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夏は輝く  作者: 高乃優雨
第一章 烏合の集
32/49

「夏空」

こういった青春小説を書いていると、学生時代に思いっきり青春するんだったと後悔します。

 張り詰めた糸が緩む、そんな風に思えた。

 村上は安堵したのか一度大きく息を吐き、凛太朗の方を向いて笑顔をみせる。


「正直、来てくれるって思わなかったよ」


「やだなあ。僕だって()()()()野球部なんだから」


「じゃあ、テニス部は辞めたの?」


「辞めたよ。すっごい止められたけどね。けど⋯⋯後悔はしてないよ」


 席に着いた徳野千明とくのちあきと村上が言葉を交わす。緩い口調とは反対に綺麗な瞳の奥には、はっきりと力があるように思える。


「どうして野球を選んだんだ?」


 凛太朗は大きくてか細い背中に声をかける。


「まあ、()()さ」


 徳野はどこか含みのあるような言い方をする。

 凛太朗は「ふーん」と気の無い返しをしては頬杖をつく。

 再び重苦しい空気が教室を包む。

「やっぱだめかー」と林が声を漏らすと、皆んながジッと睨む。それに気づいた林が軽く頭を下げる。

 残るのは小原光おばらひかる平川匠ひらかわたくみだけだ。

 あの様子だと平川はやって来そうにない。野球部の命運は小原に託されたというわけだ。

 生物教室の引き戸がゆっくりと開いた。

 開けたのはヨレヨレのスーツを着た男だった。寝癖だらけのボサボサの頭を掻き毟り、教室を見渡す。


「なんだ意外と集まってるじゃないか」


 とても教師には見えない風貌の山県健二やまがたけんじは、顎の無精髭をわざとらしく触ってみせる。


「ほーう」


 山県は凛太朗の方を見て目を細める。

 凛太朗が「ふん」と鼻を鳴らしてそっぽを向くと、山県は憎たらしい笑みを浮かべる。

 生徒達が山県を嫌う理由がなんとなくわかる気がした。

  山県は席に座る生徒を目で数え、すぐに背を向けて教室を出ようとする。


「まあでも⋯⋯残念だったな」


 まるで他人事のように言い放って、引き戸に手を伸ばす山県に対して三嶋は「は?」と眉間にしわを寄せる。


「もう少しだけ待ってください!」


 村上が机を叩いて立ち上がる。


「⋯⋯もう少しってお前なぁ」


 黒板の上にある丸い小さな時計に目をやる。

 教師なんだから腕時計ぐらいしろよとは誰も言わないんだなと、凛太朗は目だけで皆の反応を伺う。しかし、皆は時計を睨むだけだった。針は3の文字を指していた。

 すでに終礼が終わり三時間余が経っていた。


「もう無理なんじゃないか?」


「そんな簡単に諦められる夢じゃないんです。お願いです⋯⋯最後まで待たせてください」


「最後って⋯⋯下校時間までってことか? おいおい、こっちは残業代も出ないんだぞ」


「お願いします」


 村上が頭を下げると、


「俺からもお願いです。もう少しだけ待ってもらえませんか? 俺、やっとやりたいこと見つけれたんすよ」


 勝部も続いて頭を下げる。すると凛太朗を除いた全員が立ち上がる。それに驚いた凛太朗は慌てて立ち上がり同じように頭を下げてみる。

 部員達の熱い視線に根負けしたのか、長い沈黙の後に大きくため息をついて山県は教壇の前に立つ。


「⋯⋯ったくしょうがねぇな。十七時だ。これが限界だ。それ以上は待ってやらないぞ」



「あ、ありがとうございます!」


 村上は再び大袈裟に頭を下げる。山県も照れ臭いのか、顔を逸らして度の強い眼鏡をくいっと上げる。

 しかし、喜ぶばかりではいられない。タイムリミットは二時間。隣に座る三嶋は落ち着かない様子で、ワックスを落とされ、ぺったんこになった髪を必要以上にいじっていた。

 皆の視線が年季の入った引き戸に集中する。

 そんな目で見たって来ない時は来ないだろと思うが、同じように見入ってしまう。

 それでも戸が開くことなく、あっという間に一時間が経とうとしていた。

 二年生の丸子が苛立ちを抑えきれず「チッ」と舌打ちをするのが聞こえた。村上は顔の前で指を交差させて祈っている。

 古びた戸は変な音を出して、ゆっくりと開かれた。

 教室の入り口には、長く伸びた襟足に耳には輝くピアスの男と、アシンメトリーの前髪に黒縁眼鏡をかけた男が立っていた。

 凛太朗や村上達の目が点になる。 


「お前から誘っておいてなんだよ、その目は」


 小原は凛太朗の目を見て言う。はっきりとした口調ではないが棘があるというか、どこかキツイ言い方だ。

 腰まで下げたズボンに手を突っ込む姿、身なり、どっからどう見たって不良にしか見えない。

 それを聞いた村上と三嶋が時間差で「ええー!」 と大きな声を上げて凛太朗を見つめる。


「悪いかよ」


「悪いっていうか、ちょっと意外っていうか⋯⋯。まさかお前が野球部の為に動いたのがびっくりでさ」


 三嶋は大きな声を出したことに対して恥ずかしくなったのか、声のボリュームを落として鼻の下を掻く。


「別に、野球部の為なんかじゃーー」


「俺は綾瀬のこと、信じてたから!」


 凛太朗の手を握って、村上は目を輝かせる。


「あー、はいはい。いいよそれで」


 何を言っても無駄なので会話することを諦めて、すぐに村上の手を払いのける。


「平川も、来てくれたんだね」


 村上が目尻を下げる。


「お前がしつこいからな」


 ふふ、と村上は笑う。

 それ褒められてないだろ、と凛太朗は坊主頭の男をジッと睨む。

 こいつはどうも楽観的すぎる。本当に脳内お花畑野郎なのかと一瞬真剣に考えてしまう。

 小原の後ろに立っている平川を見て、「どうして二人でいるの?」と、村上が首を傾げた。

 小原は六組、平川は四組でクラスは違う。そんな一見接点のなさそうな二人が一緒にいるのは確かに不思議だ。


「俺ら一学期分、数学の提出物出してねんだよ。だから居残りで全部やらされてたっつーわけだ」


 教壇に立つ山県には聞こえないくらいの声で平川が答える。村上は、言ってくれたらいつでも見せたのに、と言うが平川は「はっ」と笑い、俺達そこまで仲良くないだろ、言い放つ。それでも、村上はそれもそうだなと、笑って返す。

 ーーやはり頭ん中は一面お花畑だ。

 教壇に立つ山県は小原達二人を、複雑そうな表情で見つめていた。

 確かに身なりはとても野球部とは思えない。しかしそれは、山県も言えたような身ではないのだが。

 凛太朗は一つ大きな欠伸をする。つられて徳野と三嶋も「ふぁ」と間の抜けた声で口を開ける。

 これで九人ーーいや、十人も揃ってしまったのだ。


「先生⋯⋯!」


 村上が声を弾ませる。少年のような目は、おっさんの山県には直視できないのか目を背ける。


「ーーッ」


 ボサボサの頭を掻きむしる。

 山県は村上をちらりと見て、


「約束は⋯⋯約束だよな」


「⋯⋯ということは?」


「そういうことだ」


「よ、よかったぁ。正直もう、だめだと思ったよ」


 村上は机の上にへなへなになって、冷たい机に頬をくっつける。

 ずっと怖い顔をしていた勝部もいつも通りニヤニヤしているし、丸子と佐々木も顔を見合わせてホッと胸を撫で下ろしていた。

 完全に安心しきった様子の部員達を見て山県は「だが」と、真剣な眼差しで前置きし、


「高校野球は中途半端にやって勝てるほど甘くない。お前達が女子の尻を追ってた時間に他の奴らは泥だらけになりながら白球を追ってたんだ。この意味がわかるか? お前達に足りないのは圧倒的な練習量だ。けどな、練習なんてやればいいってもんじゃない。効率的に許された時間の中でやらなくちゃならないんだ。いいか? 俺は厳しいぞ。本気でついてこれるやつだけついてこい⋯⋯いいな?」


 はい!と、皆が前のめりになって返事をする。

 山県は眼鏡を中指で押し上げて不敵な笑みを浮かべる。山県の語気には力があり、まるで別人のようだった。

 中途半端という山県の言葉が、凛太朗の気持ちを揺らす。

 本気で野球と向き合うことによって兄の妨げになるかもしれないと、恐れる自分がいる。それでも、また圭太けいたと勝負がしたい。天才打者と呼ばれる兄と本気でぶつかり合いたい。

 再び蘇ったこの気持ちを抑えることなんてできはしない。

 胸の高鳴りが外に漏れないようにと、一度深呼吸をする。


「嬉しそうだな」


 赤焦げた髪を揺らして勝部が凛太朗の顔を覗き込む。


「どこがだよ」


「顔がニヤついてんぞ」


「ーーなっ」


「嘘だよ」


 勝部はニカッと笑い、凛太朗は頬を膨らます。

 自分の鼓動が聞こえたのかと思ってしまった。本当にこいつは食えないやつだ。

 極度の緊張から解放されたからか部員達は席を立ち、和気藹々和気藹々(わきあいあい)と談笑していた。すると、「一度席に着け」と山県が言うものだから、何を話すのかドキドキしながら部員達は席に着く。


「お前達は⋯⋯どこを目指す? そこはハッキリさせよう」


 教卓に腕を組んでもたれかかり、山県は一人一人の反応を伺うように言った。

 一瞬沈黙が続いた後に、


「甲子園です!」


 思わず耳を塞ぎたくなるような声で村上が答える。それに続くように、「甲子園です」「甲子園」「同じく」と声があがる。


「綾瀬⋯⋯お前はどうなんだ?」


 普段の教師らしからぬ顔つきとは違い、いつになく真剣な面持ちで凛太朗に尋ねる。


「お、俺は⋯⋯」


 鼓動が早まるのを感じた。先程の高鳴りとは全く違うものだ。

 甲子園ーーそれは圭太の夢でもある場所。

 それは凛太朗にとっても同じことだ。しかし、神奈川から甲子園に出場できるのは一校。凛太朗があの舞台に立つということは、兄である圭太の夢を邪魔することになる。

『邪魔をしないでくれ』あの時の言葉が、鎖のようになって小さな胸を締め付ける。


「正直まだわかんないです⋯⋯」


 声を震わして俯く凛太朗を見て山県は「ふぅー」と、息を吐いて、


「目指せ黒川くろかわ先生とのハネムーン。行くぞハワイ。待ってろハワイだ」


「ーーは?」


 全員が椅子から崩れ落ちる。

 突然真面目に話し出したと思えば、今みたいに全くトンチンカンな事を言ったりと、どこまでもこの山県という教師が分からない。


「綾瀬を除けば、俺を含めて皆が甲子園を目指すということでいいんだな?」


 甲子園=黒川先生と結婚するが不思議でならないがそこには触れずに「はい!」と、部員達は元気よく返事をする。


「そうとなれば、明日から始まる夏休みで徹底的に鍛えていくからな。覚悟しとけよお前ら。それじゃ、今日はこれで解散だ」


 山県が手でしっしっと払う。すると何かを思い出したように、


「あ、それと村上、林、三嶋、勝部、徳野、以外はみんな仮入部だからな。こんな夏休み前日に入部届け出されても正式に部員なんてなれないからな。そこんとこよろしくな」


 まじかよ、と丸子先輩が呟いたのが聞こえた。本当に一度、退部届を出したみたいだった。

 今だにあの時、村上にした行いを許せずにいた凛太朗は、とてもじゃないが上手くやっていける自信がなかった。

 教室の隅に目を向ければ、三嶋と林がくだらない事で口喧嘩をしていた。それを笑って見るだけの勝部と徳野。そして、一人教壇で変な妄想を膨らましながらニヤついている山県。

 本当にこのチームで甲子園なんて行けるのだろうか。不信感を抱かずにはいられなかった。


「絶対行こうな! 甲子園!」


 背後から村上が肩を組んでくる。

 その希望に満ち溢れた瞳からは世界はどう見えるのだろうか。もしかすると、この夏空も違って見えるのだろうか。村上を見ているとそんな風に思ってしまう。

 甲子園に行けば、兄を倒せば、少しは変わるのだろうか。

 生物教室に入り込む夏の暑い風を感じて、凛太朗は窓辺から空を仰ぐ。

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