「始まりの日」
実家は最高ですね。僕は自分のことを客人だからもてなせと言います。
だから追い出されるのでしょうね。
桜峰商業高校では夏休み前日となった今日、終業式が行われる。
講堂には熱い風が吹き込み、蝉のうるさい鳴き声が嫌なくらい聞こえてくる。
「ーーであるからして」
額を伝う汗をハンカチで拭う校長は、夏休みに入る生徒たちに向けてコメントをする。それがあまりにも長い。とにかく長いのだ。
空調設備のない講堂で、それはある種の体罰なんじゃないかとも考えたりする。
ーー椅子くらい用意してくれてもいいだろ。
凛太朗はカッターシャツの胸元を大袈裟にバタバタさせ、少しでも風を感じようとする。
すると隣のクラス、四組がざわつく。チラリと後ろを見ると、担任と保健室の先生が女子生徒を抱えていた。
無理もない。ただでさえ暑い上に、校長のありがたいお話まで聞かなくてはならないのだから。
周りのクラスメイト達も気怠そうに聞いていた。
勝部涼は違った。一人、目を閉じ涼しそうな顔をしている。
端整な顔立ちに赤焦げた髪。こうやって全校生徒が集まると一際よく目立つ。
すると勝部は片目だけ瞑り、凛太朗に笑ってみせる。
この笑顔だけを見ると、女子から人気があるのが何となく分かる。
「最後に! みなさん安全第一で夏休みを過ごしてください!」
そのセリフ何回目だよ。
終業式が終わると教室に戻る。今度はLHRが待っていた。
「補習がある生徒はちゃんと補習に参加するように!」
担任が心なしか凛太朗と三嶋を見て言った。夏休みの過ごし方、配布物、課題。これらの説明を担任が長々とする。それでも担任の努力は虚しく、夏休みを前日に控えた生徒たちは聞く耳を持っていなかった。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。夏休みが始まる合図だ。部活に行く者、学校に隠れてバイトへ向かう者、そしてーー。
「行くだろ? 綾瀬」
三嶋は後ろから肩を組んでくる。
「⋯⋯その髪」
「う、うるせぇ!」
終業式に行われた頭髪検査で、ワックスがバレて綺麗に洗い流されたらしい。ペッタンコの髪の毛をした三嶋友希は恥ずかしそうに髪をくしゃくしゃにする。「なんで涼はセーフなんだよ!」と大きな声で愚痴をこぼす。
そんな勝部は吹き出しそうになる笑いを必死に堪えようと、口に手を当てている。
「ーーったく。行くだろ? 生物教室」
「とりあえず⋯⋯な」
勝部と三嶋は顔を見合わせてニヤッと笑う。
「お! みんな行く準備はできてるみたいだね」
ドアを開けて顔を覗かせたのは、五組の村上誠也だった。
「お前は坊主だからいいよなー」
「へ? なんの話?」
「なんもねーよ」
三嶋は村上にヘッドロックをキメる。
じゃれ合っている姿は、青春ドラマのワンシーンみたいだ。
「じゃ、いこーぜ」
三嶋の頭を勝部がペシっと軽く叩く。いい音が鳴る。
「誰もこなかったらどーすんだ?」
勝部に聞いてみる。
「そん時はそん時だろ」
「意外とあっさりしてんだな」
「そう思うか?」
「思うさ」
中身のない会話だ。やはり勝部と会話するとなんだか調子が狂う。女子と話すときもこんなんなのだろうか。それなら絶対にモテたりしないのだが。
浮かれた生徒達が廊下で写真を撮りあっていた。
どうせInstagramに投稿したりするのであろう。
#今日で学校最後 #夏休み前日
的な。
すぐさま勝部の元に女子達が群がる。勝部は「全然いいよ」なんて言って気軽に撮影に応じている。
「あいつって人気者なんだな」
「まあ、あいつは特別だよ」
そう言って三嶋まで女子の群れに飛び込んでいった。完全に凛太朗と村上は取り残される。
「ーーあっ」
人混みの中で一人の女子とぶつかる。
短い髪に綺麗な小麦色の肌。体には似合わない大きな野球バッグを背負っている。西野真帆だ。
「よ、よう」
ぎこちない。昨日の事がなんだか恥ずかしい。
しかし、真帆は目も合わせずそそくさと人混みを掻き分けていった。
「ーーは?」
なんだ今の態度は。無愛想にも程があるだろう。
凛太朗は無造作に頭を掻いて、舌打ちをする。
「ドンマイ」
村上が哀れみの目を向けて凛太朗の肩に手を添える。
村上に同情されると虚しくなる。
撮影が終わったのか勝部はケロッとした顔で戻ってくる。反対に三嶋の顔なんて浮かれまくっていた。
生物教室は二年生の教室がある二階の一番隅にあるらしい。そもそも、一年生は生物教室なんて使わないため、正直場所が曖昧だ。
噂では夜の生物教室にはでるらしいーー幽霊が。所詮、三嶋から聞いた嘘か本当かも分からないような噂話だ。
二年生の廊下もまた、スマートフォンを片手にパシャパシャとやっている。さすがにここまでくると、シャッター音一つ一つに苛立ってしまう。
凛太朗は人を寄せ付けないような目つきで歩く。「そんな怖い顔すんなって」と勝部にからかわれるくらいに。
いざ生物教室を目の前にすると胸がざわつく。どうやら他の奴らも同じらしい。
桜商野球部がここから始まるのだ。
誰か居てくれという願いを込めて、村上が引き戸に手を伸ばす。
そこにいたのは、林竜矢だけだった。体と同じで大きな欠伸をしていた。
こちらに気づいたのか、
「おせーぞ!」
と声を上げて大袈裟に机を叩く。
「別に早けりゃいいってもんじゃねぇだろーが」
「なんだとこのチビィ」
詰め寄る三嶋と林を誰も止めようとはしない。こいつらに付き合ってたらエネルギーの無駄と皆んなよく分かってる。
ひとまず席につく。四十人入る教室に五人しかいないのだから、どこか寂しさを感じる。
何気なく机を見ると沢山の落書きがあった。生物教室の机は黒いから見え難いとでも思ったのだろうか。目を凝らすと「山県うざい」「山県の授業は退屈」なんて書かれているもんだから、先生の顔を浮かべると胸が痛くなる。
ガラッと勢いよくドアが開く。
二年生の丸子先輩と佐々木先輩だった。
「はえーなお前ら」
丸子は凛太朗の顔を見て驚く。
「お前もいんのかよ」
「⋯⋯ども」
二年生は凛太朗達とは少し離れた場所に座る。
あと二人、と村上が呟く。
「いつまで待つんだ?」
「最後まで」
最後というのは最終下校時間という意味だろうか。考えただけでゾッとする。しかし、村上の顔は大真面目だった。
誰も話そうとしない。静寂に包まれる。隅に置いてある人体模型の不気味さが増す。
漠然と時間が過ぎていき、時間が経てば経つ程に皆の顔が深刻になっていく。勝部の顔まで怖い。
やっぱり無理かと思った瞬間、ドアが開く。
机と睨めっこをしていた三嶋も、すぐさま顔を上げる。
「おまたせー」
緊迫した生物教室には合わない、緩い声だ。
それでもこの男なら、仕方ないのかもしれない。




