「茶番だ」
今朝、眼鏡を踏み壊しました。
買って1週間も経っていませんでした。
ああ、高かったのになー。
高校生活初めての夏休みが始まるまであと二週間をきり、クラスメイト達は何をして過ごすかという話題で大盛り上がりだ。
それと同時に野球部の運命が決まる日も、刻一刻と迫ってくる。
「LINEはしたんだけどなあ」
放課後、誰もいなくなった教室で坊主の男が頭を抱える。
「返事は?」
「既読無視だよ」
村上と西日が差し込む教室の机に腰をかける男が言葉を交わす。
ただ机にすがっているだけなのに、ここまで絵になる男は勝部くらいしかいないだろう。
「あと二週間で部員集めろなんて無理な話だろ。諦めてさっさと帰ろーぜ」
目つきの悪い男は気怠そうに言い放ち、教室の窓から身を乗り出して外を眺めていた。
「みんな綾瀬の球を見たら絶対やる気になるって! 甲子園にだってーー 」
「いけねぇよ」
即座に否定した。自分が甲子園に行くということは兄、圭太の夢を邪魔することになる。
それだけは避けなければならない。
「よし! 直接会いに行こう!」
「誰にだよ」
「ほら、前に言っただろ? 一年生は他に二人いるって。その内の一人だよ。ちょっと癖が強くてあれだけど⋯⋯。でも野球を好きな気持ちは俺達と同じだと思うし、説得したらまた部活に顔出してくれるかもしれない」
「俺たちね⋯⋯」
昼間の男が脳裏を散らついて、一つ溜息をつく。
この高校に入学してからというものの、溜息をつく回数が半端じゃなくなっている。
「でも、そいつに既読無視されたんじゃないの?」
少しだけ興奮気味の村上を落ち着かせる。勝部はいたって冷静だった。
「そ、そうなんだけど⋯⋯」
「まぁ、会いに行ってみっか! な、綾瀬?」
勝部は凛太朗の肩に手を置く。
おい。結局そうなるのかよ。
窓に深く寄りかかって、もう一度溜息をつく。
「そもそも放課後なのにまだ学校いんのかよ」
すぐさま勝部の手を払い聞いてみる。
「うーん⋯⋯多分まだ教室にいると思う」
「じゃ、決まりだな」
勝部はニカッと笑うが、反対に凛太朗の顔は引きつる。
昼間の男にまた会うことが憂鬱で仕方なかった。しかし、皮肉な事になんとなく、こうなることはわかっていた。
村上が言うには、会いに行く男のクラスは六組らしい。
五組と六組は、凛太朗達のクラスがある三階ではなく、一つ下の二階にあるため階段を下らなくてはならない。
眉間にしわを寄せてポケットに手を突っ込み、静かな廊下を歩いていると吹奏楽部の綺麗な演奏が聞こえてくる。
演奏に聴き入っていると、
「ーーついた」
ドアは完全に閉められており、教室からは人がいる雰囲気はまるでない。
「本当にいるのかよ」
「多分ね」
村上はゆっくりと引き戸を開ける。そこには昼間の男と女が仲良さげに話していた。
女のスカートは膝が完全に見えており、かなり短くしているようだ。靴下もルーズソックスで化粧もしているだろうか、いわゆるギャルと呼ばれる種族だ。
そんな格好がしたいなら、わざわざ商業高校に来なくても良かっただろうにと思ってしまう。
突然の来訪者に驚き二人は会話を止めると、教室は一気に静まり返る。
「⋯⋯林」
どうやら、このこんがり日焼けした肌の男は林というらしい。
「おーう村上ぃ。何しに来た?」
「昨日のLINEの件なんだけど⋯⋯」
先程までおちゃらけていた林の顔は真剣な表情に変わる。
「あー、なんかすごい球投げるやつがいるって話だよな?」
「それもだけど⋯⋯。野球部に戻ってきてくれないかなって⋯⋯」
林は突然腹を抱えて笑い、
「はぁはあ、腹痛い腹痛い。お前さー、あんなん野球やってるって言えんの? だいたい二年生辞めたにしても人数足りねぇだろうが」
「だから今、必死に皆んなに声かけてるんだよ!」
「ーーッチ。今更なんだよ! 今更部員揃えて野球始めたって勝てやしねぇんだよ! そんなに甘い世界じゃねぇんだよ! どーせ負けてダサい惨めな格好晒して終わるだけなんだよ!」
「ーーそんなことない! 綾瀬がいれば⋯⋯」
村上は真っ直ぐに見つめてくる。
勝手な事を言うな、と村上に聞こえるように小さく呟く。
「いいか? 俺はダサい真似だけはしたくないんだよ。 そりゃガキの頃は甲子園とか憧れたさ。でもな、この高校じゃどうやっても無理だろ。いくら俺が天才だからって一人じゃどうにもできねぇ」
こうまで自分を天才だと言い張れるメンタルの強さには敬意を払うべきだろう。
「だからみんなで努力してーー」
「まだわかんねぇのかよ! お前らみたいな凡人がどれだけ努力したって敵わない奴らなんて腐るほどいんだよ! 無駄なんだよ! その時間が! 俺はそんなことに付き合えるほど暇じゃねぇんだよ」
凡人と言う言葉に多少の嫌悪感を抱いたのか勝部の顔は少しだけ歪む。あくまで笑顔を保とうという姿勢が伝わってくる。
林は先程から黙り込んでいる彼女の肩に手を回す。暇がないというのはこういう事だ、とアピールするかのように胸を張る。
ーースパーンッ
静かな教室に大きな音が響くと同時に、林の顔は赤く腫れる。
三人の目が点になる。
「さっきから聞いてたら竜ちゃんって、本当に格好悪い!」
「あ、あーちゃん?」
赤く腫れた頬を片手で抑える姿はひどく情けない。
「なによ! 無駄って。やってみなきゃわかんないじゃない。なにもしてないくせに諦める人間、茜は大嫌いよ!」
「いや、でもな⋯⋯。こんな野球部じゃロクな練習もーー」
「そんなの言い訳よ! 茜はかっこいい竜ちゃんが見たいの! 野球の事話す竜ちゃん本当に楽しそうだった。竜ちゃんが活躍するとこを一番に近くで見たいのよ⋯⋯。だって彼女なんだから」
「⋯⋯あーちゃん」
女は何故か目から涙を流し、林の胸元へ抱きついて、それをまた強く抱きしめる。
「ーーは?」
その場にいる三人は呆気にとられる。一体何を見せられているのだと。
「⋯⋯茶番だ」
思わず声が出る。
「村上ぃ、俺は決めだぞ。野球部に戻る」
「ほ、ほんとに!?」
「あぁ。俺は明日から練習に参加する。悪いが部員を集めるのはお前の仕事だ、そこはお前に任す」
「う、うん! 任せてよ! ありがとな林!」
「別にお前のためなんかじゃねぇ。俺は茜の為に甲子園で活躍する姿を見せたいだけだ」
凛太朗と勝部は、抱き合ったまま離れようとしない二人に白けた眼差しを向ける。
「ただ」と言って教室を後にしようとする三人を呼び止め、
「徳野は俺が野球部に連れ戻す」
「⋯⋯そうしてくれると助かるよ。じゃまた明日な」
教室のドアを閉めて、廊下に出る。長いこと教室に居たのか、吹奏楽部の演奏は聞こえなくなっていた。
「変なやつだな」
「変なやつだ」
凛太朗と勝部は肩を落とす。
お前が言うのかよ。
変なやつ代表の勝部が言う通り、あの林という男もかなり変わった奴だった。
「はぁ」
特になにかをしたわけでもないが自然と溜め息が出る。何回目だよほんとに。
そんな凛太朗と勝部の背中を叩き、
「よーうし! 明日からまた部員集めるぞ! な、二人とも!」
「そうだな!」
白い歯を覗かせ笑みを浮かべ、今度は勝部が凛太朗の背中を叩いて村上を追っていく。
「ーーったく。俺を巻き込むなって言ってんだろ」
そう言って二人のあとを追い、静かな廊下を駆けって行く。




