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夏は輝く  作者: 高乃優雨
第二章 亀裂
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「悔しくないんだよ」

 ーー届け、届け。

 佐々木(ささき)は高々と舞い上がった打球を懸命に追いかける。足が泥沼にでもはまったかのように、すぐに動かなかった。野球の守備にとって、一歩出遅れるという事は致命的なミスに繋がる。

 打球から目を切らさないように走る。それでも白球は遠のいていく。佐々木は目一杯腕を伸ばして、体を投げ飛ばす。


 この一球、たったこのワンプレーをする為に、皆んなで必死になり練習をしてきた。自分だって、そのつもりだった。しかし打球は無情にも、佐々木の伸ばしたグラブをかすめてフェンス際まで転がっていく。倒れた体をすぐに起こして、ボールを追いかけた。やっとの思いで拾い、振り返った時にはすでに遅かった。

 湘南東の選手がホームベースを踏みつけ、最後の走者が大袈裟なくらいにベンチにガッツポーズをしていた。

 佐々木はボールを握ったままその場に立ち尽くして、俯くチームメイト達をぼんやりと眺めていた。するとセンターを守っていた勝部(かつべ)に、背後から「行きましょう」と優しく声をかけられた。整列の掛け声に気付かなかったのだった。


 野球部一同はありがとうございました、と覇気の無い挨拶をしてから急いでベンチに戻る。山県(やまがた)が、「感傷なんかにひたってる時間ないぞ。すぐ次の高校が来るからな」と手を叩く。

 皆が手際良く動いている中で、凛太朗(りんたろう)が時折咳込みながらしんどそうに、佐々木の隣で道具を片していた。


「最後の取れなくて、ごめん」


 佐々木は凛太朗の顔を見ることができなかった。視線を誤魔化すように野球バッグにグラブを押し入れる。


「別にいいっすよ。誰も佐々木先輩を責めないですよ」


 凛太朗はそう言って、咳込みながら立ち去る。凛太朗なりに気を使った言葉のは分かるが、佐々木にとってはその優しさが痛かった。

 ベンチを後にする仲間達は唇を噛み締めるだけで、決して口には出さなかった。すぐに佐々木は、自分に気を使っているのだと分かった。それと同時に、皆ほど悔しいと思えていない事に気付く。

 俺はちゃんと悔しそうな顔をしていただろうか? そんな事で頭が一杯になった。


 上手くなくて当然、所詮初心者、どうせベンチ、心の何処かで思っていた。

 誰も責めないのは、ハナから誰も期待などしていないからだ。そして佐々木自身が一番期待していなかった。


 球場の周りを囲うように連なる樹々たちの木陰で、桜商ナインは小さく円陣を組む。アスファルトが秋だというのにまだ真夏のように熱い。


「悪いが今日の反省会は明日だ。俺は綾瀬と三嶋(みしま)を病院に連れて行く。今日はこれで解散だ」


 円の真ん中で山県が言った。


 強豪校や一般の高校であれば、試合会場までバスで移動というのが普通だ。しかし桜商野球部にそんな予算があるわけがなく、重い足取りで電車に乗り込む。(はやし)が凛太朗達の乗るタクシーに同乗しようとして、つまみ出されていた。

 怪我人と病人を除いた桜商ナインは、30分ほど歩いて閑散とした駅に着く。佐々木は、すぐさまバッグからICカードを取り出して改札をくぐると、


「マジであんまり気にすんなよ」


 佐々木の肩に手を乗せ、幼馴染の丸子隆(まるこたかし)は言った。

 しかし佐々木は、目も合わせずに「ごめん」と短く答えて早足で歩く。

 丸子は一見強面だが、昔のようにたかちゃんと呼ぶと恥ずかしそうに「俺達もいい歳なんだから、もうその呼び方するな」と口を尖らせたりと、意外と可愛いところもある。

 そんな丸子が、逃げる様に去る佐々木の右腕を強い力で掴む。


「野球やめるつもりじゃないよな?」


「・・・・」


「なんとか言えよ」


「悔しくないんだよ。全然」


 佐々木は声を荒げて丸子の腕を振り払う。

 普段大人しい佐々木が初めて見せる態度に、丸子がひるむ。


「俺の熱量と皆んなの熱量が違うんだよ。それが今日わかったんだ」


「熱量ってお前、この夏休み皆んなで頑張ってキツイ練習乗り越えただろーがよ。これからって時じゃねぇのかよ。ミスぐらい誰だってあんだろ」


「ただ頑張ることなんて誰だってできるんだ。大事なのはどう頑張るかだよ。俺は頑張ることを頑張ってたんだ。別に野球が上手くなりたいとか、試合に出たいとかそんなんじゃない。周りや、たかちゃんの顔色を伺って皆んなの足を引っ張らない様にしてただけなんだ」


 佐々木は丸子の震える拳を見つめて「まあ結局、足引っ張ったんだけどね」と余計な一言だなと思いながらも言った。その言葉がよっぽど頭にきたのか丸子が佐々木の胸ぐらを掴む。鼻息が荒い。

 いつもそうだ。すぐに頭に血がのぼり、周りが見えなくなる。昔からなにも変わらない。


「殴りたきゃ殴れよ」


 丸子が右腕を振り上げる。佐々木は殴られるのを覚悟して、奥歯を噛み締める。


「まあまあ、その辺にしてくださいよ。周りの子供達にも悪影響ですし」


 そう言われて周りに目をやると、練習終わりの野球少年達に物珍しそうに見られていた。

 赤焦げた髪色をした男が、背後から丸子の拳を掴んで白い歯を見せる。


「佐々木先輩も煽りすぎですし、丸子先輩もそんなに怒ることじゃないでしょう?」


 勝部が薄ら笑いを浮かべて、丸子の腕を離す。痛がる丸子のそぶりを見るに、相当な力で握られていたのだろう。

 丸子が勝部をきつく睨んで、


「秀司、逃げんなよ」


「・・・・」


 何も答えない佐々木に対して丸子が、聞こえる様に舌打ちをしてひとり階段を登っていく。

「さ、帰りましょっか」と勝部は微笑む。

 勝部の笑顔はどうも作り物の様な気がして、佐々木は少し気味が悪いと思っていた。

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