第72話 遠足1-トラウマの原因-
今日は、いよいよ遠足。
各班ごとにグラウンドに集合した。
「おーっし!点呼取るぞぉ!!!名前呼ばれたら返事しろよな!」
夏姫とのいざこざが解決したせいか……いつもより数倍テンションの高いたっくんの声が辺りに響く。
周りの班も若干ビクついてる……
「たっくん、ちょっと声大きいんじゃ……」
「杉浦沙彩!」
「はーい……って、聞いてないね……」
まぁ、いい事……だよね。
「蒼井大翔!遠藤崎右京!水野章介!築島陽香!」
それぞれが返事をしていく。
が……
「キョンいなくない?蒼井君見なかった?」
「そういえば……HRの時いなかったような。遅刻じゃない?」
キョンが遅刻?
中学の時、絶対部活の時間に遅刻なんてしなかったキョンが……?
疑問に思っていた時……
「あっ!校門に……っ!」
陽香が、校門の方を指差して大きく目を見開いた。
そこには……維持費が相当高いクラシックカーがとまっていた……
黒い服を着た執事さんらしき人が、車のドアを開ける。
誰もが、遠足だというのにピンクのフリフリのドレスを着た超お嬢様が車の中から出てくるだろうと予想しただろう。(ちなみに遠足は、場所が各班違うのでTPOをわきまえた服装にするように、という先生の指示のもとで私服)
でも、中から出てきたのは……
「沙彩ちゃん!みんな!遅れてごめんねーっ!」
……「今回の遠足、移動費を全部払ってあげる!」と公言したキョンでした。
とりあえず、まずは電車で海宮テーマパークへ。
「そういえば、結構前から気になってたんだけど……」
蒼井君は、私を見てそう言った。
「ん?何?」
「なんで最初、杉浦先輩、その1年生の女子……誰だっけ……?」
「陽香ね。築島陽香」
「そう、それだ。築島さんにあんなに怖がられてたの?」
どうやら、この人は人の名前を覚えるのが苦手らしい。
「んー……私が中学の時、かなーり厳しかったらしいのよ。傍から見たら」
「そうそう!沙彩ちゃん、他校の子からは“東野中の女豹”って呼ばれてたんだよ!元々、女豹って男をモノにする、いわゆる肉食系女子って意味だけど、沙彩ちゃんの場合は足は速いし怒ったら怖いし睨みは凄いし、まさに女の豹!それに怯えて後輩の女子からは恐れられてて……」
「キョン……そこまでにしよっか」
笑顔を作って話に入ってきたキョンを見ると……キョンは「ピャッ」と言って縮こまった。
「東野中学のなんとかっていう代名詞は初めて聞いたけど……顧問よりビシバシ後輩をしばいてやったのは確かかな」
「でも、ちゃんと後輩に成長してほしかったから……だよね?」
「もちろん。機嫌が悪くて怒ったことなんてなかったよ」
まぁ、あの頃はいつも機嫌が悪かったからよく分からない。
その時は、私、両親が傍にいないことが影響してか……結構荒んでたから。周りに友達なんていなかったし。
でも、高校に入って、夏姫に声かけられて、そこから輪が広がっていって……
今では……あんなにも、余計なものだと思っていた恋愛をしている。いてもいなくても同じような存在だと思っていた彼氏がいる。
……人って、どうなるか分かんないもんだね。
「そういえば、俺も東野中出身だけど……杉浦先輩って、あの東野中の女豹だったんですねー」
「え?知ってんの?水野君」
「はい。聞いたことはあるけど実物は見たことなくって……鬼のような形相で筋肉とか超ヤバい奴だと思ってたんですけど、全然違いますねー。こんな美人さんだとは思わなかった」
ハハハッと笑う水野君。
……どんなに名を馳せてたんだろう、私……
それと……そんなに名を馳せてたとしたら……
「やっぱり、まだ記憶とか戻っちゃったりしないの?」
キョンと水野君が話している間、私は小声で聞いた。
「いや……いろいろ断片的には結構思い出してる。例えば、朝起きたら「おじいさんって亡くなってるんだっけ」とか思い出したりして」
「め、珍しいね……」
自分の関連する人やもののことを思い出す、っていう経験のない私はそう言うしかなかった。
「でもなぁ……肝心なこと思い出せないんだ」
「肝心?」
「俺の本当の親父のこと。修二さんじゃない人のこと……かな。母さんは、その実父の名前が翔喜って名前で俺に顔がそっくりってことと、俺がちっさい頃に離婚したってことしか教えてくんなくてさ。離婚の理由も聞いてみたんだけど、何故か言わないんだ」
「ふーん。なんか変だね。もしかしたら、その翔喜さんって人が相当酒癖だったり浮気性だったり……蒼井君とはあんまり関係ないことかもよ?」
私がそう言うと、蒼井君は「そうかも」と頷いた。
「でも、俺父親似らしいから……酒癖だったり浮気性だったりしたらどうする?」
「んー……どーだろね」
いたずらっぽい蒼井君の笑顔に、私も笑って返した。
……この時は、蒼井君のご両親夫婦の離婚の理由は、夫婦間のいざこざ。だから蒼井君には関係ない理由かもしれない。そう思えてならなかった。
だって、大概そうだから……離婚っていうのは、大人の勝手。子供は振り回されるだけ。そういう概念しかなかったから。
だけど、あんな理由があるなんて……それを知るのは、もうちょっと先の話。
E市……榎波市の町の駅のひとつ前。海宮テーマパーク最寄の駅で下りた。
そして、その例のテーマーパークへ。
「うっひゃ~……人少なー……」
クリスマスに行った、名古屋の遊園地とはえらい違いだなぁ……
「まぁしょーがないじゃん?平日だし」
蒼井君は伸びをしながら歩いてる。
うわー……筋肉すごいなぁー……
「ん?どした?」
「え?あ、いや、なんでもない……」
慌てて目をそらした。
「とりあえず、どこにクイズがあるか探そーぜ!!」
相変わらずテンション高めのたっくんの声に続いて、班員が動き出す。
「え?クイズって?」
「は!?さーや知らねーの!?今年から、各スポットで出題されるクイズに答えるんだってさ!」
へ~……そんなのあったんだぁ……
「沙彩ちゃん、聞いてなかったのー?」
「いや、多分その説明の時寝てた……」
「アハハッ!!!」
キョンが私の背中をバシッと叩く。
……痛いなぁ。
どんどん奥に進み、アトラクションがある都度見てみたけど……
「どこにもないなぁ、クイズ……」
ジェットコースター、コーヒーカップ、メリーゴーランド……どこにもない。
「ここが最後かぁ」
ずっと左右キョロキョロしてて、水野君の発言で前を見る。
「げっ……」
「どうしたんですか?杉浦先輩」
陽香の問いに適当に返して、改めて見上げる。
……そこには、観覧車がいた。
っていうか、この下りって……
「おっ!もしかして、あそこじゃね?観覧車丁度止まってるし、ゴンドラに番号あるし……行ってみよーぜ!」
たっくんが、観覧車乗り場に向かって全力疾走。
やっぱり、この下りは……乗る系だ!!!
「海宮高校の生徒さんですか?この3つのゴンドラに2人ずつお乗り下さい。ゴンドラ内にクイズがあるので、この観覧車が1周する間に2人で検討し、下りた後にこの紙に答えを書いてください」
係員の人が、ご丁寧に説明する。
「わーい!観覧車大好きぃ!陽香乗ろっ!」
「はいっ!」
キョンと陽香は1のゴンドラに。
「んじゃー章介、乗ろーぜ」
「もちろん」
水野君とたっくんは、2のゴンドラに……
ヤ、ヤバい。なんとか乗らない手立てを……
「あ、わ、私はみんなの帰りをジュースでも飲みながら待ってるよ」
「えーっ!?沙彩ちゃん、まさかのサボりぃ!?」
キョンからのブーイング……
「だって、蒼井君頭いーし、私がいなくたってちゃんと……」
「いーや。蒼井は2年だし。3年のさーやがいた方が何かといーだろ?それにお前、蒼井の彼女だろー?」
そりゃそうだけどよ、たっくん……
「えっ、そうなんですか!?全然そういう風には見えないんだけど……」
陽香、今気づいたんかい。
そしてその発言が一番応えた気がするんだけど……
「これからの時間もあるし、乗ろ。杉浦先輩」
「おわっ」
蒼井君に背中を押され、彼も乗り込み……各ゴンドラの扉が封鎖された。
係員の人が押したボタンで、ゴンドラが動き出す……
ヤバい……どんどん地上から離れていく……
「杉浦先輩、顔真っ青だけど……大丈夫?気分悪いとかだったりしたら、強引に押し込んでごめん」
「いや、そんなんじゃないよ!風邪なんてほとんど引いたことないし、移動だってまだ電車だけじゃん!アハ、アハハ……」
必死に笑顔を作って、極力外を見ないようにする。
「だったらいいけど……ま、とりあえずクイズ見てみよ」
不審そうな表情をしたまま、蒼井君はクイズが入っている封筒を開けた。
クイズの内容は……こうだった。
『ブタンC4H10が燃焼すると二酸化炭素と水が生じることを化学反応式で表すと?(高校1年生レベル)』
「燃焼するってことは、O2と反応するってことだよね?えっと、二酸化炭素はCO2、水はH2Oだから……」
C4H10+O2→CO2+H2O。
でも、こっから原子数をあわせなきゃなんない。
……その方法を知らない。
なんせ、高校の化学なんてやったことないですから。生物しかとってないし。
「……2C4H10+13O2→8CO2+10H2O」
「え?」
「炭素原子と水素原子の数をあわせて、酸素原子の数をあわせるとなると、酸素原子の数は分数になるから、全ての係数を酸素原子の分母倍したら、こうなるよ」
よし、終わり!
蒼井君はそう言い、背凭れに寄りかかった。
グラッとゴンドラが揺れる。
「ひゃっ!」
「え?どしたの?」
「ちょっ、ゴンドラ揺れたじゃんっ!今の衝撃でゴンドラがおっこっちゃったりしたら死んじゃうじゃん!」
……と言ったところで、ハッとなった。
完璧、怖がってるのバレるじゃん……!
「んなちょっと動いただけで落ちるってことは……」
案の定、蒼井君はひっかかったような表情をしている。
ヤバい、バレるの時間の問題じゃん……!
「……もしかして、観覧車苦手?」
……バレた。
そして、素直に頷く自分に驚いた。
「んじゃあ乗る前に言えばいいのに」
「い、言えるわけないじゃん。私、3年生だし……」
って言ったそばから、蒼井君はいきなり立ち、私の隣に座った。
そして……手を差し出した。
「1周するまで、手掴んでていいよ」
「……ありがと」
私がそっと蒼井君の掌に手をのせると、強いけど優しく握ってくれた。
「んで、なんで高いとこ苦手なの?」
外は見てないけど、恐らく頂上周辺で蒼井君はそう聞いてきた。
頭の中で……あの日のことが、甦ってくる。
「……中学の時のバスケの大会で……丁度私が2階席から男バスの応援してたら、隣にいた10歳未満ぐらいの女の子がフェンスに試合を見ようとしてよじ登ってたらしいの」
「フェンスに?危ないじゃん」
「応援に集中してて、私、気づかなくて……下の方から女の子の悲鳴が聞こえて、気がついたら隣にいた女の子がいなくって……その女の子、頭を強打して即死だったんだ」
試合を中断させる笛の音。タンカを運ぶ救急隊員……私は、その場から一歩も動けなかった。
高いところから見下ろす女の子の遺体。それが、カメラのシャッターを押されたように強烈に残っていて……
「目撃者の証言だと……その女の子、フェンスによじ登った後コートを見下ろして……子供って、頭が重いから、頭につられて体がフェンスから離れて落下……」
それ以来、高いところからものを見下ろすことや、高いところにいることがダメになった。
カメラのシャッターによっておさめられたあの光景が、目に浮かぶような気がして。
一時的なものなら、目をそらしていれば凌げられるけど。
「……情けないよね。6年経った今でもそれがトラウマになって高いところがダメだなんて」
蒼井君は、ただ黙って聞いていてくれた。
でも、それは蒼井君の最大の優しさで……
強く手を握る力や温かさが、私の涙を乾かしてくれた。
係員によって解かれた扉。地上に着いたらしい。
ゆっくりと、つながれていた手が解かれた。
「あっ!蒼井ーっ!!!この問題、分かるーっ!?太宰治の本名なんだけど!」
「津島修治だろ……」
回答コーナーで、大きく手を振るキョン。
「さーや!お前文系なら太宰治の代表作とか分かるよなっ!?3つあげるらしいんだけど!」
「斜陽、走れメロス、人間失格……」
「え?何何?てかもう、さーや書いて!」
たっくんがそう言う。
ていうか、なんで2つは太宰治関連なのに、私たちのとこだけ化学なんだろう。
なんだかんだで、ひとまず第1スポット……いや、第1ステージをクリアし、次は……
「恐怖山……」
いわくつきのスポット。恐怖山だ。