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海と想いと君と  作者: coyuki
第6章 過去からの蘇生
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第107話 悲しき蘇生

向かったのは、私は行ったことがない脳神経外科の私立病院、宇治宮脳神経外科……母校の東野中学のすぐそばにあった。

年末だからか、開いていない入り口。キョロキョロ見回していると、庭らしきところに蒼井君のご両親がいた。

サングラスをかけているスキンヘッドの大男……蒼井君のお父さんが、ハンカチを手に青ざめている翔子さんの背中をさすっている。

「あ、あの!」

どう呼んでいいのか分からない私は、思い切って2人に声をかけた。

翔子さんが、うつむいていた顔を上げる。

「沙彩さん!ああ、ごめんなさい……私が目を離したせいで……」

涙ながらに、わなわなと声を震わせる翔子さん。

落ち着いてください、と言いながら私も駆け寄り、翔子さんの手を握る。

「ゆっくり深呼吸してください。翔子さんが……お母さんがしっかりしないとダメですよ」

「……ええ、ええ、そうね…………」

3度ほど深呼吸した後、ようやく声に落ち着きを取り戻した。

ほぼ同時に……

「大翔君、病室に移られました。お話があるので入ってください」

看護婦さんが、私たち3人にそう声をかけた。


病室に入ると、無機質な機械音の中で、頭に包帯を巻いた蒼井君が眠っていた。

傍にいた初老の医師が、カルテを見ながらこう言う。

「えー、検査結果ですが……まず、頭の損傷。落下物で頭を切ってしまったのでしょうか。結構深い傷ですが、脳に支障をきたすものではありません。局部麻酔をして5針ほど縫っておきました」

それから……と言葉を続ける医師に、固唾を飲み込む。

「偶然落ちた場所がソファか何か、柔らかい場所だったのでしょう。身体の骨折打撲もありません。当面の危険はなさそうです」

「そうですか……よかった……」

翔子さんはそう言うと、ベッドの傍にあるイスに腰掛けた。

「ただ……CT検査(脳内部の検査)で異変が見つかりました。別室で説明をしたいのですが……」

そう言い、医師はチラッと私を見る。

……彼女とはいえ、私は赤の他人。個人情報関連を気にしているのだろう。

私は軽くうなずいた。

それでは、もし大翔君が目を覚ましたらナースコールしてくださいね、と看護士が告げ、医師とご両親とともに病室を出て行った。


外では、今年最後の雪がちらほらと降っている。

深呼吸をし、今の状態を整理する。

……蒼井君は、頭から出血し五針縫うケガをしたが、頭蓋骨骨折とか脳内出血とかはしてなくて後遺症が残るほどの大怪我はしていなくて、身体にも影響はない。

でも脳内に異常があって……ということは……

「記憶が戻っているか…………」

……失くしているか。

頭の中でそう呟くが、怖くて声に出すことはできない。

もし記憶が戻ったとしたら、私のことは覚えているの?

失くしているとしたら、今どんな状態……?

専門知識が全くない私には、全然分からない。

ベッドの上に横たわっている端正な寝顔を眺めながら、ひとり不安に陥っていた。

早く……早く目を覚まして、声を聞きたい。話をしたい。……なんともないよって、笑ってほしい。

蒼井君の右手を、私の両手で包んだ。

あの日……こんな風に、私の手を握っていてくれた蒼井君も、こんな気持ちだったのだろうか。

……私の目から流れ落ちた涙がひとつ、手に落ちてきた。


―――……


前後左右、全くつかめない暗闇の中……

きっとこれは、夢だ。

そう自分に言い聞かせ、恐怖をだましていた。

「……翔。大翔」

俺の名を呼ぶ、聞いたことがあるようなないような声……

振り返ると……ぼんやり浮かぶ、中年の男性。

「……どなたですか?」

「ははっ。やはり覚えてないか……」

それもそうだよな……と、自嘲的に笑う彼。

暗さにも慣れて、徐々にはっきり見える彼の顔。

「幼少のお前を捨てた、実の父親だ」

「あ……」

その顔は、信じられないほど俺にそっくりだった。

コツコツと、革靴を鳴らして近づいてくる父親と名乗るその男性……

反射的に、一歩二歩……と、後退りをしてしまう。

すると、彼も立ち止まり……また、自嘲的なほほえみを浮かべた。

「お前は昔からそうだったな……恐怖心を決して表へは出さないが、行動に表れてしまって……あの頃の俺は、そのことに気づかなかったんだったっけ」

すると、その男性はどっかりと地に胡坐をかいて座った。

「安心しなさい。もう決して、お前を傷つけるようなことはしないから」

手招きをする男性……小さな恐怖心が薄れた俺は、二、三歩進んで腰をおろした。

同じ目線になると……よりはっきりと、そのそっくりな顔が分かる。

……言わずとも分かるが、俺は確認の意をこめてこう聞いた。

「本当に俺の父親……なんですか?」

「ああ。蒼井翔喜……お前と同じ“翔”に“喜”ぶ、で翔喜だ」

俺はさらに、質問を続ける。

「俺、中3のときに事故に遭って……」

「知っている。関わってきた人や思い出が何ひとつ思い出せない状況だったのだろう?全生活史健忘に陥ったんだよな」

「その通りです。……あなたは脳科学者なのですか?」

「いや、脳外科医だ。それも、日本屈指の天才脳外科医……とも言われてたな」

「へぇ……だったら……」

もっといろいろ聞きたい衝動に駆られたが……話を戻した。

「……さっき、もうお前を傷つけないから、とか言っていたけど……どういう意味なんですか?」

「…………」

彼は、押し黙る。

あの……と言うと、口を開いた。

「……それはきっと、お前の記憶が物語ってくれるよ」

いや、物語ってくれる記憶がないから聞いているんだけど……

見当違いな答えに、呆気にとられた。

「新しいお父さん……修二くんだっけな。俺よりだいぶ若いが……ちゃんとお前に優しくしてくれてるだろうな?」

「ああ、はい。強面で友達には怖がられてますけど……意外と料理上手で家事上手で。進路面でも、いろいろとアドバイスをもらっているんです」

「そうか……だったらちゃんと、“お父さん”と呼びなさい。俺のことはもう、父親だと思わなくていいから」

返答に困ったが……はい、と言うと、心なしか……少し、寂しい顔をされた。


それから、少し話をした。……俺としては、数年間の溝を埋めるつもりだったのだが……彼は、重要なことは何一つ喋ってくれなかったが。

さてと、と彼は腰をあげる。

「もっと君と話したいのだが……そろそろ時間だ。言い残したことは、君が手にとったあのノートに書いてある。家に帰ったら見なさい」

「ノート……?」

そう言われ、思い浮かんだのは……あの、グリーンがかったノートというより薄い本。

「あのノートの中を見るためには、お前の記憶が必要不可欠だ」

しかし、荒療治だったか……そう彼は呟くが、俺は全く意味が分からなかった。

「あの、最後にもうひとつだけ……」

「なんだ?」

「あなたは、俺のいろいろなことを知っている……俺の記憶のことも、修二さんのことも、彼女のことも。なんでそんなに知っているのですか?」

彼を見上げ、ずっと気になっていたことを問いかける。

「それはだな……」

―――俺がもう、この世に存在していないからだ。


ほほえみを浮かべた顔が、ぐにゃりと歪んだ。


―――……


「ん…………あれ……沙彩……?」

両手の中にあった蒼井君の手がピクリと動き……ずっと天井を向いていた顔が、ゆっくりと私の方を向いた。

「なんで……泣いてんの?……大丈夫?」

体を少し起こして、左手で私の頬を包む。

―――ああ、よかった……生きている。

涙が、一筋どころか二筋も三筋も頬を伝い手を伝い……

私は思いのまま……彼に縋るように首元を抱きしめた。


「……ごめん」

しばらくして、蒼井君から離れた。

そして、頭に手を載せる。

「蒼井君こそ、大丈夫なの?……頭、五針縫ったけれど」

「え……それ聞いたら、なんか痛くなってきた。でも大丈夫」

ハハッと笑い、彼はケガをした部分を軽く手で押さえた。

その笑顔に声に……胸がキュッとしめつけられる。

「あ、そうだ……ナースコールしなくちゃ」


別室で説明を受けていたご両親と、医師や看護士が次々とこの部屋に入ってきた。

「どうだい大翔君。どこか痛いところはあるかい?」

「宇治宮先生……お久しぶりです。頭五針縫ったみたいですね……確かに痛むけど、我慢できます」

「そうかい……ちょうど局部麻酔が切れたんだな」

医師はそう言うと、サラサラと何かをメモしている。

翔子さんが、蒼井君の手をとった。

「ほんとに大丈夫なの?大翔……どこか身体で痛むところはないの?」

「ああ、大丈夫。丁度落ちたところが、あのでっかいソファだったんだ……んで、落ちるときに咄嗟に掴んだ辞書が頭をかすった……ってとこかな」

「悪かった大翔……あのとき、お前を引き止めていたら……」

「いや、修……父さんが気にすることじゃねーよ。こっちだったんだから、非があったのは……いや、そうじゃねーか」

修二さんのことを、蒼井君は父さんと呼び、続けた言葉に……翔子さんの顔が凍りついた。

「俺を落としたのは、前の親父。思い出させるための荒療治とはいえ……相変わらずひでぇことするよな」

……聞きなれた、蒼井君の口調とは違う口調で……でも、彼はどこかすっきりしていた顔で。

医師は、メモをしていた手を止めて……彼の言葉を待った。


「思い出しちまった……何もかも、全部」

……どこか、悲しい声だった。




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