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矢切の鬼渡し・始まりの終わり

〈居間〉

 居間も他の部屋と同様に質素なもので、食事をとるための長机、そこに備え付けられた座布団、小さな棚しかない。

 縁側へと繋がる襖は、何故か外されて無くなっていた。

 襖が外れている以外に異常は見られないが、怪異の数が他より多く、空気もどこか重たい。

「にぃ、ここやだ」

 国広が長義の服を掴もうとして、結局それは叶わず、仕方なく国広は長義に可能な限り身を寄せた。

「悪いね、国広。ちょっとの間だけ、我慢してくれ」

 この部屋で調べられそうなのは棚だけなので、長義は一目散にそこに向かった。

 都合よく棚には工具入れが収められており、その中からペンチを探しだし、乱のヘアピンを加工していく。

 時折寄ってくる怪異を撃退しながら作業を進め、なんとか調べたとおりの形にすることができた。

 国広はしばらくの間作業をする長義を見ていたが、やがてそれも飽きたのか、俯いて畳をじっと見つめている。

 そんな国広に作業が終わったことを伝えようとした長義は、慌てて口をつぐんだ。

 国広が泣いていた。

 声を出さずに涙を流し、静かに部屋を見つめている。

「国広? どうかしたのかな?」

 長義が戸惑いながら声をかけると、国広はゆっくりと顔をあげた。

 国広は呆けた顔で長義を見つめた後、「わかん、ない」としゃっくり混じりに答えた。

 涙を拭おうと両目を擦る小さな手が、空しくその体をすり抜けていく。

「なんか、さわったら、すごくいたくて、かなしくなったの」

 そう言って国広は、畳と畳の間を指差した。

 すぐには分からなかったが、よくよく目を凝らすと隙間に何かが刺さっている。

 隙間から覗く鉛色はどこか懐かしく、長義は刀の破片だろうと推測した。

 もしそうだというのなら、十中八九折られたという男士のものだろう。

 襲撃後に本丸は政府により清掃されたはずだが、その際に見落とされてしまったに違いない。

「泣かなくていい。その痛みは、お前のではないんだよ」

 長義はそう言って、国広を優しく抱き締めた。

 実際に触れることはできないので、それは形だけのものだ。

 長義はただ腕で和を作っているだけで、国広が空気のようにその中にあるだけ。

 長義はその事実をもどかしく思いながら、国広が小さくしゃっくりするのを聞いていた。

 やがて国広が完全に泣き止むと、長義は改めて破片を確認した。

 破片に残された強い思念が、国広に過去の記憶を見せたのだろう。

 恐らくそれは、長義にも起こるはずだ。

 その内容は、大体予想できる。

 長義は一つ深呼吸をすると、意を決して破片に触れた。


〈山姥切国広〉

 気が付くと、長義は食卓に着いていた。

 白い布で視界がかなり遮られていたので、長義は今自分が山姥切国広になっているのだという事を確信した。

 もっと正確に言うならば、その記憶を覗いているだけだ。

 布から覗く服は赤く、内番着を着ていることが分かる。

 机の上に並ぶ料理は酷いもので、魚は焦げ、味噌汁の中に溶けきらなかった味噌があり、米は明らかに柔らかすぎる。

 審神者も刀も、誰一人として台所に立ったこともなければ、誰かが料理をしているところを見たこともなかった。

 そんな米の研ぎ方すら知らない三人が、本と悪戦苦闘しつつ作ったのだから、出来栄えが悪いのも致し方なかった。

「相当時間かかってしまったからな。出陣は明日にすべきか」

 国広の前に座った暁が、うんざりした様子でため息を吐いた。

 こんのすけから就任初日の説明を聞き終えたのが丁度昼頃だったので、三人は二度目の函館出陣を前に昼食をとることにした。

 万屋で食材とアクセサリーケースなどの雑貨を買って、帰ってきたのが二時頃。

 そこからようやく厨に立ったのだが、慣れない料理に思いの外時間がかかり、今は五時を過ぎていた。

「そうしようよ。もー、ボク疲れちゃった」

 内番着姿の乱がそう言って、国広の隣に座った。

 三人揃ったところで、いただきます、と手を合わせる。

 その声をかき消すようにして、ガラスを割るような甲高い音が本丸中に響き渡った。

 それが結解が破られた音だと理解するより早く、襖が押し倒される。

 大きな音を立てながら覆いかぶさってくる襖を、二振の刀はすんでのところで回避した。

「乱! 主を連れて逃げろ!」

 国広は室内戦を得意とする短刀に主を任せ、自分は少しでも敵を足止めしようとした。

 手元に己自身である刀を出現させ、それで敵を切ろうとして――できなかった。

 もっと正確に言うならば、刀を抜くことすら、それどころか柄を握ることすらできなかった。

 懐に飛び込んだ短刀が、国広の体を貫いたからだ。

「……ッ!」

 鋭い痛みに国広は顔を歪めながら、懐で刀を加えている時間遡行軍を見下ろした。

 赤いジャージに、似た色をしたシミがじわじわと広がっていく。

 短刀が刀を引き抜く。

 刃を捻らせることで傷口をさらに開き、同時に内蔵を傷つける。

「がはっ……!」

 肺を満たした血液が、空気と共に一気に吐き出される。

 全身から力が抜け、国広はうつ伏せに倒れた。

 左手が握りしめていた刀が、乾いた音を立てて落ちていく。

 それでも尚戦おうと、必死に体を動かそうとした。

 しかし何度脳から命令を出しても、体はそれを拒絶する。

 国広が動かないことを確認した時間遡行軍が、真っ赤に染まった短刀を咥えて通り過ぎていった。

 呼び止めようとして、代わりにヒューヒューと頼りない呼吸音だけが漏れる。

 パキパキと乾いた音を立てて、人間の体と本体両方にひびが入った。

「……ッ、…………ッツ!!」

 ひび割れる度に引き裂かれるような激痛が走り、国広は声にならない叫びをあげた。

 遠くで乱と暁の叫び声がして、国広はただそれを聞いているしかない己を呪う。

 主のために敵を斬る――それが刀だ。

 しかし国広は主を守るために時間を稼ぐことも、敵に一太刀浴びせる事すらできなかった。

 ――何が、国広の傑作だ。これじゃあ、ただの鉄屑じゃないか。

 視界がぼやけていく。

 人の体を得たばかりの国広は、それが涙のせいだと気づけない。

 最後にパキンと音がしたかと思うと、本体が粉々に砕け散り、山姥切国広の体が消えた。


〈居間〉

「にぃ、だいじょうぶ? にぃもいたいの?」

 気が付けば、矢切国広が長義の顔を覗き込んでいた。

 長義は大丈夫と言おうとしたが、呼吸が荒く、上手く喋ることができない。

 代わりに笑って誤魔化そうともしてみたが、顔の筋肉が強張ってそれも叶わなかった。

 濡れたシャツが背中に張り付いて体を冷やし、汗が頬を伝って畳を濡らしていく。

 山姥切国広の刺された箇所が痛む気がして、長義は傷一つないお腹に手を当てた。

 そこに矢切国広の手が伸びる。

「いたいの、いたいの、とんでけー! いたいの、いたいの、とんでけー!」

 国広の手がお腹の辺りで円を描き、痛みを遠くに飛ばす仕草をした。

 それを何度も繰り返す。

 そんな子供らしい国広の行動に、長義は思わず吹き出した。

「っ、ははっ! いや、まさかそうくるとは……ははっ!」

 張りつめていた緊張の糸が一気に解け、痛みが嘘のように引いていく。

 ひとしきり笑った後で、長義はきょとんと自分を見つめる国広に微笑んだ。

 それは誤魔化すための作り物ではなく、心から国広に感謝を伝えるためのものだった。

「ありがとう、もう大丈夫だ。国広のおかげだな。

 これは、花丸をいっぱいあげなきゃいけないかな」

 長義がそう言って頭を撫でる仕草をすると、国広は照れ臭そうに笑った。

 長義は、もう一度破片に手を伸ばす。

 もう記憶が流れ込んでくることはなく、長義はそのまま山姥切国広の破片を引っ張り出した。

 畳の間にがっちり挟まっているため、小刻みに破片揺らしながら少しずつ持ち上げる。

 そうしてようやく取り出した破片は、小指の先程度の大きさしかなかった。

 一ヶ所だけ断面が綺麗で、峰の部分だと推察できる。

 長義はそれを手のひらに乗せ、表面を優しく撫でた。

「……あの最悪の状況下で、お前は最善を尽くせたんだ。国広の傑作らしい、見事な働きだったよ。

 本歌 山姥切として、お前を誇りに思う」

 長義は持っていたハンカチで優しく破片を包むと、丁寧に胸ポケットにしまった。


〈山姥切国広の部屋〉

 隠し扉の鍵をピッキングで開けて、長義達は山姥切国広の部屋に入った。

 縁側に通じる襖があったが、こちらは執務室と同じく術が掛かっていて開かなかった。

 間取りは乱藤四郎の部屋と同様で、家具も同じく箪笥と机と座布団しかない。

 箪笥に山姥切国広の戦装束が収まっていなければ、誰の部屋か分からなかっただろう。

 結解でも貼られているのか、本丸中をさ迷う怪異の姿はここにはない。

「おれがいる」

 国広が、不思議そうに部屋の中央を指差した。

 そこには、矢切国広の体が横たわっている。

「ああ、そうだね。少し、ここで待っていてくれ」

 部屋の入り口に国広を待たせ、長義は畳に寝かされた国広の体に近づいた。

 その頬には涙の跡があり、畳も湿っている。

 魂に連動して、肉体も泣いていたのだろう。

 長義は国広の体に異常がないかくまなく調べたが、怪我をしていたり、何らかの術がかかっていたりする形跡はない。

「大丈夫だ。おいで」

 長義が手招きすると、国広は恐る恐る近づき、長義の背中に隠れた。

 そんな国広の魂に、長義は体に戻るよう優しく促す。

「触ってごらん。そうしたら、もとに戻れるよ」

 国広は長義を一瞥してから、慎重に体に手を伸ばす。

 その手が触れた瞬間、国広の魂は何かに引っ張られるようにして、するりと体の中に入っていった。

 国広の体が、ゆっくりと目を開けた。

 国広は数度瞬きした後、躊躇いがちに長義の腕を掴む。

「……さわれる」

「だから言っただろう、何とかするって」

「うん!」

 嬉しそうに抱きついてきた国広を、長義は優しく抱きしめた。

「さて、後はここを出ないとだね」

 長義は国広から体を離すと、出口を求めて何もない部屋を出た。

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