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作者: 青原匠

 僕は雨が好きだ。

 いつもは遥か遠くにいて手も届きそうにない空が、雨の日にだけ身近に感じる。

 田舎の澄んだ綺麗な空の匂いも、都会の汚染物質塗れの汚い空の匂いも、すべてが雨によって地上に降り注ぎ、その地にいる人の鼻腔をくすぐる。

 だから僕は雨の日は機嫌がいい。梅雨入りした今では尚更だ。

 でも学校の皆は違う。

 髪の毛のセットが崩れるだとか、お気に入りの服が濡れるだとか、そんな雨への嫌悪感を隠さない言葉が飛び交う。


 僕はそんな言葉が嫌いだ。

 だけど僕がマイノリティだってことは自認している。

 だからわざわざクラスメイト達に反駁したりするのも無意味だと思い、雨の日はクラスメイト達の言葉をできるだけ耳に入れないように学校を遅刻する。

 かと言って、そんな理由で親が僕の怠慢を許してくれるわけもないから、せめて親の前での体裁だけでも登校するために僕は学校へと向かうフリをし、そして学校を通り過ぎる。

 こんな雨の日の日常を、梅雨の時期では何回もリフレインすることになる。


 学校を遅刻することで迫る期末テストへの対策が疎かになる懸念や、先生が向けてくる厳しい視線が全く問題ないというわけでは無い。

 ただそれ以上に僕の雨への愛情と、その愛情を逆撫でするような発言への対処が、僕の心を広く占有しているのだ。




 そして今日も僕は雨の日の日常を送っている。



 ◇



 ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ……


 歩道の割れ目に溜まった水溜まりを、合皮のローファーで踏み潰しながら歩く。

 ふと空を見上げると、少し骨の折れているビニール傘を通して見える景色は黒い雲に覆われていた。

 そんな雲の下、僕以外の道行く人々は濡れることに嫌悪感を抱いているのか生き急ぐように歩いている。

 いや、僕以外と言えば語弊があるか。

 僕と彼女以外だ。




「なんでそんなに急ぐんだろうね。急いでたどり着いた先に何か待っているのかしら」


 歩道の車道側にいる彼女が呟く。


「さあ。きっと皆には使命があるんだろう。学校をサボっている僕らとは違ってね」


「確かにそうかもしれないわね」

 

 朝から学校で眠りこける同級生達への皮肉を少し込めたつもりだったが、彼女は素直に返答した。もっとも、ただ単に僕の返答に興味がなかっただけかもしれないが。もしそうなら自分から話をふっておいて酷薄な奴だなと普通は思うかもしれないが、別に僕と彼女の間柄では特段大きな感情は生まれない。意味ある会話も別に生まれない。

 彼女と僕は、雨の日に少し関わりを持つだけの間柄だ。

 もう少し具体化すると、僕が雨の日に学校を休み目的地もなくぶらついていると、いつも彼女が僕と同じように歩いていた。そして彼女も僕に対して同じような感情を抱いてたのであろうか、梅雨が進むにつれて成り行きで知り合っていった。そんな間柄である。

 知り合ったと言っても、どこかで見たことあるようなないような、そんな特徴のない制服を纏った彼女の名前を僕は知らない。彼女も僕の名前は知らないだろうけど。

 でも別に深く知りたいとは思わない。ただ雨の日に感じる喜びの裏で、僕の理解者の欠如に対して少しだけ燻っている負の感情を抑えて欲しいだけだから。そして彼女も同じようなことを思っていると僕は信じている。






 雨を嫌った人が押しかける、高架の上を走る電車。

 雨を嫌った人が渋滞を発生させる、テールランプを光らせる車。

 雨の日は全てが綿密に設計されたギアのように動いている、機械仕掛けの世界だ。

 僕と彼女だけがそんな世界から疎外されている。


 そんなことを頭の中で考えていると、


「なんだか、私と君だけが別世界にいるみたいね」


 彼女は淡々と僕の目も見ずに言ってきた。


「そうだね」


 僕もそれに淡々と返す。でも、思ってた通り彼女が僕と同じような思考回路をしていたのだと分かって、なんだか少し嬉しかった。多分僕が猫なら、少しだけ尻尾を立てていたかもしれないくらいには。



 そんな感情を持ちながら彼女と歩いているとそれなりの時間が経ち、完全に学校をサボることはしないという変なところで真面目な僕達はいつも通りに流れで分散した。



 ◇



 朝目が覚めると雨が降っていて、脳が眠くても僕の心は踊っている。


 今年の梅雨は少し長めで、7月の第3週だというのにまだ続いていた。天気予報はあまり見ないから、いつ終わるかは分からない。


 そして僕と彼女の関係はというと相変わらず変化はなく、今もさしずめ孤独回避のための互助会みたいに、特に大した会話も交わさずに雨の町を歩いている。

 すると、


「ねえ、」


 歩道の奥側にいる彼女が、いつもと違って僕の目をしっかりと捉え、捉えがたい感情を持った声で僕の意識を向けさせた。


「なに?」


 僕も彼女の目を見て、そう尋ねる。


「いや、やっぱりいいや。なんでもない」


 そしたら彼女は目を逸らしながら、前言を撤回した。

 何か少しの違和感はあったけど、どうせいつも通り他愛のない話をしようとしたんだろうと、そう結論づけることにした。


「わかった」


 僕も彼女じゃなくて前を見て頷き、また暫く歩き続けた。




 そうしているうちにいつも通りの時間帯になって解散となり、お互いの進路方向へと歩き出したそのとき、彼女は僕の目を見て、


「さっき言おうとしてやめたこと、やっぱり明日に言うね」


 と、どこか決意をにじませたように言ってきた。

 僕はそんな目線を捉えながら首肯した。



 ◇



「〇〇県は今日をもって梅雨が明けました」


 眠りから僕の意識が覚醒し、いつものように食卓に向かうと親が惰性でつけている朝の情報番組から、そんな音声が聞こえてきた。

 キー局の若いアナウンサーが顔を綻ばせ、晴れ渡っている空を歓迎している。これだから天気予報はあまり好きになれない。


 でも今日が梅雨の終わりで晴れているというのは事実だ。久しぶりに1時間目から学校に参加しないといけない。

 昨日の彼女との約束は気がかりだけど、きっと彼女も今日は学校へと直行するだろう。


 そんなことを考えながら、僕は朝ご飯の食パンにかじりついた。



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