「勝部 涼」
趣味は何ですか?
という質問が大嫌いな僕です。
父はエリート銀行員、母は高校教師という一見堅そうな家庭に勝部家の長男、勝部涼は産まれ育った。
「男なら常に一番になりなさい」と幼き頃から、父に口癖のように言われてきた。
だからテストでもスポーツでも一切手は抜かなかった。一番になるためなら徹夜で勉強も惜しまない。
そんな勝部は小、中と常に学校で一番の成績を挙げてきたのだった。
中学からは陸上部に所属した。理由は簡単だった。誰よりも速く走れるやつが一番だからだ。
勝部は陸上を始めてたった数ヶ月で市を代表する選手になり、一年後には100メートルのインターハイ選手にまでなった。
インターハイ出場が決まった頃からだろうか、大した努力もせずに、一番になってしまう自分がひどくつまらなく感じた。周囲の見る目は嫉妬ではなく、憧れや尊敬の眼差しだった。
それがつまらないと感じさせる原因だったのかもしれない。それからしばらくして、インターハイを辞退することにした。
あれほど一番になりたかったのに、今は一番になるのを恐れていた。それでも勝部は陸上を辞めなかった。
走っているときは何も考えずにいれたからだ。
ただ漠然と走るだけの日々を過ごしていた中学三年のとある夏、野球部に人手が足りないからという理由で大会に出て欲しいと頼まれ、渋々承諾した。
バットやグローブすらまともに使ったことはなかったし、野球なんてチームスポーツは自分には向かないと思っていた。
数合わせ程度で誘った部員達だったが、走攻守の全てにおいて大活躍だった勝部に驚かされる事になった。
勝部の活躍もあって野球部は見事、県大会出場を果たしたのだった。
しかし立役者である勝部は肘を壊したと、嘘をついて大会に出場することはなかった。
感じてしまった。周りとの圧倒的な差を。その辺の中学では、自分を抑えれる投手などいなかった。
勝部は欲していた。自分を負かしてくれる存在を、越えたいと思える好敵手を。
それからバスケ、バレー、サッカーと、やってきたがどれも満足させるような答えは出なかった。
どの部活に参加しても、自分に対抗心を燃やす選手など出てこない。そして皆口を揃えて、
「勝部なら仕方ない」
「努力しても無駄」
「敵わない」
と早々と諦めるのだった。
あー。つまらない、つまらない、つまらない。
常にそう思うようになっていた。
毎日読者をするか、海へ行き独り釣りをする日々を送っていた。
そんなある日、アメリカの哲学者、ウィリアム・ジェームズの本を読んでいると、
「ーー楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ」という言葉が目にする。
そうだったのか。笑えばいいんだ。答えは簡単だった。
それから家に帰っては鏡の前で笑顔を作ってみたり、友人の面白くない話にも無理に笑うようにした。
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「俺は野球が大嫌いなんだよ」
目つきの悪い男が言った。
何度も野球部に誘われ、断っている姿を見るがその表情はどこか悲しげに見えた。
なんでそんな顔をするんだ? 好きならすればいいじゃないか、お前は俺と違ってなんの恐怖もないだろ?
綾瀬の事が理解できなかった。
あいつは放課後いつも教室の窓から外を眺めていた。あんな顔して、どんな景色が見えてるのか気になって自分も見てみると、グラウンドには部活動に励む部員達が汗を流している。
「努力なんて意味あんのかね」
一つ溜息をつき目を逸らす。その目先には、制服姿三人と練習着一人というおかしな光景が目に入った。
綾瀬だーー。グラウンドから少々距離はあるが、あの癖っ毛、辛気臭そうな顔、間違いない。
「あいつピッチャーなのか」
綾瀬が大きく振りかぶり、大きく足を上げた。
「⋯⋯綺麗だ」
思わず見惚れてしまう。
その瞬間、生暖かい風が教室を突き抜ける。
「ーー!」
勝部には見えたのだ。幼き頃祖父母の家で何気なくつけたテレビに映った甲子園が。そのマウンドに立っていたのは紛れも無く凛太朗だったのだ。胸の高鳴りがおさまらない。
もっと近くで見たい。自分も打ってみたい。確かめたいーー。
気づいた時にはグラウンドに立っていた。
こんなにも楽しませてくれそうなやつには出会った事がなかった。そして勝部の期待通り、凛太朗の球を打ち返す事はできなかった。
笑いが込み上げてくる。今まで自分は何をやっても一番だと思っていた。誰にも負けるはずがないと。でも違ったのだ。それが可笑しくて堪らなかった。
「甲子園に行けばもっとすごい投手だってーー」
村上は目を輝かせる。
教室の窓から見えた景色が現実になるんだ。人生はまだまだこっからなんだーー。
その日、勝部は初めて心の底から笑ったのだった。
「なあ、放課後キャッチボールしよーぜ! 綾瀬!」
勝部は新品のグローブを凛太朗に見せつける。しかし、凛太朗は相手にせず、コーヒー牛乳を片手に外を眺めている。
「俺たち野球部だろ?」
勝部は眩しい笑顔を作る。
「ばーか。まだ入部するって言ってねーだろ。あと、俺はグローブ持ってないから」
凛太朗は残りのコーヒー牛乳を一気に飲み干す。
「⋯⋯俺はお前にずっと付いて行くからな」
勝部は珍しく真剣な表情で言った。
「けっ! 好きにしやがれ」
凛太朗は机に伏せる。
窓の外を眺めてみる。やはりいつもと変わらない。
しかしあの時見た景色、マウンドに立つ少年の姿は何度も頭の中で再生される。
勝部の夏は輝きだす。




