「どこが!!」
簿記・・・・・・企業などの経済主体が経済取引によりもたらされる資産・負債・純資産の増減を管理し、併せて一定期間内の収益及び費用を記録することである。
高校時代は数学のテストがある度に、追試にかかっていましたね。
三年間欠かさなかったので、皆勤賞です。
外からは蝉の鳴き声をかき消すように、ランニングをしている女子野球部の掛け声が聞こえてくる。
この静まり返った教室では、余計にでも大きく聞こえてくる。
「なんでこんな時にエアコン壊れてんだよ!」
嫌でも耳に入ってくる雑音と、エアコンが壊れ生温い風さえも入ってこない教室に腹が立ち、握っていたシャーペンを机に荒く投げつける。
「ちょっと! 静かにしなさいよ! こっちは集中してるんだから」
短い髪の毛を耳にかけた女は、隣で大きく溜息をつく。
「集中してる割には空白が多いんじゃないか?」
嫌味ったらしく言ってみる。
「は!? なに偉そうに言ってんのよ! あんたなんてほぼ真っ白じゃない! コーヒー牛乳の飲み過ぎで頭馬鹿になったんじゃないの」
「なっ! お前こそ野球のしすぎで脳みそまで焼け焦げたんじゃねぇか」
真帆と凛太朗は睨み合う。
「こらっ!」
「いてっ」
「きゃっ!」
頭を教科書で軽く叩かれる。
「お前たちが仲良いのはわかったから、さっさと終わらせろよ」
「どこが!」
「どこがよ!」
二人は同時に先生に噛み付く。
「そういうとこだぞ。だいたい俺が小テストの範囲指定してやったのに普通赤点とるか? 学年でお前ら二人だけだよ」
教師は呆れ顔で言うと、椅子にもたれかかり読書を始める。真帆は頬を膨らまし、再びペンを握る。凛太朗も負けじとペンを握るが捗らない。
「終わったあ! 先生! わたし部活行かないとだから、じゃあね!」
「お、おい! まだ採点が⋯⋯」
真帆は先生の言葉など聞かず、勢いよく教室を飛び出していった。
早々と終わった真帆を横目に凛太朗は独り頭を抱えていた。
「問題と睨めっこしたってなんも解決しないぞ」
「⋯⋯簿記は苦手です」
顔が上がらない。
「なら授業終わりとかに聞きにくればいいだろ? ちゃんと教えてあげるから 」
簿記の担当教師である山県健二は、凛太朗の肩にそっと手を乗せる。
山県の手は意外と大きく、温かかった。
「だいたい、なんで俺が放課後居残りまでして補習しないといけないんだよ。木村のくそはげめ。俺に全部、面倒事押し付けやがって。本当なら黒川先生をお食事にでも誘ってーー」
「先生?」
山県は一度咳払いをし、
「今のは忘れてくれ」
と言って、顔がものすごく屈折するほど、度の強い黒縁眼鏡をわざとらしく上げてみせる。
この山県という男は、髪は寝癖だらけで、スーツもシワだらけの物を着ており見るからに頼り無さ全開である。
「もうこれ以上やったってわかんないんで、帰っていいっすか?」
頬杖をつきながら気怠そうに聞くと、山県は腕を組み凛太朗をじっと見つめる。そして、「はぁ」とため息をつく。
「わかった。今回は見逃してやる」
「うっし」
凛太朗はバックを持ち教室を立ち去ろうとするが、「ただ」と山県は力強く前置きし、
「嫌なことから逃げるなよ。次はみっちり教えてやるからな」
と背を向ける凛太朗に言った。
普段の山県とは違い、妙に迫力を感じた。
凛太朗は「はいはい」とだけ言い残し補習教室であった簿記準備室を後にした。
「やっべ、机の中にチャリキー忘れたわ」
凛太朗は三階に位置する自分の教室へと、 駆け足で階段を上っていった。
教室に着くとそこには誰もおらず、昼間の休憩時間が嘘のように静かだ。
「あったあった。やっと帰れる」
ふと窓の外を見てみると、小さなグラウンドの隅で独り黙々とバットを振り続ける男がいた。
思わず目を逸らす。
「いやあ、あいつも頑張ってんねー」
「うわっ!」
誰もいないと思っていた教室で、背後から急に話しかけられたため、変な声を上げてしまう。
「そんなにびっくりしなくたっていいだろ」
赤焦げた髪色の男は腹を抱えて笑う。
「急に話しかけてくんな。つーか、お前入部したんじゃなかったのか」
「顧問に入部届け出してなくてさー。そもそも野球部の顧問って誰なんだろうな」
「俺が知るわけないだろ。どうせあんな野球部の事だからちんちくりんな先生がやってんだろ」
凛太朗は「ふんっ」と鼻をならす。
「それは言えてるかもな」
勝部は笑いながら答える。
「顧問ならワシじゃが?」
「うわっ!」
「わっ!」
唐突な背後からの声に今度は勝部も驚きの声を上げる。
振り向き目線を下げた先には、頭に一本の髪の毛もないヨボヨボの老人が立っていた。
二人は驚きのあまり口が開きっぱなしだった。




