36頁 神殺しの剣
神名。神々の御名。
一般では知られることも呼ばれることもない神の本当の名前。
信奉者が神へと祈りを捧げる際に口にするものとは違う、隠された秘名。
確定されたその存在は確定されているが故に、その身を確かなものとされる。
そして、全ての力を振るうことが出来るという。
虚実的存在から実的存在へとその存在が固定される。即ちそれは――
“わたしの神名を呼んでくれるとは、どういうサービスなのかね? 今でも十分君たちを滅ぼすに値するが……”
神本体の降臨。
化身などという仮初の存在ではなく、その本体を晒すということは、確かにそこに在るということだ。
であれば理論上、絶対抵抗権があるとは言えど、その存在を滅ぼし得る。
この世界で唯一神を殺すことの出来るタイミングだ。
「ナイアルラトテップ……!」
「それが、あやつじゃ。無と有が混在する矛盾した不確定な存在。企画進行にして、主神イーアルーの本来の姿……」
“くっ、くくくくくくッ! はははははは――! その名を呼んだか! 呼んでしまったな! 感謝しよう。これでこのような化身に身をやつす必要もなくなった――!”
ナイアルラトテップの姿が変異していく。
都合の良い新世界から分離、溶け落ち、残ったものは黄色い原形質と粘液に包まれたナニカ。
冒涜的、邪神的、そんな言葉では表しきれない、決して人が目にしてはいけない存在。
その名を呼んでしまったがこそ、降り立つ神の一柱。
「エイク! これは直視するでないぞ! 本当に持っていかれるからの!」
「あ、ああ……」
「汚ねぇ見た目だなおい!」
ドロドロと広がってゆく脳漿にも似た混沌。
触れただけで、生物を死に至らしめる悪意。
「お、お師匠様……最後、最後に一つ視えました。アレの弱点……いえ、天敵といえるものまでもが……」
エイクは僕にそっと耳打ちをした。
奴を打倒する術を、神殺しを成すための方法を。
「そんな事までわかるのか……ヤバイなその眼。解析眼とでも言うべきか?」
「お主はセンスがないのう……うむ、エイクのその能力は真実を見通す瞳とでも名付けようかの」
悪かったなセンスなくて。
だが、これで……
僕はペンを取り出し、手に持つ紙片へ広げた。
とある文章、その内容を書き込んでいく。
懐に入っていたこれはただの紙じゃない。
“遺書でも書いているのかね? まぁいい……この姿を見たものはもれなく滅すると決めているのだよ。殺すのではない。消滅だ。復活の兆しすら与えん。その身その魂もろとも完全消去してくれる――!”
「エイジング、時間を稼げ! これが完成するまで何とかしろ!」
――書け! 書け! 書け!
紡がれる古の文。僕の能力がそれを後押しする。
「無茶言うのお主!? 何か逆転サヨナラ弾があるんじゃな?」
「おう!」
――写せ――模倣しろ――書き綴れ――!
完璧でなくていい。完全である必要はない。そして本物でなくともいい。
「はぁ……我は本来、こんな本気出すようなキャラではないんじゃがのう……。じゃが、言われたからには何とか食い止めてみせよう。具体的に何秒ぐらいじゃ」
「二分!」
――見たものを、読んだものを、識ったものを!
持っている知識を必要なだけ汲み出す。
「長すぎるわたわけ!?」
“わたしも舐められたものだな。今の君ごときがどうにか出来るとでも言うのかね? 十全となった、始まりが一柱であるこのわたしに!”
「何とかせねばならんのが我の辛い所じゃな……、アミタはそこにおれ、ウィルとエイクを頼むぞ」
「エイジング様……」
「往くぞ!」
エイジングがニャルラトホテプに向かって駆ける。
いつものエイジングを遥かに超える、魔力量が溢れ出る。力が戻りかけているというのは本当らしい。
僕はなおも書き連ねていく。
あの時、あの場所で読み覚えた知識の断片を――
「――【鋭角猟犬】! 【溶け固めよ】!! うははは! 今の我、ウリャウリャ度マックスじゃあああ!! 出でよ――【呪術の指環】!!」
虚空より現れた禍々しい指環を身につけるエイジング。
その瞬間、エイジングの魔力が周囲に迸っていく。
“むぅ! うっとおしいッ!!”
エイジングの猛攻が続く。見た感じではニャルラトホテプを圧倒しているようにも見えるが、その実、全くダメージには結びついていない。
「……エイジングさん、あんなに強かったんですのね。ウリャウリャ度とは何ですの……?」
「あいつの言ってることは話半分に聞いとけ」
――決して僕の指が、『執筆』が止まることはない。
「ほれもう一丁! ――【鋭角猟犬】! 【鋭角猟犬】! 【鋭角猟犬】!」
“狗ごときが! そんなものでわたしに敵うと思っているのかァ!”
「やっとこの領域に身体が馴染んできよったぞ! 我の能力、魔女どもの狂宴を舐めるでない! ──【最後の試練】!」
魔力により生み出された雲色の鎌が、ニャルラトホテプへと襲い掛かるが、寸でのところで弾かれ霧散する。
エイジングも、最初から届くとは思っていなかったのだろう。特に驚きもせず、不敵な笑みを浮かべてニャルラトホテプへの視線を外さない。
エイジングの最大火力とも言える猛攻ですら、ニャルラトホテプには一切届いていない。
これでは倒す倒さない以前の問題だ。
「今の我であれば、ミツ屋のチョコストロングパフェも四つは平らげられそうじゃ!」
「あ、あのミツ屋のチョコストロングパフェを……四つもですの!?」
「エイク、ノらんでいい」
――斯くて
“残念ながら、それでもわたしに傷の一つも付けられてはいないぞ。もう打ち止めかね”
――斯くてその書は
「火力どうこうという話ではないからの……ほんに、新月でないことが悔やまれる」
――斯くてその書は今ここに
“新月……そうだな。確かにわたしも危なかったかもしれないな。だが、現実は非情というものなのだよ”
――斯くてその書は今ここに完成した
「ああ、現実は非情だな」
僕は書き上げたその書を掲げる。
古びた紙片に書かれたとある一節。
そこに刻まれているのは、とある神性の力を顕現させる呪文。
「……黄金の灯、輝ける炎フォーマルハウト。かの炎で以て眼前の全てを浄化せよ――――!」
“き、貴様――! その力はまさか――――”
掲げられた紙片。
眩い光を放ったと思ったそれは、緋色の炎へと姿を変え――朱い刀身を持つ片刃の剣へと姿を変えた。
強烈な神々の力が漏れ出すそれは、鉄をも溶かしそうな熱量を保っていた。
「こ、コルヴァズの剣――じゃとォォォ!?」
“なっ、な、何故! クトゥグァの力を貴様が――ッ!”
炎剣を握る僕を見て、あからさまに動揺するナイアルラトテップ。
それはそうだろう。奴が唯一恐れる神の力、その神性を宿すのだから。
「く、クラフトお主……クトゥグァの信徒――いやそんなはずはあるまい。あの神性は一切の信奉者を持っておらんかったはずじゃ……」
「『ネスタ―書簡』」
「ネスタ―書簡? 何ですのそれは」
神々が創り出した魔導書、古神魔導書。その一つにネスタ―書簡というものがある。
かつて、神代の預言者ネスタ―が『クトゥグァ』と呼ばれる神の力を借りながら綴った魔導書だ。
この魔導書は、非常に強力な炎の神、クトゥグァの力の一端を召喚することが出来るもの。
だが、その原本は既にこの世にはない。
“ネスタ―書簡、だと!? そんなはずは無い! それは既にわたしが――”
「完全に破壊してしまった、か?」
“その通りだ! 既にそれはこの世界、いや全宇宙を見ても既に失われた物だ! あの忌々しい炎の神……それに連なる物は全て消し去ったはずだッ! 故にそれがネスタ―書簡であるはずがないッ!! ましてや、コルヴァズの剣なぞ召喚出来るはずがないッ!!!”
「燃やされた記憶が甦るか? ナイアルラトテップ。お前が唯一恐れ、お前を唯一殺すことの出来る力だ。確かに、普通、そんな危険なものを放置しているはずがないな」
「そ、その通りじゃぞクラフト……しかしそれはどう見ても……」
「ああ、本物のコルヴァズの剣、クトゥグァの力だ」
“ありえん――! クトゥグァは彼の信奉者か、ネスタ―書簡で契約を結んだ者にしか力を貸さない! そしてネスタ―書簡は既に失われているッ!”
「ああ、失われている。だけどな、神様。失われたのなら、もう一度創作すればいいだろう?」
“は――――”
ナイアルラトテップが、気の抜けた声を出す。
奴の表情はわかりかねるが、もし見えたとしたら、物凄い間抜けな顔をしていたに違いない。
「クラフト、お主の能力であってもじゃ、単なる用紙に書いたところで――あ!?」
「だから、あれはゴミじゃないって言っただろ」
古びた紙片。あれはただの紙ではない。
偉大なる魔導書とも言われた、原初の魔本『ネクロノミコン』。その断章とも言える一ページ。
即ち古神魔導書の欠片だ。
僕が普段使っている白書はただの紙だが、あの紙片は紛れもなく古神魔導書だったもの。
その力を持っているのならば、より本物に近い──いや、本物を複製することが可能となる。
これが、僕がもつ能力、《結末のその先に》だ──
「僕の持つ能力は確かに書くだけのものだ。だけどな――書く、その一点だけは神をも超える能力と自負できる。古神魔導書とは言え、単なる預言者や神が書いたものだろ? なら、それが執筆の魔王である僕が書けないわけがない――!」
「古神魔導書の原本を作れるじゃと……そんなことがまかり通って良いものなのか」
「めちゃくちゃ、限定的だけどな。魔導書の媒体が存在し、かつ古神魔導書の内容さえ分かっていれば本物は創り得る。完全再現が出来ていれば、出来ていればクトゥグァ本体を呼び出すことも出来たかもしれない。だけどだ、今はコレさえあれば、十分だろう?」
右手に握るコルヴァズの剣をナイアルラトテップと突きつける。
“確かにそれは私の天敵とも言える。だが、何故私のそれを知っている……? それはエイジング君さえも知らないはずだ”
「私が確かにこの眼で視ましたわ! 貴方を構成する情報、その全てを……!」
「お前が侮っていた、人の力で逆転を許す気分はどうだ?」
“ぐっ、ぐぐぐ……”
ナイアルラトテップが歯噛みする。
今のあいつに歯があるかはわからないが。
ぐっ……“ああ、確かに認めよう。執筆の魔王。君の知識は、能力は脅威だ。……だが、君の腕では私に届かせることが出来るのか?”
「運動音痴も甚だしいクラフトでは無理じゃの」
「うるせーよ。だから僕はこうする――――アミタァ!」
僕は手に持っていたコルヴァズの剣を後方へと放り投げた。
紫電を纏いそれを受け取ったアミタは、残像をも残さないスピードでナイアルラトテップへと駆ける――




