第117話 受け入れる決心
「……井、蒼井、蒼井!」
「あ、はいっ」
「どうしたんだ?ボーっとして。ちゃんと話聞いてたか?」
「すみません……」
一昨日の電話を思い出し、つい物思いにふけってしまった。
再度繰り返されるバスケ部顧問のゴリの言葉……
「今度の合宿、遠藤崎邸で行うという案なんだが……遠藤崎とはちゃんと相談したのか?」
「はい、もちろん。二つ返事でOKもらえました」
「男女合同での宿泊という件は……」
「ああ、遠藤崎の家3つに分かれていて、男子がEast棟、女子がWest棟での宿泊になります。食事は中央館の大ホール、練習は体育館で合同ですが……」
参照の遠藤崎邸地図を渡して、遠藤崎にされたように説明する。
ゴリは「ほう」とか「へぇ」という感嘆の声をあげた。
「彼女の家は相当な大地主で坪数もケタ外れと聞いたが……すごいな。まるでヨーロッパの宮殿じゃないか」
「はい、本当に……いつもの彼女の様子からは想像できませんよね」
一体どこの世界に、小銭入れ片手に学食を食べにか購買のパンを買いに全速力で走る、宮殿に住む生粋のお嬢様がいるだろうか。
「私は賛成です。“気にしてらっしゃる予算”も、部員の家なら宿代もかかりませんし、食費や交通費などは全て遠藤崎家持ちということなので。雑費は個々人持ちですが」
しげしげと地図を眺めるゴリに、三笠がそう言った。
「……うん、よし。許可しよう。で、浮いた金はインターハイ経費にまわすと……期待してるぞ」
練習に戻る途中、隣を歩いていた三笠が口を開く。
「にしても驚いた。キョンがあんなに大金持ちだなんて。あの子、自分の家のこと全然話さないから……それに、彼女の家を合宿につかうというあなたの発想にも」
「ああ、実はさ、中学時代に遠藤崎と同じバスケ部だった沙彩……彼女の提案だったんだ」
「へぇ、そう」
チラッと見る三笠の視線が、なぜだがビシビシと刺さる。
「……何かあったのね。彼女と」
「え!?い、いや、別に何かってほどじゃねーけど……」
「そう。それにしてはオーラが淀んでる……早く答えが出るといいね」
そう言うと、三笠は早足で体育館へ向かった。
本当、三笠はエスパーか何かなのだろうか……俺だけじゃない。さっきのゴリとか、いろんな人の心も見抜いている気がする。
早く答えが出るといいね……か。
一昨日の電話……その内容がまた思い出される。
頭をガシガシ掻くと、体育館に向けて駆け出した。
―――……
一昨日の夜。毎週恒例となった彼女との電話……
しかし、電話越しでも分かるくらい様子が変だった。
「どこか具合でも悪いの?」
『……ん?どうして?どこも悪くないよ』
「……そっか」
でも、何か隠していそうなのは事実で……
「じゃあ、何か悩みとか?」
『悩み……か。フフッ、そうかもね』
「そうかもね、って……どうした?大学のこと?」
『ううん。大学はすっごい楽しいよ。勉強は大変だけどさ』
助けになるとまではいかずとも、せめて話を聞きたいという一心だった俺には、沙彩のそんな態度が少々もどかしく感じた。
『あのさ…………なんか、あれだね。私たち、もう2ヵ月ぐらい会ってないね』
「……うん」
『最近、蒼井君の声聞くとすっごく会いたくなっちゃうの……それだけ。ごめんね、女々しいこと言って。離れちゃったのは私の方からなのに……理不尽だよね』
「んなことない。俺もだよ、会いたいのは」
自嘲気味に話す沙彩に、そう言葉をかけた。
心の距離が、相変わらず近いことへの愛しさが募ると同時に……不透明な未来への不安も募る。
早く、毎日顔を合わせるような生活になってほしい。
でも、そんな生活への距離は……俺の大学の選択によって、大きく違ってくるんだ。
―――……
「……はい、じゃあ今日はここまで」
教授が教鞭をおろすと、号令がかからずに1人、2人と次々に生徒が席を立つ。
90分の授業時間にも、号令がかからない授業にも慣れた今日この頃。
「あー疲れた。さーや、授業これで最後?サークル行く前にカフェ行かない?」
「うん、いいよ。行こ」
同じ授業をとっていた凛子とともに、学食の隣にあるカフェへと向かった。
ここのカフェはメニューが豊富。ドリンク、ケーキ、パフェ、軽食……などが50種類ぐらい。
教授へ質問していてお昼を食べ損ねたらしい凛子はバーガーセットにショートケーキ、私はコーヒーとショコラケーキを頼んだ。
「やっぱここのカフェってお得だよね。ミールカード提示したら学割つくもんね」
「そだね。私も最近ずっと学食頼ってるよ」
コーヒーを飲みながら、改めて学割のすばらしさをかみ締めた。
「……なんかさーや、最近元気ないね。隈もできてるし……どーかしたの?」
「ハハッ、それ、彼氏にも言われちゃった。顔見てないのに、「具合悪いの?」って」
ほとんど風邪とかかかったことない健康優良児の私を気遣ってくれた、一昨日の電話を思い出す。
本当はあのとき、「大学、どこ考えてるの?」って聞こうと思ったけど……聞けなかった。
思わず口に出してしまったのは……“会いたい”って言葉。
会いたくなるのを覚悟して東京に出たっていうのに……矛盾した言葉を、彼はしっかり受け止めてくれた。
今度は、彼を受け止める番なのに……
「やっぱ、怖いんだ。将来のことについて話すのって」
だったら、いっそ別れてしまえ……って、投げやりな心で考えてもみた。
でも、声を聞くと……どうしても、会いたい、離れたくないって思うんだ。
「でも、逃げてばっかじゃ何も始まらないよ?さーや」
凛子にそう言われて……ハッとした。
私は……逃げてばっかだった。
唯と付き合った理由も“逃げ”からくるものだったし、去年の文化祭のときだって……あの場から、逃げることしか考えていなかった。
でも、彼に引き止められたり、アドバイスをもらったりして……ここまできたんだ。
なのにまた私は……怖さから、逃げようとしている。
「って、さーや!?ごめん、大丈夫!?」
思わず流れた涙を、手でぬぐう。
「ごめん、全部知ったようなこと言っちゃって……えっと、よかったら詳しく教えてくれないかな?」
「ううん……大丈夫。やっと、決心できたから」
どんな未来も……受け入れる。そんな決心を。