳を握り、私に見せて微笑む。私も、それに返す。緊張が、ほんの少し解れた。
第2セット目。ジャンプボールは私。
そしてF組は……
「さーやじゃんっ!」
「も、桃花!?なんで!?」
「ジャンケンで負けたー。手加減してねー?」
「いやいや……本気で飛ぶよ、私」
なんと桃花。
約5秒のくだらない会話をした後、笛が鳴る。
ボールを、横に居る夏姫に送った。
素早く、私にボールが渡り……恐らく私を元バスケ部だと知っている人たちが纏ってくる。
フェイントをかけ、カナコに渡す。ゴール下3メートル前ぐらいに来た時、ボールが来た。
大股で2歩進み、そのままジャンプしてシュート。笛が鳴り、2点加算された。
「さーやナイス!」
「さすが女豹!」
「……女豹ゆーな」
誰かが言った言葉に、苦笑いしながらそう返した。
それから、A組の快進撃は続く。
12対16、14対16。14対18、16対18……いよいよ、18対18の同点になった。
ボールを受け、ドリブルしながらディフェンスを押し切り、ゴール下へ。
シュートをうつ体勢になったところで、背のやたらデカい女子(おそらく180センチ)が私の視界を阻んでくる。
相手チームは、その女子がボールを取ってくれるだろうと油断している。それを象徴するかのように、ゴール下の他のゾーンはガラ空き……ってなることは、予想がついていた。
1回目のシュートをうつ体勢は、もちろん演技。それから、パッとその場から離れて、デカい女子が「えっ」ともらした声を背に受けドリブルしながら他のシュートゾーンへ。阻むものはもう何もない。
しっかり狙い、シュートをうった。
歓声が、一気に大きくなった。
そして、5分終了の笛が鳴る。
「よっしゃ」
小さく拳を握り、コートを一旦離れた。
『2年男子体育委員は、至急会議室に集まってください』
そんなアナウンスが、耳をかする。
スポーツドリンクを飲みながら、蒼井君がいた場所に目を向ける。
「……もういない」
例のケータイをつかったアナウンスよりも早い召集がかかったのか……
3セット目に入る前に1回、顔見ておきたかったな。
それと……
「もう飲みきっちゃった……」
スポーツドリンクは、カラ。
どうしよう……まだ喉は渇いてる。けど買いに行く時間はない。あと30秒ぐらいしかない。
そう思っていたとき……
「さーや、これいる?」
目の前に、ペットボトルが現れた。ピカリスウェットのペットボトル。
「あ、うん、いる。ありがと……って……」
いるはずのない人が、ペットボトルを私に手渡しながら微笑む。
「斉藤先輩!?え、なんで、その服……」
「ああ、これ?この体操服、今の部屋着なの。さーやの試合見たくって、ちょっと不法侵入しちゃった」
「えー、大丈夫なんですかー?」
ピカリスウェットを一口二口……いや、四口ぐらいいただい、お礼を言いながら先輩の手に戻した。
「大丈夫よー。私、結構童顔だしね?」
作戦タイムの終了を知らせる笛が鳴る。
「それじゃ、試合頑張ってね!」
「あ、はい!」
威勢良く返事すると、コートに入った。
……なんか、おかしい。緊張しているせいか……うまく、体が動かない。足が、若干竦む。
「さーや、パスパス!」
ハルカが手を大きく振る。
5メートルぐらいドリブルして、ハルカにボールを回す。
そのパスを受け、ハルカがシュート。4点差に持ち込んだ。
「ナイスパスさーや!」
「あ、うん」
ハルカとハイタッチを交わし、また相手ボールから始まる。
パスカットをして、さらにマリアにパスをした。
頭の中が、なんだかぐるぐる回る……瞼が、異様に重たい。
「杉浦」
ミホが、私の肩に手を置いた。
辛うじて、正気に戻る。
「なんか顔色悪いよ。ホノカと交代して休んどきな。あとは、私が何とかする」
「ん。そーする……」
少し男っぽい素っ気無い口調。その中に、最大の気遣いが入っていると……この時、思った。
体育館を出て、数時間前蒼井君と2人で喋ったところに腰掛ける。
「何これ……」
朦朧とする意識。霞む視界。重たい瞼。
まるで、電車の中で眠りに落ちる瞬間のよう……おかしいなぁ。疲れてるのかな、最近。試合中に眠たくなるなんて、今まで一度もなかったのに……
柱にもたれかかる。
試合は大丈夫。ちゃんとミホがリードしてくれているはず。
そう思うと、なんだか安心して……意識の流れに身を任せた。
意識を失う前、一瞬だけ……細い脚が見えた。
「ごめんね。本当はこんなこと、あなたみたいな素晴らしい人にしたくないんだけど……」
―――誰の声?
「……素晴らしい分、なんだかイライラするの」
―――何に?
「だから二度と……あの人に、会えない姿にしてあげる」
―――どういうこと?どんな姿?あの人って、誰?
意識は、聞きたいことを放ったまま、途絶えた。