第45話 蟠りと心
「え……マジですか?」
「うん。大マジ」
サーティーツーに入って、「なんで高杉先輩ってあんなに暴力的……」と呟いた蒼井君に、今までの経緯を話した。
唯が族の総長で、“私が”相手を一発殴っただけで失神させる方法を教えてくれ、と頼んだこと。
つまり、蒼井君が目撃した唯が私の胸倉を掴み上げていたのは模範演技だったこと。
……いや、殴られてはないから演技とは言わないか。
「今日俺、日直で残ってたら五十嵐先輩が待伏せして「杉浦が危ねーぞ」とか言ってて……」
「危ない……?ただ私は別れ話を……」
……って言った途端に口を押さえた。
「え?」
「な、なんでもない……アイス頼みに行ってくるね」
たどたどしく席を立つと、蒼井君は「俺も」と言って席を立った。
秋の定番、トリプルミックスベリー。
10月ももうすぐで終わっちゃうから、しっかり味わって食べないと……
「やっぱウマいなぁ~……」
「アイスって……」
エスプレッソというコーヒーを飲みながら、蒼井君は苦笑いを浮かべる。
「今の時期にアイス食べてんの、杉浦先輩くらいじゃん」
まぁ確かに……10月下旬の今。周りの人たちはホットミルクやらココアやら紅茶やらコーヒーやら、ホット系の飲み物をすすりながら、まったりと会話している。
「今の時期“だから”だよ。寒くも暑くもない今の時期だからこそアイスがおいしーの」
「……先輩。世間一般では超寒いし暑いわけがない時期だよ今」
「私の感覚器官は世間一般とはちょっと違うの」
そう言って笑ってたら……あることに気づいた。
蒼井君、荷物がない……?
「カバンとか、どこにあるの?」
「あ……学校に置きっぱなしだった」
この人、今気がついたように言ってるね……
丁度その時、EX○LEの……曲名はなんだっけな。グラサンバレーのテーマソングが聞こえてきた。
「ちょっとごめん」
「あ、うん。いーよ」
どうやら、蒼井君のケータイからの着メロ。
蒼井君は慣れた手つきで片手で折りたたみケータイを開けた。
「もしもし?…………おう、亜珠華か。どした?」
……アスカ?アスカって誰だろ……
耳を(心の中で)ダンボにして蒼井君のケータイから漏れてくるアスカさんの声に耳を澄ますけど……サーティーツーの中で流れている、流行のJ-POPの音が邪魔して聞こえない。
「マジで?……ああ。あとでよろしく言っとくよ。うん。……んじゃあ、切るよ」
約1分ちょっとの会話を終えて、彼はケータイを閉じる。
「家にカバン届いてた。デカいフェ○ーリの真っ黒な車って、この辺りじゃあ五十嵐先輩の家しか保有してないよね?」
「デカいフェ○ーリ?……ああ、伶君の家の車だね」
前、駅で伶君と待ち合わせした時……近くに黒くやけにデカい車があって、周囲がちょっとザワついてたのを思い出した。
「えっと……アスカって人は……同棲人?」
「同棲って……俺の妹だよ。5歳の蒼井亜珠華。血縁はないけど」
あ、そうだ。蒼井君って妹いるって前言ってたっけ……
「あ、そうなんだ」
「杉浦先輩、たしか五十嵐先輩のケー番知って……?」
「うん。あ、教えよっか?」
「お願い致しまする」
致しまするって……武士かい。
ポケットから紙とペンを出すと、伶君のケー番を記した。
―――……
何たる失態……俺としたことが、五十嵐先輩にパシらせるなんて。
「はい」
お礼を言って、杉浦先輩から五十嵐先輩のケー番が記された紙を受け取った。
……ちゃんとお礼をお詫びを申し上げなければならぬ。
って……ヤバい。大河ドラマの見すぎで口調も武士になりかけかもしれない。
今は2009年。平成20年。(正しくは21年)天保でも文久でもない……
そろそろ電車が来る時間だから、俺と先輩はサーティーツーを後にした。
……五十嵐先輩の言葉で我を忘れて……別に杉浦先輩が襲われてるわけでもないのに連れ出して……
冷静になった今、思えば……杉浦先輩が襲われるわけねーじゃん。
ていうか逆に、先輩を襲おうとした人が怪我をする。
「カップルの談話……だった?」
旧校舎裏で愛を語り合う……なんて昭和時代な風習、今はないかもだけど、一応聞いてみた。
「談話……って言えば談話……だけど微妙……かな」
先輩は曖昧な答えを出した。
……まぁ、ハッキリと「愛を語りおうてござんした」なんて言われちゃあ、ショックで立ち直れないだろうけど、俺。
先輩の表情からしても、愛が絡んだいざこざ……としか悟れなかった。
「蒼井君は……咲良ちゃんとうまくいってる?」
「咲良とは……つい最近、別れた」
「……え?」
予想外の答えだったんだろう。元々おっきい目を見開いて先輩は俺を見上げる。
「なんで?」
「……まぁ、いろいろと」
……到底、「君のことが好きで、咲良にもそれを悟られて別れを切り出されたんだぁ!」なんて言えない。
「……そっか」
そう言うと、先輩は車道側を見る。
車が絶えず、次々と走る車道。
チビの頃、窓から車道を見るのが好きだった。といっても、車を運転するドライバーの顔を観察することだけど。
ドライバーの顔……遅刻寸前で行き急ぐ、必死こいた顔。
助手席に座っている恋人とイチャつきながら運転している男のデレた顔。
窓全開にして、爽快そうに運転する青年の顔。(後にポリスに呼び止められるのだが)
ナンバープレートに“練習中”という板をひっつけて、助手席に先生らしき人を乗せ……初の運転でどぎまぎしている女の人の顔。
シルバーマークをつけた車を運転しているおじいちゃんの顔。隣にはおばあちゃんがいる。
中でも、後部座席に乗っている子供にちょっかいを出され、迷惑だけど幸せそうに笑っている父親らしき人の顔を見ると、見ている俺も幸せになり……同時に、激しい嫉妬心を燃やしたことだ。
海宮市駅に着いた。帰宅途中の生徒で賑わっている。
「あそこのバーガーショップ、超おいしいんだよ。特にスイーツバーガーっていう……」
たくさんの飲食店が立ち並ぶ海宮市駅。先輩は目をキラキラさせて店の紹介をしてくれた。
……ふと思った。
杉浦先輩は……誰に対しても、平等に接している。
普通、後輩の男となんて並んで歩きたくないだろうけど……決して、離れて歩こうとしない。
噂では、体育祭の練習の時にはうちのクラスのギャル3人組を見事に練習に参加させたという杉浦先輩。
改めて……ほんと、凄い。
だから好きになったのかもしれない。
駅に着くまでの間、先輩と他愛もない会話が弾んだ。
加藤先生……通称カトキョンは有り得ないぐらい泣き虫で、先生からの信頼は0ということ。
安田先生の全盛期は先輩が1年生だった頃。全盛期というのは、生徒から最も支持を受けてた期間だという。
なんとか崎という人は、タメ語で喋る後輩の2人のうち1人だってこと。もう1人は俺。
……ほんと、先輩と喋ってたら時間が経つのが早い早い……40分が、5分ぐらいに感じた。
でも、先輩にとっちゃ多分、いつもの40分間だろう。
……少し、切なくなった。
駅前に停めてた自転車を開錠する。
「そんじゃあ、気をつけてね」
「先輩こそ」
やっぱ「気をつけてね」って言われることは……後輩として見てくれていない証なんだろう。
ペダルに足を乗せた。
そして、ゆっくりこぎだす。
10Mぐらい進んだとき……
「……蒼井君!」
先輩がそう呼んだから、急停止させた。
「咲良ちゃんのこと、未練とかないの~!?」
車の走る音に負けないぐらいの、大声。
……きっと、俺がフラれた、って思ってんのかな。
「俺からフッたから、未練とかねーよー!」
「そっかぁ。ごめんね変なこと聞ーてー!じゃーねー!」
俺とは反対方向に向かう先輩の背中を、いつまでも見送った。
実際……本当にフッたのは、どっちからなんだろうな。
けれど、何ヶ月前からかの蟠りはすっかり消えていて……今あるのは、単純に先輩のことを好きだという心。
「……好きだよ」
小声で、呟く。
いつか……ちゃんとした声で伝えられる日が、来るんだろうか。