8.モナ・リザのご褒美
「健介くん、来てくれたんだね……? 嬉しい……」
そこは天国だった。
女神は俺を抱きしめ、手のひらでゆっくり頭を撫でてくれる。
「ひっ……ひよりせんぱっ……!」
「よしよし。健介くんはおっきくなっても甘えん坊さんですねぇ」
いくら沈んでも溺れても、絶対ひとつになれないもどかしい魅惑の塊。
人はそれを「おっぱい」と呼ぶ。
大鳥居ひより先輩が待ち構えていた。
俺はいきなり校舎裏に誘われ、ぎゅっと抱きしめられ――、
って、ちょっとちょっと? これから何が始まっちゃうのよ? 先輩ったらあかんよあんまり刺激の強すぎる展開は?
カレー●シによって天にいざなわれたおっさんのごとく、廃人一歩手前の表情でひより先輩の顔を見上げ、
「ハアッ!!?」
目ン玉と鼻水が飛び出た。さらなる衝撃を受ける。
「あっ、これ似合ってますか? えへへ、授業終わってすぐきちゃいましたのでっ」
メガネひより先輩だぁ……♡
黒髪ロングの秋津洲JKは、黒縁の知的な「メガネ」を追加することで究極の姿を得た。なにこれかわいい。すっげえ可愛い。身長差も牛乳箱なんか持ってきて、その上に乗って背伸びまでしちゃって、これがまたすんごい愛しいの。
「健介くんにご褒美があります」
「えっ、ご褒美? なんでしょうか」
ひより先輩は「何だと思うー?」とにまーっと笑ってから、足元の段ボールから何かを取り出した。
ケーキの入っていそうな、白い紙箱。
そして張り付けてあったラベルの文字――「ひよりんぷるぷるぷりん」の商品名を目にし、驚愕する。
「先輩!! これは!?」
「試供品です。健介くんにあげちゃいます」
あ……ああ……。
さめざめと涙を流しながら先輩を見る。
牛乳箱の上で微笑む黒髪の女神。俺は子供みたいな純真な瞳で見つめながら、こう真剣に自問自答するのだ。「この女性ではなかったか? 五百年も前にダ・ヴィンチが描いた印象的な微笑をする黒髪の女性は?」。
先輩はおっぱいプリンを自分の胸の上に乗せ、「もぎゅっ♡」と自分のプリンでプリンを持ちあげながら、恥ずかしそうに言うのだ。
「ここまで頑張ったご褒美です。食べてくださいね?」
「ありがとうございますッ!」
紙箱を両手で受け取った時、「やんっ」と彼女の胸部が揺れた。
俺、こんなに幸せでいいの?
この後死亡イベントが待ち構えていたりしないよね??
そんな情けない有様を前に、平成最後のモナ・リザは一瞬「くすっ……」と妖しげに微笑む。
何だろう? と疑問を感じたが、さらなる追撃によってそんなどうでもいいことは一瞬にして頭の外へと叩き出された。
「そうそう健介くん。学校が終わった後、予定は空いていますか?」
「すみません、バイトのシフト入ってます。人手が足りなくてですね」
「そう、残念……。二人っきりでお話したかったのに……」
「――あ、もしもし店長? 今日の夕勤シフト休みますのでよろしくお願いします。え? 人手が足りてないから勘弁してくれ?? んなん知りません何とかしてください!!!」
ぐりん! とスワイプして通話を強制終了させ、にっこりと先輩に向き直る。
「たったいま予定が空きました! 俺も先輩とお話したいです!」
「そ、そう」
ひより先輩は顔をひきつらせて笑う。心が痛いが、欲しいものを手に入れるために、時には犠牲もつきものだ。ああ心が痛いわー。申し訳ないわーー。
「で、先輩? どこでお話ししましょうか?」
「ショッピングモールのコメット珈琲でいいかな?」
「コメットですね、承知しました」
「来てくれないと……嫌なんだから……」
なんて言いながら、先輩は俺の手を取り「ぎゅっ」と包む。思いのほかしっとりしてて、何なら一生繋ぎとめておきたい手。
「先輩のお誘いですよ! 来ないわけないじゃないですかっ」
「なら、良かった」
ほっと温かな息を吐き、そっと先輩は手を離す。
俺の手に何かが残っている。
付箋一枚。
@マークで始まる文字列。
こ……これって……。
スマホ持ちなら誰もが使っている、あの緑色SNSのIDじゃねえか!?
「せ、先輩!!」
「……なぁに?」
思わず先輩を見ると、彼女は俺に対して意味深に目を細めていた……。
◆◇◆
「じゃ、後でね♡」
先輩は牛乳箱を両手で抱え、異能棟へ去っていった。
ぽけーっと手のひらの付箋を見つめ、思う。
今日はなんて日だろう。まさに死ぬにはいい日だ。
おっぱいプリンをゲットできたうえ、今日の夜に二人っきりで喫茶店。
しかも緑SNSのIDまで交換してしまうという、二重三重のバックスクリーン直撃ホームラン。
まさに幸せの絶頂といっていい。さあみなさんお待ちかね、待ちに待った前田健介の全盛期到来です。
午後の陽射しはますます明るく、黄色く。
ちょうど、昼休みが終わろうとしている時刻になっていた。
長かった。本当に長かった。
ここまで至るのに、色んな戦いやドラマがあった。
「終わったな……」
安らかな心境で、来た道を引き返していく。
熾烈な生存競争の勝者として、堂々と、幸せな心地で教室に帰還していくのだ。
「…………本当、死ぬにはいい日だ」
立ち止まって、
フッ……と、静かに微笑みを浮かべた。
明らかに殺意を秘めている異能科の悪鬼羅刹どもが、渡り廊下に密集し、ポキポキ拳を鳴らしながら俺のことを待ち構えていたからだ。
これ、俺もプリンも無事で済むのかね……?
【続く】
※「ボーイズラブ」の表記は、一部分ですが、今後そのような描写が入ることが見込まれるため付けております。