第105話 近づいてくる足跡
心躍るクリスマスソングが流れる商店街。
心なしか、恋人同士が多い気がする。
「どう?最近、勉強の方は」
「んー……まぁまぁかな。とりあえず、最近は今までやったことの復習してる」
「あ、演習じゃないんだ?」
「うん。もう必要な演習は終わったから。無駄にやっても、重要な記憶が薄れちゃうだけだしね」
「へぇー……」
やっぱすげぇなー、と言いながら、蒼井君はネックウォーマーに顔をうずめる。
私はというと、コートやマフラー、手袋といった防寒着は一切身についていない。
本当はブレザーなしでも全然平気だが……景観的に、最近はブレザーを着用している。
「あっ、新しいカフェができてる!」
街の一角に、オシャレな外見のカフェを見つけた。
ちょうど、10月にデートに行ったところみたいな……
「ねぇ、ここ入ってみない?」
「うん。ちょっと、さすがに寒いしね」
入ってみると……クリスマスイブなので、どこもかしこも恋人だらけだった。
「いらっしゃいませ!ウィルフィアンセカフェへようこそ!」
……ん?Will Fiance……?
「あの、ここってカップル限定……とか、そういうカフェなんですか?」
「はいっ!ここにいらっしゃったカップルは必ず婚約者同士になるでしょうって意味です!」
ハキハキとしたスタッフ……おそらく女子大生が、営業スマイル全開でそう説明した。
まぁ、なんというか……なれなかったらどうすんだろなぁ。
「では、お席にご案内いたします!」
軽く苦笑いをしながら、スタッフについていった。
「では、ご注文お決まりになりましたら、そちらのボタンでお呼びください!」
失礼いたしますーと、スタッフはスマイルを残し去って言った。
「ハー、なるほど、カップル限定か……そりゃあ、内装にもこだわるはずだよなぁ」
店内全体を見ながら、私は妙に納得した声でそう言った。
「ごめんね?私、結構新しもの好きだから……嫌じゃない?」
「んーん、全然。たまにはいーじゃん、こういう店も」
それよりほら、何にする?と、メニューを開く青井君。
……本当、マイペースというかなんというか……とにかく、無理をしている風には全然見えない。
そういえば、夏のあの件も、男バスに乱入したこともなんでも……結局は、私の意思に合わせてくれてるんだよな。
そんな彼を、優しいなーと思う反面……やっぱどこかで無理してるんじゃないかって思ってしまう。
現に最近も……勉強ばっかりしている私を邪魔したりは絶対にしないんだ……
「ね、どれにする?」
「え?あ、えーっと……」
すっかり物思いにふけっていた私は、改めてメニューに目を向ける。
……どれもこれも、おいしそうなカフェメニュー(2人で1セット)…………
いろんなものに目移りしている私を見る蒼井君の視線に、ハッと気づいた。
もしや……また合わせようとしてくれているのか!?
「あ、蒼井君がデザートプレート決めて!」
「え?なんで?」
「ど、どれもおいしそうで決めらんないからさ!」
たまには彼の意見も聞いてみたい、と思った私は咄嗟にそう言った。
「んー、そだなー……実は俺もいろいろ目移りしちゃっててさ……」
……といいつつ、じっくり見ること数分……
「……この、“ティラミス&フォンダンショコラプレート”でいいかな?」
「ん、もちろん!」
ティラミスはイタリア生まれのスポンジにコーヒーをしみこませたキューブケーキ、フォンダンショコラはオーソドックスなチョコレートケーキ。
なんともビターな選択……そう思いながら、注文を済ませた。
―――……
それから、俺は沙彩さんと他愛もない話を続けた。
最近すっかり周りは受験モードだ、とか、昼食のときも勉強道具を手放さないとか。
教室の一角に、4人で集まってだべりながら弁当をつついてるかパンをかじっているか……の俺たちにとっては、まさに未知の世界だった。
……そういや最近、屋上で弁当食べる機会ってあんまないよな。
前……それも、付き合うよりも前にはよく、東郷先輩たちを交えて一緒に食べたりしてたのに……と、ふと思い出していると……
「いてっ……」
目にたとえようのない痛みが走った。
「え、何?どしたの?」
「……ごめん、ちょっと席外す」
心配する沙彩さんに一言断り、左目を覆ってトイレへ向かった。
「よっ!コンタクト・ズレ男くん!」
トイレの洗面台で、ズレたコンタクトを外し洗っていると……まさしく、といったネーミングで、用を足している1人の男が呼んだ。
制服が違う……その男が着ているのは、ネイビーのブレザー。地元の東野高校のものだ。
「えっと……誰?」
その声に全く聞き覚えがないのにプラスして、今視界は着用しているものが分かるくらいの若干ピンボケ状態。誰なのかさっぱり分からない。
「……っと、そか。そーゆーことになんのか……」
おそらく彼が悟ったのは、俺の高校生以前の記憶がほぼないことを指しているのだろう。
つまり、彼はきっと東野中での元同級生。なれなれしいことから、結構親密にしていた仲だったのだろう。
「俺、伊藤ヨウヘイ。お前とは中2と中3で一緒のクラスだったよ」
ズボンのチャックを閉め、こちらへ向かいながら自己紹介してくる。
伊藤ヨウヘイ……か。当然だが、全く思い出せない。
「お前も災難だったなぁ……卒業する門出の日に、事故に遭うなんて」
……そんなヤツから、聞いたことのない事実が告げられた。
「まぁ、そのおかげで……すばらしい宝物を手に入れたわけだけどさ、俺は」
呆然とする俺の肩を二度たたくと、じゃあな、と言ってその男は出て行った。
「卒業する……門出の日……」
その日に……俺は、記憶の全てを失ったのか?
噂や話をたどると……まるで、人間失格のような烙印を押されたような、その記憶を。
そして、なんで事故に遭った?俺の不注意か、それとも……
ループに陥りそうになったとき、ハッと我に返った。
そうだ。今は思索するときじゃない……大事な彼女と過ごす、貴重な時間を止めているんだった。
指の上に載っていたコンタクトを再び目に入れて、次からはズレないでくれよ……と念を押した。
―――……
どうしたんだろう、急に目押さえて……
まさか、網膜剥離!?いやいや、だったらあんな冷静に謝ることなんてできないはず……
目の前に置かれたケーキやジュースを見ながらいろいろ心配していると……ふと目の前に、ある人物が座った。
「久しぶりです……杉浦先輩」
……白い肌、リボンの髪留めでくくった髪に大きな目……
「……咲良……ちゃん」
以前のやつれた姿とは打って変わって、元気そうな笑顔でニコニコ笑みを浮かべていた。
「今日は、ひ……いや、蒼井君と来ているんですか?」
「……うん。今ちょうど席外してて……」
「ぐーぜん!私の彼氏も今ちょうどトイレ行ってるんですよー」
……ん?“私の彼氏”?
「咲良ちゃん……彼氏いるんだ?」
「はい!中学のときの同級生で……」
「そう……」
……一般的に言ったら、罪のない女の子から彼氏をとった立場の私。
おめでとう、とも、よかったね、とも言えないでいた。
「もー、やだなー!そんな顔しないでくださいよ!」
そんな私の顔を見るなり、咲良ちゃんはペシッと私の肩をたたく。
「今の彼氏、中学のときからずーっと私のことが好きだったみたいで……蒼井君と別れてからいろんな人と付き合ってきましたけど……そんな人たちよりもずーっと、私のこと大事にしてくれるんです!蒼井君よりもずっと!」
そう語る咲良ちゃんの顔は、本当に幸せそうで……私はやっと、笑顔を作れた。
「だからね……私、杉浦先輩に嫌われなくちゃなんないんです」
「……え?どういうこと?」
「本当は私……あなたには、嫌われなくちゃならない存在なんですよ」
そう言って浮かべた笑みは……さっきの幸せいっぱいなものとは、全然違った意味を含んでいた……
「蒼井君の記憶がなくなっちゃったのは……―――私のせいなんです」
―――……
それから、トイレから東野高校の制服を着た男の子が来て、咲良ちゃんはすぐにカフェを出て行った。
それまでに、何度か彼女から言葉をかけられたが……はっきり言って、よく覚えていない。
ただ分かるのは……咲良ちゃんが何らかの理由で蒼井君の記憶喪失に関わっていること。
そして……仕方がないけど、どこかで私を憎んでるってことだ。
「ごめんごめん。ちょっとコンタクトがズレた」
数分後、彼の声でハッと我に返った。
「お、おかえり!あ、コンタクトしてるんだ?知らなかったー」
「うん。なんか最近視力落ちてさ……あ、来てんじゃんケーキ。先食べててよかったのに」
「うん……」
華やかに皿の上を彩るティラミスとチョコケーキ。
それの盛り付け方を、蒼井君は「うっわ、スゲー」って言いながら眺めている。
……可愛い、愛しい、大好き。
そう思う気持ちが募っているから……余計に、過去を知りたくなる。
どんな性格で、どんな人生を辿ってきたか……
不思議なものだな。これまでの約17年間なんて、人生における2割ちょっとなのに……それすら、知りたくなるなんて。
「……蒼井君」
「ん?何?」
不意に呼びかけ、改めて気づいた。
この人は、記憶がない。
だから、過去を聞くことさえ困らせることになるのだ……って。
なんでもない、とかぶりを振ると、食べようと促した。
―――……
カフェを出てから、商店街をぶらぶらと歩き回る。
雑貨屋、CDショップ、本屋さん……とにかく、どこに入ってもきらびやかなクリスマスソングが流れていた。
蒼井君は、飽きることなくずっと笑っていて……それを見るだけで、幸福な気分になれた。
制服でこんな風にデートをするのは……あと、何回ぐらいだろうか。
そう思いながら、家路へ着く……
―――……
「あー、なんかあっという間だったなぁ……」
東野駅に着いて、蒼井君が家まで送ってくれる……
かれこれ数ヶ月続いている、こんな習慣の中でも、やはりクリスマスという街の雰囲気が少し感じを変えていた。
「もう8時か……かれこれ4時間は歩き回ってたかもな。疲れてない?」
「んーん、全然。帰ってから3時間は勉強できるよ」
「……あんま無理すんなよ。頼むからさ」
「……ん、分かってる」
そんなこと言われると、4時間でも5時間でもがんばれそうな気がする。
ニヤける顔を逸らしながら、不意にこう聞いた。
「蒼井君は決まってんの?志望校」
「…………」
答えが返ってこない……ふと蒼井君の方を見ると、隣に彼の姿はなくて。
後ろをみると、うっすら雪につつまれた地面を見ている蒼井君がいた。
「……蒼井君?どしたの?」
「……ああ、ごめん」
私が声をかけると、蒼井君は少し走って私の隣に来た。
「実はさ、候補はあるけどまだ決まってないんだ。……どこの大学も条件よくて」
「……そっか。まぁでも2年の冬だもんね、まだ大丈夫だよ。てか、蒼井君の素行や成績だったらどこへでも入れるじゃん?」
「いや、分かんねーって」
「えー?じゃあ、候補ってどこなの?」って聞こうと思った矢先……
「……っと」
彼は雪に埋もれていた石につまづきそうになって、体が前に傾いた。
「あっぶね……やっぱ夜の雪道は何があるか分かんねーな……沙彩さんも気ーつけて……」
「気ーつけて……じゃない!ちょっと待ってて!」
私は、ショッピング袋をあさり……黒い手袋2つを取り出した。
手を出すように促すと、その2つをその手にはめる。
「……よかった。ピッタリだ」
その両手を握りながら、蒼井君の顔をキッとにらむ。
「蒼井君!ポケットに手つっこんだまま歩いてて、さっきみたいにつまづいて手つかずにこけたりしたら鼻の骨折ったりして大ケガするよ!」
さっきもだけど……学校を出てからずっと、蒼井君はポケットに手をつっこんで歩いていた。
渡すタイミング、ちょっと違うかもしれないけど……まぁいい。
そんな私を見て、蒼井君はキョトンとしてたけど……
「……これ、くれるの?」
「もちろん!なんていうか……クリスマスプレゼントだよ。これを機にポッケ族卒業しな……」
言い終わる前に……蒼井君は、ふわっと包み込むように私を抱きしめた。
「ありがと……すげぇ嬉しい」
……とても、優しい声だった。
お返し、と言って、蒼井君がくれた小さな箱の中には……ブレスレットが入っていた。
かわいいリボンつきのもので……買うの恥ずかしくなかったのかと聞くと、気にすんなって照れながら答えてくれた。
―――お互い、何も知らずにただただほほ笑みあっている。
そんな関係が……もうすぐ終わってしまうなんて。
雪の上についた足跡のように、その日が近づいていることに……私たちは気づかぬままだった。
ずっと一緒……そんな、淡い願いしか、頭になかったんだ。