第111話 これからも
この高校の文化祭は、運動部でも有志が募れば、部単位で出し物ができる。
おもしろそう、と言って、沙彩さんがセレクトしたのは……
「あーもーっ!くやしい!また負けた!」
弓道部の“弓道体験”。
この前のデートでの雪辱(紅葉の色のように編参照)を晴らそうと、俺に弓道対決しようと言ってきた。
ルールは3本勝負でより多く的を得た方の勝ち。結果は……
「簡単そうに見えるんだけど……すっごい難しいね、弓道……1本しか当たんなかったよ。なんで蒼井君できるの?」
沙彩さんが1本、俺が3本という結果だった。
「1年のとき、選択武道で弓道とってたから。2年は剣道だけど」
「あーそれでかー!それだったら、女子用の弓だけじゃハンデが足んないよ……」
まぁ確かにそうかも……入り口で、女子部員が基礎中の基礎(弓の引き方など)をパパッと言っただけじゃ、全く弓道をやってない彼女には難しいだろう。
「じゃ、じゃあ、自分たちがレクチャーいたしましょうか!?杉浦沙彩さんっ!」
同級生(と思われる)男子部員2人が、ずずいっと沙彩さんに寄ってきた。
「自分、この部の主将の風間と申します!県で3位です!」
「同じく副主将の峰崎!全国ベスト16です!」
しかも主将と副主将……それに沙彩さんも……
「へぇ、すごい!だったら教えてもらおうかな……ちなみになんで私の名前知ってるの?」
「そりゃもう!海宮の宝石である貴女のお名前は全校に知れ渡っております!」
すっごく乗り気だし……ていうか、この2人の顔、下心しか見受けられない!
大体、2人とも身長が低いから168センチの沙彩さんをレクチャーするのはまずできないし……
ちょっと待った!と、2人と沙彩さんの間に割って入った。
「俺が教える。それで的射たら沙彩さんの勝ちってことで!」
「うーん……なんか消化不良だなぁ」
やっとのことで道場を抜け出し、各クラスが出し物をやっているHR棟へ向かう途中、弓を引く動作をしながら沙彩さんが呟いた。
「え、また弓道やんの?」
「いや、もうしないけど……」
「そっか。よかった」
あの2人が待ち構えていると思うと、沙彩さんの言葉に心底ホッとした。
そうしていると……彼女が、俺の顔を覗き込む。
「……何?」
「いや、蒼井君があんな風に指導権とりにきたのって意外だったなって……しかもこれ以上ないハンデ付きで」
どうして?と彼女は聞く。
「……んなこと決まってんじゃん」
あの2人に触られたくなかったんだよ。
なんて、独占欲にまみれた本音を言えるはずもなく……
「埒が明かないと思ったんだよ……」
「あーっ、ひっどい!」
そう言って、明るく笑う沙彩さん。
……ああ、好きだな。誰にも触らせたくも渡したくないくらい。
こんな気持ちになれる相手はこの先もう、この目の前にいる人しかいない。
―――……
あっという間に時間が流れて……
「ハー、もう終わりだねぇ……」
HR棟にある4階の3-Aの教室の窓から、中庭を見下ろしながら感慨深く呟いた。
ほんの数時間だったけど、いろんなところにまわった。
弓道に、いろんなクラスの出し物をまわってから文化部の展示を見たり、ステージ発表の午後の部をのぞいたり……
写真部に写真をとらせてくれと頼まれて、ずいぶん久しぶりに撮ってもらったっけ。
写真嫌いだけど、最後だし……ってことで。
「雪、まだずいぶん積もってんね」
「うん。草とか全然見えないもん」
庭には、昨日積もった雪がまだあって……夕日の光でキラキラ輝いて見える。
キレーだな……そう思いながら見ていると、不意に蒼井君が私の髪をすくう。
「なんか雰囲気違うと思ったら……髪、染めたんだ?」
「あぁ、これ?」
センターの2日前ぐらいに、里穂ちゃんに再三確認されながら黒色に染めたときのことを思い出した。
「うん。さすがに大学受験しに来たやつが茶髪だったらちょっと……って感じじゃん」
「まぁそうかもしれないけど……地毛、茶色っぽいでしょ?」
「えっ?よく分かったねー」
「だってプリンみたいになってるとこ見たことないし」
……要するに、生え際が黒いところ、ってか。
ハハッと笑いながら、髪から手を離す。
「……生徒指導の先生とかにしか話したことないけど、うちの母がハーフで父が純粋な日本人だから、クオーターなんだよね、実は。このデカい身長もそのせいかも」
中学や高校での身だしなみ指導のときに指摘されると毎回、クオーターであることをこうやって説明する。
でも1回じゃなかなか信じてもらえなくて、親を呼び出して二者対談して……
“染髪禁止”のため、教師はしぶしぶ地毛で過ごすことをOKしてくれている。
「へぇ……なんかカッコイイな、クオーターって」
「そう?ありがと」
そんな、いろいろ面倒な髪、クオーターっていう肩書き……
でも蒼井君のその言葉で、ちょっと誇らしげな気分になった。
試験ではちゃんと髪をくくって挑んだから、試験中ちょっと違和感があった、とか、夏姫には髪と顔が合ってないと笑われたこととか……
そんなことを話していると、ふとあることに気がついた。
「……蒼井君って、初めて会ったときは確か茶髪だったよね?」
「初めて……って言ったら、一昨年の夏ぐらいかな……あの時はまだ、手術で全部剃った髪がまだ十分に伸びてなくってさ。陽介さんっていう看護士が選んできたやつかぶってたから……つまり、ヅラだったんだよ、あの茶髪は」
「ほー、カツラ……で、学校始まったときには外した、と」
髪がない蒼井君、見てみたかったなぁーと呟くと、今度写真を見せてもらうという約束をしてくれた。
「初めて会ったのは、もう一昨年になんのかー……」
「早いよな……それからいろいろあったよな」
「うん……ちょうど去年は、武田先輩もいたよね」
何かと破天荒で真面目という言葉には縁遠い、でもとても後輩の面倒見がよくて一本の芯が通ったような武田先輩。
「そーだな。あの人がいなきゃ、告白できてなかったかもしんない」
「えっ?そんなすごい存在だったんだ」
あっけらかんとした武田先輩の笑顔を思い出しながら、蒼井君を見る。
同時に彼もこっちを見て……視線が絡まる。
あれから、1年が経って……蒼井君も、随分変わった。
17歳には見えない大人っぽさや、力強さを増した眼差し……
西日が差して、いっそう眩さを重ねて……掴んでないと、消えてしまいそうで。
―――……
「……あ、もうすぐ終了式始まっちゃう」
「あ、ほんとだ」
ふと時計を見ると、もう午後5時前。
それまでのことを思い出していると……顔がすごく火照ってきた。
「い、行こ!呼び出しかかっちゃう」
「あぁ、うん」
手をつないだまま、教室を後にした。
「本当に終わっちゃうね、文化祭」
そして、すぐに自由登校になって……実質、高校生活が終わっちゃうって言っても過言じゃない。
「いろいろあった高校生活終わるって……なんか悲しい」
蒼井君とのこともそうだけど、夏姫や杏里、そして唯や伶君……いろんな人と関わって、いろんなことを経験した3年間が、終わりを告げようとしているのだ。
「……だったらさ、“これから”を考えればいいじゃん。きっといろんなことあるよ」
「そっか……そだね」
これから、何日先、何十日先、何ヶ月先、何年先、何十年先も……いろいろなことがあるだろう。
もしかしたらケンカすることもあるかもしれないし、辛くなったり悲しくなったりすることもあるだろう。
でも……その何十倍も嬉しいことや楽しいことがあると信じたい。
そして、隣にはずっと彼がいることを信じたい。
「蒼井君」
「ん?」
「好きだよ」
今もこの先も、そう思える相手は1人しかいないから。何があっても乗り越えてゆけるから。
「……知ってる」
そう言って、手を強く握って……「俺もだよ」と言ってくれた。