矢切の鬼渡し・終幕
〈終幕〉
風が止み、視界が開けると、長義はコンビニのレジの前に立っていた。
「六百五十円になります」
店員が何事もなかったかのように、金額を告げてくる。
横を見れば、国広が不思議そうな顔をして長義を見上げていた。
「お客様?」
「ああ、いや、なんでもない」
長義は会計を済ませ、傘立てから自分達の傘をとった。
武器として振るっていたビニール傘は、傘立てで静かに持ち主を待っている。
長義が自分と国広の傘をとっていると、国広が長義のベストを引っ張った。
「ねぇ、にぃ。これ、にぃのふくにはさまってた」
そう言って差し出された掌の上には、黒い桜の花びらが一枚だけ乗っていた。
「……国広、帰ったらそれを貰えるかな。押し花にしたい」
しおりにでもして、使ってやろうと思った。
そうして常に目に入るようにすれば、あの本丸の事をできるだけ長く覚えていてあげられるだろう。
矢切国広に手を出した以上、暁の事を許すつもりはない。
だからこれは彼女の為ではなく、彼女を守ろうとした二振の為だ。
「うん、わかった」
「じゃあ、行こうか」
そうして二人は、傘を差して雨の中に消えていった。
〈後日談〉
それから幾ばくかの年月が経ったある日、長義は喫茶店で国広と待ち合わせをしていた。
窓際で本を取り出し、しおりが挟まれたページを開く。
しおりは黒い桜の花びらを押し花にしたもので、あの事件以来ずっと使いづけているものだ。
味の薄いコーヒーを飲みつつ、本を読んで時間を潰していると、外から子供の声が聞こえてきた。
「待て、暁! 走るな!」
窓越しに外を見れば、小学校に上がるかどうか程度の幼い女の子が走っていた。
その後を同い年ぐらいの男の子が追いかける。
ベースボールキャップを深く被っているため顔は分からないが、言動からどこか大人びた印象を受けた。
男の子は暁の肩を掴むと、自分の方に引き寄せた。
「車にぶつかったらどうするんだ」
「ここ、あるくとこだよ」
「曲がり角から出てくることもあるんだ。車は急には止まれない、だろ?」
長義は喫茶店の横に、片側一車線の道路があったのを思い出した。
喫茶店の裏にはパチンコ屋の駐車場もあり、車の出入りはそこそこ多い。
「切国の言う通りだよ、暁ちゃん。気を付けないと。
他の歩行者とか、自転車もいるからね」
二人に続いて、髪の長い子供がやってきた。
服装も可愛らしいので一瞬女の子かと思ったが、声の雰囲気からどうも男の子らしい。
切国や暁と同い年ぐらいに見えるが、その雰囲気は切国同様大人びている。
「みだれが、そういうなら」
「……乱には素直なんだな。俺の言う事を聞かないのは、写しだからか?」
切国が不服そうに、低い声でぼやいた。
暁、切国、乱、写し――次々と出てくる懐かしい言葉に、長義は改めて切国を見た。
帽子の下に、見知った顔があるような気がした。
「もう写しじゃないでしょ。切国は」
「……それを言うなら、切国でもないけどな。切も国も名前に入っていない」
どこかおかしそうにクスクスと笑う乱を、切国が軽く睨んだ。
ふと、切国がその視線を長義に向けた。
帽子から微かに覗く真っすぐな目は、やはり長義が知る彼によく似ている。
切国は長義に向かって軽く会釈した後、唇だけを動かして「せわになった」と言った。
読唇術で切国の言葉を理解した長義は、同じように唇だけで「どういたしまして」と返す。
それに気づいた乱も、長義に軽く会釈した。
「よし、じゃあ行こうか」
乱の言葉を合図に、三人は再びどこかに向かって歩き出した。
長義は、その背中が見えなくなるまで見送っていた。