「神様がいる池」
甲子園で大会が行われるのは夏だけではない。実は春にも開催されるのだ。それを春の甲子園、センバツなどと呼んだりしている。
そのセンバツに出場するにはまず、秋季神奈川県大会を勝ち抜かなくてはならない。そして上位2チームのみが秋季関東大会に進む。そこでベスト4に入ればセンバツは確実と言われている。もちろん優勝するのが手っ取り早いのだが、万が一優勝できなくても甲子園に出場できるのがセンバツの魅力だ。
「とりあえず決勝まで英明とは当たんないな」
少し残念そうに呟く勝部は、トーナメント表を手にしていた。
「ありがたい話だろ」
凛太朗は母親が作ってくれたおにぎりを頬張る。
英明学園はシード校なので、一回戦から当たるという鬼畜なことは起こらない。なぜなら今年の夏の甲子園に出場し、ベスト8という結果を残したからだ。
しかしあの綾瀬圭太を率いても、優勝旗を神奈川に持って帰ることはできなかったのだ。いくら優勝候補と騒がれても、甲子園では何が起こるのか全くわからない、だから人々はあれ程熱狂的になるのだろう。
「一回戦まで時間ねぇよなー」
三嶋が頭の後ろで手を組んで、黒板に書かれた日付を確認する。
「初めての公式戦だし、試合そのものが女子との練習試合ぶりだもんな」
「なんでいつも涼はそんなに気楽そうなんだよ。あと三日後には試合だっつうのによ」と三嶋が口を尖らせる。
男子野球部は圧倒的に実戦不足だ。それも当然といえば当然だった。こんな弱小野球部と練習試合を組んでくれる聖人のような高校はなかった。
勝部が「でも、先にこっちだよな」と黒板を指差す。三嶋とニヤリと笑って顔を見合わす。
黒板には『野外活動の班』と白のチョークで書かれ、その下に班員の名前が貼り出されていた。
野外活動なんてクラスの親睦を深めるために、5月ごろに行うのが基本だ。それが何故か桜商では9月に行うのが伝統らしい。すでにある程度クラスでの立ち位置が決まっているこの時期に野活をするのが、正直凛太朗には理解できなかった。
その野活が明日から二日間行われるのだ。大会が三日後に迫る野球部にとっては、迷惑な話でしかない。
凛太朗は黒板に貼り出された紙を見つめる。班が振り分けられていて、凛太朗は勝部、高宮雪とその他一名の班が組まれていた。
「そんな不満そうな顔すんなよ。ちゃんと公平なくじ引きで決めたんだからさ」
勝部が悪戯げに笑う。
凛太朗は「不満なんてない」と言って高宮に目をやる。彼女はいつものように、他人を寄せ付けないオーラを放って読書をしている。あの時の笑顔は夢だったのかと疑ってしまう。
「そういえば、今回のオリエンテーションで登る牛尾山に、とある池があるんだけどさ」
噂好きの女子のように、三嶋が二人の顔を伺う。
「その池がなんだよ」
凛太朗は勿体ぶらずに早く話せと、目で合図する。
「実はその池に野球の神様がいるらしいんだよ」
少しの沈黙の後に「はあ?」と凛太朗も思わず声を出してしまう。勝部なんて目を何度もパチクリと繰り返している。
「でもまたなんで池なんかにいるんだろうな」
勝部が小馬鹿にするように言う。
「その池に野球ボールを投げ込んだ少年がプロになったり、とある部員が『甲子園に出たい』と祈ってボールを投げ込んだら甲子園に出れたりと、色々ご利益のある池らしーぜ」
「どこ情報だよ」
凛太朗は呆れ顔で三嶋に訊くと、自信満々に「ツイッターだ」と答える。
やれやれといった表情で凛太朗は、残りの昼休憩を睡眠に勤しむと決める。勝部も1つ咳払いをしてから、手に持っていた本を再び読み進めた。
そんなおとぎ話を信じる人間なんているのだろうか。いるのなら思いっきり馬鹿にしてやりたいもんだ。
◆◆◆
「いつも以上に目つきが悪いのだけれど大丈夫かしら」
「いつも以上は余計だ」
腰まであるような髪の毛を後ろに束ねて、高宮は米を研いでいた。手際が良く一目で慣れているのだと分かった。反対に凛太朗は片手に持ったじゃがいもと格闘中だ。
無事にオリエンテーションを終えた凛太朗たちは、野外活動1日目のメインイベントの班で行う自炊に精を出していた。
オリエンテーションと言っても、牛尾山を登りながら事前に用意されたクイズを解いたり、自由に山を散策したりとひどく子供じみたものだった。
「さっきから難しい顔してどうかしたの?」と高宮は変わらず米を研ぎ続けながら言う。
「特になんもねぇよ」
「そう」
素っ気なく返事をして、高宮が「私たちだけ、美味しくカレーが食べれないなんてことはやめてちょうだいね」と言って凛太朗の持つじゃがいもを見る。
ここまで皮を剥くのが難しいとは。大会が近いから指を怪我したくなかったんだ、と言えば許してくれるだろうか。
ふとオリエンテーション中に西野真帆と交わした会話を思い出す。
散策中に偶然すれ違った真帆に「あんた、野球の神様がいる池があるの知ってる?」と言われた時は呆れて何も言えなかった。いざ馬鹿にしようと思っていても、あれ程に目を輝かされると言いづらい。
凛太朗が「知らねー」と適当に返すと、真帆は「ふん」と鼻を鳴らして去っていった。
その後に神様がいるという池を横切ったが、凛太朗は上から眺めるだけだった。池の周りは傾斜がきつくて、わざわざ降りるのも面倒だと感じたからだ。
なんだか2組が担当する自炊エリアが騒がしい。何事かと思い凛太朗は耳を傾ける。
「真帆ちゃんがいないんです! 散策中によりたいとこがあるからって、それっきり・・・・」
教師の周りに人だかりができていて、女子生徒は今にも泣きそうな声で担任にすがっていた。
担任が時計を確認する。オリエンテーションが終わってから1時間以上経っていた。明らかにトイレに寄ったとかいう時間ではない。
取り乱す生徒たちを担任は、一度落ち着かせる。それから「どこに行ったか、わかる子はいる?」という問いにクラスメイトたちは、黙り込んでしまう。泣き出す生徒もいた。
お前が泣いてどうなる。
「高宮」
今度は人参の皮を手際よく剥いている高宮の名前を呼ぶ。
「悪いけどあとは任した」
我ながら随分と勝手だな、と凛太朗は思う。
すると高宮が「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」と慌てた様子で引き止めるも、凛太朗は振り返らない。
「最悪だな」
凛太朗は空を見上げて嘆く。
どんよりと曇っていて、すぐにでも雨が降りそうだった。




