第16話 彼氏彼女
「……なんでここに?」
起き上がり、頭にのってるタオルを取る。
「夏姫と俺とで5時限目の前に見舞いに来たんだ」
時計を見ると、もう4時。放課後だ。
「じゃあ、この顔……」
「メイクがグチャグチャに崩れてたらしいから、夏姫がメイク落としたってよ」
……あ、大泣きしたからか……しかもうつ伏せて。
ていうか……バレたかな、泣いてたの。
例えば、私が夏姫だったらビックリするだろうな。
頭痛い、って言って保健室行ったのに、うつ伏せでメイクグチャグチャで枕湿ってたら……かなり驚くだろう。どんだけ頭痛かったんだ、みたいな。
「……そっか。メイク落ちてたからビックリした」
わざと知らないフリして、笑った。
「ていうか沙彩、なんで泣いてたの?」
「え……泣いてない……よ。」
すぐバレる嘘……
唯の手が、私の頬に触れた。
「嘘だろ。涙の跡、残ってるし」
唯は私の頬を頭にのってたタオルで拭きながら、「しかも……」と続けた。
「ずっと、言ってたよ」
「……何を?」
「蒼井君、って。」
顔が、自分でも赤くなるのが分かった。
うわ言で、蒼井君のことを呼んでた……?
「蒼井って、補習の時……一緒に登下校してた1年?」
黙って頷く。
赤くなった顔を見られたくないから俯いた。
「あいつ、彼女……いるって。夏姫から聞いた。」
……え?
思わず、顔を上げる。
「マジ……で?」
「うん。夏姫が、蒼井本人から聞いたんだって」
……多分、私が口実つけて去って行った直後……
「……相手は……?」
「……西院咲良。1年で、蒼井の元カノだっ……」
唯は、私の顔を見て目を見開く。
……気づかないうちに、目から涙が溢れていた。
「……あれ?なんで私が泣かなきゃいけないのかな……」
慌てて拭っても、次から次へと……憎たらしいほど、流れてく。
「おかしいな……ごめんね、ゆ……」
……何か暖かいものに包まれた。
私の背中に、唯の手がまわされている。
「俺じゃ、蒼井の代わりになれない?」
そう言い、唯は一層強く、私を抱き締める。
その強さも暖かさも何もかも……心地よかった。
想うより、想ってくれる相手と一緒にいたい……
それは、同情でもなんでもなかった。
……唯の背中に、手をまわす。
――それが、答えだったんだ。
……結局、弱虫で意気地なしな私は、逃げるっていう形で唯を選んでしまった。
私がいちばんサイアクだ、って思ってた付き合いのパターン……
あの日の唯からの告白は、そのサイアクな事態を自分が……という、危険信号だったのかもしれない。
だけど、唯が私を想ってくれなければ……今頃自分は、どうなってただろう……
「……ただいま」
家に帰り、ソファに座る。
焦点が定まらない目で、テレビを見た。
「あら、おかえり沙彩。遅かったわね」
「……まぁ。うん。」
「新学期、どうだった?」
「……まぁ。うん」
それ以上、お母さんは何も聞いては来なかった。
私の状態が尋常でないことに気づいたんだろう。
「ご飯、できてるわよ」
その言葉でテレビの電源を切り、食卓へと向かった。
テーブルには、肉じゃが・焼き魚・おひたし・白米……と、和風な食材が湯気を立てている。
相変わらず美味しそうなんだけど……食欲がわかない。
「もう食べないの?」
「うん。食べる気しない……」
一通り、2、3口は食べ、箸を置いた。
「まぁ明日のお昼私が食べるからいいけど……なんかあった?」
疑惑を持った目で、私を見るお母さん。
「……好きな人に彼女できて、私にも彼氏できた」
さらっとそう言うと、お母さんは今までに見たことないほど大きく目を見開いた。
でも、少し腫れた私の目を見て、普通の目に戻る。
「……そう。いろいろあんのね、あんたにも」
お母さんは内心、ビックリしてるだろう。
だって、私に好きな人がいるってのも知らなかったし……しかもいきなり、彼氏できた、って言われるもんだから。
それ以上、何も喋りたくなくて……部屋に閉じこもった。
「……咲良ちゃん、嫉妬する……よね。」
ケータイのアドレスブックに載ってる、「あおいちゃん」って言葉。
お母さんに抜き打ちでケータイ見られたときに対応できるように、「君」を「ちゃん」に変えて登録しておいた。
そのアドレスを選択し……削除をした。
……一瞬、何もかもを失ったような、喪失感が私を襲う。
頭が、ギンギンと痛んだ。
「……こんなにも、蒼井君のこと好きだったんだな……」
なんでもっと早く気づかなかったんだろう。
ベッドの上に寝転がり、目を閉じる。
……蒼井君と出会った、補習日からの記憶を掘り起こした。
偶然、隣の席が蒼井君で……問題をどう解くか聞いてきたっけ。
補習後も律儀にお礼言ってきたりして……
ギャル男にぶち切れた時、尊敬の眼差しで見られたっけ。
「誰にも言わないで!」って必死に懇願したっけなぁ。
でもほんとは……ほぼ男同然の私の姿を見られて、恥ずかしかっただけかもしんない。
それから、補習がある日は一緒に学校行って、補習受けて……
多分、その繰り返しで、想いが募っていったのかもしれない。
元カノの咲良ちゃんの存在を知って、もやもやして……
そのもやもやの正体は、蒼井君に対しての恋心だってこと、咲良ちゃんによって気づいた。
あれほど、必要ないって思ってた恋を……してしまった。
目を一層、ギュッと強く閉じる。
……浮かぶ、蒼井君の笑顔。
小さく笑う顔。
笑いを堪えてる顔。
苦笑する顔。
頼もしい笑顔……
どの笑顔も……素直に、大好きって思える。
……大好き、なんだよ……
「っ―――……」
言葉に成らない叫び。
目の上に置いた手の甲は、涙で湿ってる。
……忘れなきゃ。蒼井君に対しての恋心……
私にはもう、唯がいる。
こんな弱虫な私を想ってくれる、唯がいる。
その想いに答えたのは、紛れもない……私。
捨てたのは、蒼井君に対する恋心。
捨てたものは、忘れなきゃならない……
忘れなきゃ、忘れなきゃ、忘れなきゃ―――……
……気づかなかった。
忘れなきゃ、と想うほど……忘れれないこと。
より一層、想いがどんどんどんどん、強く、濃く、はっきりとなってくこと……