第100話 数ヵ月後の後悔
「ハァ―――……」
カラオケのドリンクバーで、場違いもいいところ……盛大なため息をついて、しゃがみこんだ。
ああ、下手、下手すぎる……もはや雑音でしかない。
クラスでの体育祭打ち上げの二次会に、最後だから……という理由で参加した私。
お忘れでしょうが、声楽部(全員女子部員なので女声部とも呼ばれる)に所属しているもんで……部活仲間としょっちゅうカラオケには来ていた。
夏姫や杏里とも来ていたなぁ。
しかし、いずれも聴く曲はかわいらしいアイドルソング、切ないバラード……そういう、女の子っぽい曲ばかりだった。
つまり……免疫がついてなかったのだ。男子の曲、そして男子の歌声に……
「うぉらぁぁぁぁ!!!いくぞオメーらァァァ!!!」
「うぉぉぉぉぉ!!!!!」
普段若干大人しめな男子たちが奏でる……というか叫ぶ、ヴィジュアル、ロック……
さらに言っちゃ悪いが(もう言っちゃったが)……下手な声が生み出すバラードは殺人レベルだった。
青春の真っ只中にいる海宮高校3年A組男子のカラオケに対する過大なる熱意、おかしい方向への価値観を甘く見ていた。
彼らにとって、カラオケとは……ストレス解消の場。騒いだもん勝ちってことなのだった。
加え、つられて女子もそういう系に走っちゃったもんだから……もう、完全なる無法地帯。
そっから抜け出して……今に至る。
「今何時だろ……って、まだ8時!?」
一次会の食事はレストランの大広間で8時から始まり……二次会場には7時半に着いて……
かれこれ、1時間は聴いてたつもりなんだが……アインシュタインの言う時間感覚は、ある意味当たっているのかもしれない。
「ハァ。やだなぁ戻るの……」
まるで、彼氏とのデートを終えて帰りたくないと思う彼女の気持ちだ……なぜなら、家には闇の歌声が響いているからだ。勘違いしないでほしい。
意味分からない思考ループに陥っていたが……
「大丈夫っすか?気分悪いんすか?」
不意にかけられたその一言で、ドリンクバーのすみでうずくまっている現実に戻った。
私を心配そうに見つめる相手は……
「……あ、蒼井君!?」
「沙彩さんじゃん!」
ああ、あまりにも深いループだったせいか、幻でも見てんだろうか。夢でも見てんだろうか。
……いやいや、違う違う。夢や幻だったらもっと他の場所で見るだろう。
こんな、他の部屋からの歌声が漏れ、換気があまりなされていな場所じゃなくて。
「何してんの?こんなとこで……あ、歌いに来てるんだったら決まってるよな……」
「うん、火事場から非難してきたんだ……ハハ…………」
よっこらせ、と立ち上がった。
「蒼井君は?」
「ああ、リレー1位記念でバスケ部のヤツらと打ち上げだよ」
「そっか……いーね……やっぱカラオケは気心が知れた仲間と来るもんだよ……」
自嘲的になる私を見て、何があったの?って聞かれるもんだから正直に話すと……
「……じゃーさ、こっち来ない?」
「あ、さーやちゃんだぁっ!!」
部屋に入るなり、抱きついてきたのはキョン。
「さーやって……あ、蒼井先輩の彼女っすか!?」
「うわ、キレー……でもやっぱ涼二にそっくりだな!!」
もの珍しげに見るのは、橋田槙村。
「あ、杉浦先輩。お久しぶりです」
丁寧に挨拶する田中……他もろもろ。
ちなみに、メンバー変更は蒼井君がやってくれて、私は一度元の騒音部屋に戻り……
責任者(男子学級委員)の前で、こう言った。
『ツレがいたので部屋移動させてください』
『は、はいっ!』
……で、部屋移動が完了された。
多少わがままだとは思うが……許してほしい。
でもやっぱ……いいな、ここは。
知り合いもたくさんいるし、適度にゆったりしていて……そして何より、みんな歌がうまい。
落ち着いている人が多いのか、はたまた時間帯の問題か、バラード系のものが多くチョイスされていた。
……など、履歴を見ながらぶつぶつ呟いていると……
「あの……」
「ふぇっ!?」
いきなり気配を感じ、ヘンな声が出た。
クリクリした目に似合うショートカットの女の子……誰だろう。1年生かな?
「3年A組の……杉浦沙彩さんですよね?蒼井の彼女さんの」
「ああ、はい、そうですが……」
「私、蒼井と同じクラスで女バスの三笠奈緒と申します。以後、お見知りおきを」
お、お見知りおきを……なんて言葉を遣う女子高生、初めて見たぞ。
なんか……誰かに似ている。あ、そうだ……田中だ。この高校生離れした言葉の使い方、そしてどこか威圧感のある感じは。
と思っていた矢先、
「あちらの田中李緒とは双子の兄妹でして……一昨年両親が離婚して、私が三笠姓になったのです」
「あ、そうなんだ……なんか大変だね」
「いえ、別に……元々別居していたようなものですから」
……ああ、ヤバい。しんみりした空気に加え、ここだけ言いようのない雰囲気に……
しかし、そんな雰囲気も「奈緒ーっ!ちょっとこっち来てー!」というキョンの声によって消え去った。
改めて周りを見渡してみる。
メンバーは私、ペコリと頭を下げてキョンのもとへ行った奈緒ちゃん。
「イッキいきまーす!」とか言って、コーラのイッキ飲みをしているキョン。
難なく飲み干すキョンを、「センパイスゴイっすー!」と盛り上げる槙村、橋田、その他の1年生男子2人。
熟睡している田中、その隣で(今日失恋したらしく)涙ながらにEX○LEのバラードを歌う男子に、そっと備え付けのティッシュ箱を差し出す蒼井君……の、総勢10名。
学年別にしてみると、1年4人、2年5人、3年1人……という、状況である。
曲を歌う順番は(あらかじめ決めていたらしい)ローテーション。紙に書かれてある。
飛び入り参加の私の名前が割り込まれていて、そして次の次が私なのだが……
「うーん……何入れよっかな……」
改めて機器を目の前にして考える。
空気的にバラード系だからバラードを入れるべきか……それとも、あえての明るい曲でいこうか……
いやしかし、周りから見て私はどんなイメージなのだろうか……はてさて明るい曲は合うのだろうか……
「悩んでんの?」
「んー、結構……」
奈緒ちゃんと同様、いきなり話しかけられたが……聞きなれた蒼井君の声だから、驚かない。
空気を読むべきか、変えるべきか相談してみると……
「んな重く考えなくてもいーよ。カラオケじゃん?」
……そんな、原点に帰ってみると当たり前のことを思い出させてくれた。
「……そっか。そーだよね……カラオケは考えるもんじゃないよね、楽しむもんだよね」
「そうそう。……あ、ひとつリクエストがあんだけど」
「え、何?」
蒼井君のリクエスト……それは、私がよく鼻歌で歌っていた曲だった。
洋楽でロック、足踏みと手拍子がBGMでギター以外の楽器を使わない70年代の曲……を、私が好きな海外女性アーティストがカバーした曲。
いきなり日本語以外の歌詞が聞こえたせいか、全員こちらに注目したもんだから……ちょっと緊張しながら歌った。
しかし……
「さーやちゃんカックいーッ!!」
「ヤ、ヤベェ……大翔よりイケメンに見える……」
「洋楽歌えるとかすげーなぁ!」
「てかもう、蒼井先輩の彼女歌うますぎっしょ!!!」
……と、結構盛り上がってくれたので……まぁ成功かな。
「やっぱ歌うまいね沙彩さん」
「まぁね……声楽部だしね……」
火照る頬をグラスで冷やしながら聞いた。
「てか、蒼井君曲何入れたの?多分、順番もうすぐだよね?」
「ああ、うん……まぁいいじゃんか」
「えー?なんで渋るの?まだ決まってないの?」
私と同様、炭酸が飲めない蒼井君はウーロン茶を飲みながらはぐらかそうとするが……
さっきの歌で妙にテンションが上がった私は、しぶとく聞く。
「……だって歌とか、ほとんど知らねーもん」
すねたようにそう言う蒼井君。
……ああ、そうか。忘れかけていたけど……彼は高校生以前までの記憶がないんだった。
当然、その時その時で一世を風靡した曲など、覚えてるわけがないんだ。
「まぁでも、こう見えて好きなアーティストは何人かはいるからその中から選ぶよ。曲はお楽しみってことで」
「ふーん……じゃあ、楽しみにしてる」
とにかく、それ以上言及するのはやめて……今歌っている人の歌を聴いた。
歌い手は田中……曲は驚くことに、90年代を風靡した女性のアイドルの曲だった。
―――……
「あーもー、納得いかなーいっ!!!」
そう言って、終電の中で叫ぶキョン……
うとうとしていたお兄さんを派手に起こしてしまい、(なぜか)私が謝った。
「キョン、一応終電なんだからおとなしく……」
「だってさー、なーんでキョンが最下位なわけ!?」
「そりゃーキョン、音程全然合ってないもん。採点は甘くないよ?」
「そーだけどさー……それよりもっと気に喰わないのが、蒼井、アンタだっ!!!」
ビシッと指を蒼井君に指す……が、蒼井君は熟睡中だ。(キョンが大騒ぎしているにも関わらず)
「イケメンでモテて頭もよくて運動できてキレーな彼女もいるくせに、カラオケでも1位とはナマイキなっっっ!!!」
「キョン……それはあなたが言うセリフなのかな……完全に同性への僻みじゃん、それ」
ちなみに1位、最下位、とはカラオケの採点ゲームのこと。
蒼井君は1位(95点)で私が2位(93点)、キョンが最下位(45点)だった。
……まぁ、僻むのも無理ないくらい蒼井君は歌が上手かった。上手かった。
音程、抑揚、声量……全てにおいてパーフェクトだったのだから。
「さーやちゃんも大変だねぇ……こんな完璧な彼氏持って。キョンなら絶対やだよー……女子からの僻みとかすごいんじゃない?さーやちゃんが3年でまだよかったものの……」
「……何言ってんのかな?キョンさん」
キョンの言葉をさえぎり、私は続けた。
「私はさ、この人が完璧だからって理由で好きになったんじゃないよ。そりゃあ僻まれることも多少はあるけどさ……絶対私には敵わないだろうって思うよ。ちょっと自信過剰っぽいけどさ」
想いは人一倍強い……そんな自信が、私の中ではある。
私でよかったのだろうか、他の人はどう思うだろう……そう考えるのはやめた。
「それに、完璧な人間なんていないんだと思うな。蒼井君は隠しているだけかもしんないけど……絶対悩み抱えて不安定になる時もあるだろうしさ。そういう時はバランスとるように助けたいって思ってるよ」
一方的にそうしゃべり続け……キョンのじっと見つめる視線にやっと気づいた。
「な、何?」
「いやー……さーやちゃん、タフだなーって思って……あと蒼井にベタ惚れだなーって……」
「……うっさいなぁ。ほら、降りる駅もうすぐじゃない?」
照れからか、キョンを急かす仕草をする。
「へへっ、さーやちゃんにもかわいーとこあんだねー」なんて言いながら、キョンは降りる準備を始めた。
「でもさ、僻みでイジメとかになったら絶対言ってよね?シメとくから!!んじゃねー」
「ん、よろしくたのんます」
キョンってば、心強いな……もうしばらく時間かかるな……そう思っているうちに、にわか睡魔がやってきた。
―――……
すみません、全部聞いてしまいました。
そう言ったら、怒るだろうな……
そっと目を開けると、今度は沙彩さんが眠りについていた。
電車が揺れるたびに、ゴンゴンと寄りかかっている壁に頭をぶつける沙彩さん。
自分の肩に預けさせると、ようやく落ち着いた。
何回目だろうな……こういうの。
そう思うと、なんだかふわふわした気分になる。
……ふと、さっきの言葉を思い出した。
“「それにさ、完璧な人間なんていないんだと思うな。蒼井君は隠しているだけかもしんないけど……絶対悩み抱えて不安定になる時もあるだろうしさ。そういう時はバランスとるように助けたいって思ってるよ」”
……本当、なんでもお見通しにされている、って感じだ。
最近、ずっと考えている……留学のこと。
カイジやユウヤ、シゲオや両親には洗い浚い話したけど……沙彩さんにはまだなんだよな。
なんか相談するってなると、やはり頼りにしてるのが見え見えで……いかにも“年下”って感じがするからだ。
決して、沙彩さんが頼りないから、とかではない。
頼りにしている自分にガッカリさせたら……と思うと、怖くてしかたがない。
でも……“不安定になったときはバランスをとってあげたい”と思ってくれているのなら……話してみようかな。
「……3-A男子…………ロックとヴィジュアルの応酬…………」
「……なんだそれ」
意味不明な寝言にツッコみながら……いや、まだもう少し後でいいか。そう思った。
だって、まだあと1年半も卒業まで時間があるわけだし……今じゃなくても、いいよな。
そう自分に言い聞かせながら、再び目を瞑った。
―――あの時、もっと早く伝えておけば……
数ヵ月後の俺は、ひどく後悔することとなる。